第四章──ドラゴンファイト②
スピットファイアに給油の間は休息時間だ。
俺は首に巻いたマフラーを交換した。
二~三〇〇〇メートル上空を飛び、充分涼しかったにも関わらず汗に濡れていた。それだけ精神的緊張が激しかったのだ。
整備兵から新しいマフラーをもらいつつ、格納庫の隅に簡単な軽食が用意されている事を知る。
コーヒーとサンドイッチだった。
食欲はあまりなかったが、この仕事を経験しての感想はとにかく体力勝負に尽きるということだ。食べたり飲んだりする気力が無くなった者たちから脱落する予感がひしひしと伝わってくる。
サンドイッチを食べ終えた俺は椅子を二つ並べ横になった。戦闘機の操縦は想像以上に体力を奪う。 やがて格納庫の時計が時報を鳴らした。シャール少佐の声が響く。
「彩夏、出番だぞ」
「はい」
応じた俺はスピットファイアマークⅤに向かう。
視野の片隅にBf109に向かうパイロットの姿が入り、思わず俺は足を止めた。
「なっ……」
パイロットは傭兵団のメンバーではなかった。金髪碧眼の美少女、ノア・ニールセンだ。
「少佐、どうして彼女が……!」
思わず叫ぶ俺にシャール少佐は悪戯っ子を思わせる顔つきで応じた。
「向こうもBf109の機乗経験は少ない。お前もスピットには乗り始めたばかりだ。初心者同士、納得いくまで戦ってみろ」
「しかしですね……」
「向こうはドラゴンナイトの先輩だ。いろいろ教わる事もあるだろう。それと、機体には訓練弾を搭載した」
「訓練弾?」
「弾が当たると赤いペンキが機体にべったり着く新型だ。誰の目にも撃墜されたのがはっきり判るから、気を抜くな」
「聞いていませんよ、少佐!」
「今、伝えた。せいぜい頑張れ、彩夏!」
「…………」
俺は苦虫を噛みつぶしたような顔つきでスピットファイアに乗りこんだ。
万が一、この空戦に負けたら俺は満座の席で恥を曝すわけだ。
(負けられない戦いになったな)
彩夏の声が頭の中に響く。
「だれも彼も……こっちは戦闘機同士の戦いは初めてなんだぞ」
(昨日はドラゴンで一二機撃墜した。今日はスピットで墜とせばいいだけ。気楽に行こうぜ)
「他人事だと思って……」
恨み言をつぶやきつつ俺はスロットルを開いた。
ノア・ニールセンが搭乗するBf109は一足先に離陸したようだ。精悍な機体が上昇するのを眺めつつ自身も操縦桿を引く。無線が入った。
「シャールより、彩夏、ノアに通達する。高度三〇〇〇メートルまで上昇後、合図と共に空戦開始だ。撃墜判定はペイント弾で機体の三割が赤くなったら撃墜とする。コクピット周りが赤くなっても撃墜判定だ」
「了解」
無線に応じつつ俺は表情を引き締めた。
ノア・ニールセンの操縦技量がどれほどなのか、まったく情報がない。
俺自身の技量は午前中の飛行訓練から見ておさっしのレベルだ。戦争勃発前からドラゴンナイトを務めている彼女の技量はこちらより上だろう。
思わず唾を飲みこみ、スロットルを開いた。
マーリンエンジンの轟音が響き、ノアが乗るBf109に向けスピットファイアが追いついていく。
ノアもこちらの動きに気がついたらしい。
機体を増速させると共に高度を上げていく。
負けじとこちらもスロットルを開き、高度を上げる。高度が三〇〇〇メートルに近づき、俺は水平飛行に戻しさらにスロットルを開いた。
速度がじわじわ上がり、五八〇キロを超えたところでシャール少佐の声が無線に入る。
「双方、空戦開始」
間髪を入れずノアのBf109が急上昇した。
こちらもスロットルを全開して追尾する。
続いて彼女の機体は半横転を決めると急旋回でこちらを振り切ろうとする。
俺はスロットル全開のまま高速横転で彼女の機体を追った。
距離はおよそ数百メートル。機動性はほぼ互角、後ろを取っている俺の方が有利だ。
光像式照準器に彼女の機体が入ってきたのを逃さず、機銃の発射スイッチを押す。
両翼に計二門搭載された二〇ミリ機銃が唸りを上げ、訓練弾をBf109に向けぶちまける。
一瞬で彼女の機体が視野から消え、俺は狼狽した。
Bf109は一八〇度のロールを打ち、一瞬のうちに飛んでる向きを逆方向に変えたのだ。
いわゆるスプリットSと呼ばれる空戦の基礎機動だ。
俺は負けじとスプリットSをかけ、彼女のBf109を追尾する。
次の瞬間、彼女の機体が急旋回を決めた。
それを追尾しつつ、俺は微かな違和感を感じた。
一瞬、彼女の機速が落ちたように感じたのだ。
高速旋回の最中に速度が落ちるのは、スロットルを緩める時しか生じない。
そんな事をわざわざするパイロットがいるだろうか?
彼女の減速は錯覚ではなかった。
明らかに速度が落ちる中、ノアの操るBf109は速度を落としたまま急旋回を続けた。
俺はオーヴァーシュート──彼女の機体を追い越さぬよう横転を決めあくまでも彼女の機体を追った。
異変が生じたのはその時だった。
Bf109の前縁にあるスロットが一斉に前方に延び、機体の旋回角度が急激に小さくなった。
スピットファイアの旋回──真円に対し、Bf109の旋回が卵の尖った先端のように明らかに小さくなったのだ。
「しまった!」
Bf109の特徴の一つに前縁スロット──機体が失速(揚力を失い飛べなくなる)間際になると前縁が自動的に飛び出すスロットを持つ事は知識として知っていた。
そうすることにより、普通なら失速するのをより小回りの利く形で旋回できることを、知識としては知っていた。
だが、知ると実際に経験するのは別だ。
俺はノア・ニールセンの意図に気付いたものの、それは彼女がスロットを使いこなし、より小回りの利く旋回を行った後だった。
俺の操るスピットファイアマークⅤは一瞬のうちに彼女のBf109を追い越した。
追う立場から追われる立場に攻守逆転した俺ができることはスロットル全開で離脱を目指すことだけだ。
その瞬間、頭の中で彩夏の声が爆発した。
(諦めるな、ラダーペダルを蹴り、操縦桿をなぎ払え!)
一瞬の指示に身体が反応した。
俺のつま先がペダルを思い切り蹴り、操縦桿をなぎ払った瞬間、機銃の轟音が湧き、訓練弾が機体スレスレをかすめていく。
(被弾はしてない。たとえ一センチ外れても弾が当たらなければ、負けてない!)
彩夏の言葉は真実だ。
弾丸が一〇メートル外れようと一センチ外れようが、当たらなかったという事実は動かない。
俺は半横転を決めるとスプリットS──一八〇度ループを打って機体を縦方向かつU字形に離脱させた。
すかさず彼女のBf109も追尾するが、どうやらエンジン出力はこちらが上らしい。
風防の上に取り付けられたバックミラーに写るBf109が次第に遠ざかるのが判る。前縁スロットを用いた低速旋回も影響しているのだろう。
俺はスロットルを全開にしたまま高速旋回に入った。このまま後ろを取られ続けては主導権を彼女に取られたままだ。
急旋回を避け、速度を保ったまま螺旋降下に入った。今は高度を速度に変換、然る後、反撃を加える事だ。
彼女の機体も螺旋降下に入った。
たちまち速度が七〇〇キロを超え高度計の針が見る間に下がっていく。
高度一五〇〇で俺は機体を水平飛行にいれ、再びスプリットSを決めた。
その瞬間、彼女のBf109も螺旋降下を止め──。
俺との正対戦に入った。
いわゆるヘッド・オン。真っ正面から撃ち合うガチンコ勝負だ。
『やるぞ、彩夏!』
(好きにしろ。あとは運試しだ)
スロットル全開で俺のスピットファイアマークⅤは突撃した。Bf109も一歩も引かない。
たちまち両機の距離が詰まった。
一五〇〇メートル、一二〇〇メートル、八〇〇メートル。
照準器一杯にBf109の姿が広がった瞬間、俺は機銃の発射ボタンを押した。
凄まじい轟音と共に機銃が唸り、次の瞬間、視野が真っ赤に染まる。
すれ違った瞬間、俺はノアが操るBf109を見た。風防全面にベッタリと赤いペンキがぶちまけられていた。
すなわち──。
(相打ちだ、理人)
心の中で彩夏の声が響き、続いて無線が入った。シャール少佐の声が耳朶を打つ。
「相打ちを認める。二人とも降りてこい」
「了解」
応じつつため息をついた。
ノアに極小旋回を決められたとき、実質勝負はついていた。
あの時、被弾を免れたのは彩夏の咄嗟の助言があったからだ。
そこから先、正面正対戦で相打ちに持ちこんだのは『死なば諸共』というこちらの意地に過ぎない。
風防全面が真っ赤に染まっているため、俺はキャノピーを開け、横合いから滑走路を眺めつつ着陸態勢を取った。
フラップと脚を下ろし、なんとか着陸に成功した。
次いでノアのBf109が着陸する。
風防周辺が真っ赤に染まっているがこちらほど派手でないためか、すんなり着陸した。相打ちと言っても、打撃は明らかに俺の方が大きかった。




