第五章──リンデベルンへ①
微かな振動を俺は感じていた。
狭い。
狭いベッドに固定されているのが判る。
俺は静かに眼を見開いた。
輸送機の内部だった。輸送機にベッドが設えられ、そこに寝かされている。
「目が醒めた、彩夏?」
聞き覚えのある声……ノアの声だった。
「なぜこうなったのか、説明するわ。敵二番機の攻撃であなたのラニウスは火焔の直撃を受け、辛くも帰投したのよ」
「ラニウスは無事か?」
「中破判定だけど飛べるわ。今、私たちが乗っているのがラニウスなのよ」
「なに?」
「DC3で融合し、リンデベルンに向け飛んでいるわ。到着後、あなたと同様、治療を受ける手はずになっている」
「怪我したのか、俺?」
「基地の中級治癒魔法師じゃ手に負えないほどの大怪我よ。リンデベルンに着いたら、恐らく上級治癒魔法師があなたを受け持つ」
「それで、治る?」
「傷痕も残らないはず。私たちドラゴンナイトは、滅多に死なない。あなたと私が墜としたゲルマニアのドラゴンナイトも命は無事よ」
「そうか……迷惑かけたな」
「迷惑とは思っていない。訓練中に対ドラゴンの実戦なんて、想定外もいいところだったわ」
「戦時下にはありがちな話かな」
「そうね」
「眠くなってきた……悪いが……」
「眠りなさい。次に起きた時は、リンデベルンに着いているはず……」
ノアの科白が遠ざかっていくのを他所に、俺は目を閉じた。
再び暗黒が押し寄せる。
リンデベルン王国ゼーレン基地は、傭兵団本隊が置かれた要衝だ。
位置は大都市チューリッヒから西に一〇〇キロほど離れている。
地域一帯が二級市民の居住区画で、広大な敷地に大型飛行場、それを取り巻く周辺都市が広がっている。
基地の近くにそれなりの都市があるのは、恵まれているとも言える。
辺鄙な田舎に基地だけがあり、周りに都市などかけらもない話など珍しくないからだ。
まさか、こうなるとは……。
ゼーレン基地の長大な滑走路を眺めつつ、クレア・クラインは思わずため息をついた。
『あなたと話せて楽しかった』
とほんの前日言葉を交わした相手が、重症を負って運ばれてくるとは……。
「まさに戦時下ね」
思わず口を継いで出る科白にクレアは肩をすくめる。上空を旋回するDC3輸送機の姿は、まるで前日の自分を見るようだ。
その前に分離を終えたドラゴンのラニウスが着陸態勢に入り、あっさりと接地を決めた。
DC3がそれに続き着陸し、そのままこちらに機首を巡らせてきた。どう降りてどう流すか、完全に判った者特有の着陸だ。
プロペラが停止するや、地上クルーが一斉に近づき、輸送機の扉が開かれる。
最初に降りたのはノア・ニールセンだった。
引き締まった相貌を崩さず、担架が運び出されるのを見守る。
担架は地上でストレッチャーへと切り替えられ、車輪の回る音が周囲に広がる。
硬い表情を崩さずノアがこちらに来た。
クレアは素早く敬礼した。答礼が返された後、クレアは口を開いた。
「フライトお疲れ様、ノア」
「昨日今日で再会とはね。慌ただしいわ」
友人と交わす言葉もどこか重い。
「彩夏の容態は……」
「上級治癒魔法師の治療が必要よ。それでも意識ははっきりしているから……」
「それは不幸中の幸いね。ラニウスの様子も……」
「彩夏と同様ね。リンデベルンは魔法治療がデンマークより発展しているから、修復は容易でしょうけど、リソースはかなり削られるわね」
「それは許容範囲よ。問題は、修理が終わり次第ラニウスを彩夏と共にデンマークに戻す命令が出ていること。戦況は厳しいの?」
「ゲルマニアもドラゴンを本格投入し始めたわ。こちらもドラゴンを一頭墜としたけど、彩夏がやられたことで相打ちね。それに勢いづいたゲルマニアがこちらを圧迫、まったく油断できない状況になっている……というわけで……」
「用意はできているわ」
そう言ってクレアは格納庫にノアを導く。
一画に整備を終えたばかりのスピットファイアが駐機されていた。
「これを使って。燃料は満タンで整備も完全よ」
「ありがとう」
「帰りにコーヒー一杯飲む時間もないなんて……どうかしている」
「それが戦争よ。また会いましょう、クレア」
「あなたの無事を祈ってるわ」
「ありがとう。彩夏の事をよろしくね」
重い口調で応じたノアはそのままスピットファイアに乗りこんだ。
エンジンが始動され、車輪止めを外された戦闘機がゆっくり進み始める。
ブレーキを解除したスピットファイアは誘導路を通り、主滑走路に出た。
そこからエンジンを全開するや、鮮やかに離陸していく。
その様子を見送ったクレアは、格納庫に踵を返した。彩夏を託された以上、彼の治療がどうなるのか見届ける義務があるのだ。
ストレッチャーの車輪が軋む音を聞きつつ、俺は心の中で肩をすくめていた。
昨日もこんな風に運ばれ、無理矢理ドラゴンに乗せられた。
今は治療のため、訳も判らず見知らぬ基地の廊下を進んでいる。
「患者、デンマークの黒田彩夏です。上級治癒魔法師殿、治療をお願いします」
ストレッチャーを押す男が声を発するのを俺はぼんやりと聞いていた。
こうなれば文字通りまな板の上の鯉だ。なんとでもやってくれという思いが心を占める中、視野がいきなり明るくなった。
上級治癒魔法師なんてものが実在する世界だ。魔術をかける部屋は暗く陰鬱で、怪しい魔胴着を着た婆さんが杖を携え待ち構える……なんてことは全くなく、そこは一般の治療病棟とほとんど同じ作りの室内だった。
顔面を覆う包帯越しに瞬く俺を他所に、白衣に身を包んだ女医が医学用語を交えストレッチャーを押してきた男と打合せをしている。
それが一分ほど続き、書類にサインした女医は俺の元に近づき、こちらを覗きこんだ。
「確認します。あなたの名前は?」
「黒田彩夏」
「今年は西暦何年、今は何月ですか?」
「一九四〇年、四月」
「認知は正常ですね。私は上級治癒魔法師のアンナ・ヘルソンです。今からあなたを治療します。まずは……」
助手が注射器を手渡す。薬液が満たされたそれを彼女は無造作に俺の腕に突き立てた。
一瞬で注射を終えると、顔面を覆う包帯を取り始める。薬液のお蔭か痛みはなく、ただ顔の横に薄汚れた包帯が溜まっていくのをぼんやりと見るだけだ。
「お次はちょっと痛いですよ。でも、この痛みは細胞が修復される時に発する一種の成長痛みたいなものですから、我慢してください」
そう言って彼女は呪文を詠唱し始めた。
この辺は確かにオカルトだ。
魔術、魔法が現実にあると言ってもこれまであまり実感がなかったが、こうなると話は違ってくる。
女医の手が動き、俺の頭部に触れた瞬間、文字通り凄まじい痛みが全身を覆った。
「痛っ……なんだ、これ!」
「我慢我慢! 男の子でしょ、あなた」
俺はうめいた。
痛みは全身から顔面に集中し、特に両眼の痛みは言語を絶する凄まじさだった。
いきなりメスを両眼に突き立てられ、切り裂かれる痛みと同レベルのそれだ。
「痛い、痛すぎる……俺の眼になにをしているんだ!」
「ドラゴンの火焔を喰らうと、たいていのドラゴンナイトは眼をやられるの。今はまだ無事だけど、数日で眼が見えなくなる。でも、四八時間以内に正しい処置を受ければ失明を免れる。だから……」
「我慢しろ、と!」
「その通り。歯を食いしばって、耐えなさい!」
言われるまま、俺は歯を食いしばった。それが何を意味するか察する余裕は喪われていた。
(うわあっ! 凄いな、これは!)
いきなり彩夏の声が頭の中で爆発した。
そうだった。歯を食いしばると彩夏と心の中で話せることを……あれ?
痛みが引いていた。
これまでのそれを一〇とすれば、今の痛みは四から五、文字通り半減だ。彩夏の声が続く。
(確かに凄く痛いが、案外耐えられるぞ、理人)
『こちらも痛みが半分くらいになった。恐らくこれは……』
(同じ痛みを二人で分け合っているんだ)
『こんな使い方があったとはね』
その間にも治療は続く。アンナ女医が沈黙したこちらに向け、感嘆の声を放つ。
「あらら。本当に耐えちゃってるわ。凄いわね、あなた」
その瞬間、痛みが止まった。さながら引き潮の海岸よろしく痛みが音を立て引いていく。
「ふぅ……今日の所は、ここまでね」
俺は目を見開いた。ぼんやりとした視野が浮かぶ中、女医に声をかける。
「これで終わりですか?」
「今日の所は、と言ったでしょ。治療は二日間続きます。二日目が一番痛くて文字通り、のたうつわよ。起き上がれるなら病室に歩いて行ってよし」
俺は身体を起こした。
少しふらふらするが、ストレッチャーの世話になるほどではない。
「と言っても、病室の場所が判らないか。誰か……」
「わ、私が案内します!」
不意に響く声に女医が瞬いた。




