第1話 転生と幼馴染
『――いつかまた、会おうね』
小さな少女から手を振られ、そこで夢から覚めると同時に勢いよく覚醒する。
お決まりのことだった。
何度目かわからない、見慣れた夢からの起床。
正直うんざりもしているが、大切な記憶であることに違いは無いし、これは俺――正木俊介の数少ないアイデンティティだから、心底嫌なものだと思い切れない。
むしろ、無くてはならないものだとまで思っている。
小学生低学年の頃、俺には仲のいい女の子がいた。
名前を幾波葵といったのだが、当時彼女とは家が隣同士ということで、ほとんど毎日遊んでいた。
そこら辺の空き地でボール遊びをしたり、カードゲームで遊んだり。山の方へ行けば虫取り、川の方へ行けば魚取り、みたいな感じで、とにかく色々なことをして、夕陽が暮れるまで一緒にいたもんだ。
そういうわけだから、当然友情も深まるわけで。
彼女が親の仕事の都合で引っ越しすることになった時、俺は泣いて『嫌だ』と駄々をこねたのを覚えている。
今振り返ると恥ずかしいものだ、と思えるものの、当時の自分からしてみれば、唯一無二とも思える大切な存在を失うのに等しかった。
だから泣いたし、駄々もこねた。
でも、そうは言ったって現実は覆らない。
俺は葵を見送るしかなくなり、その当時の彼女がいつまでもこうして夢に出てくる、ということになってしまっていた。
「未練がましいもんだな」
ベッドの上で上体を起こし、頭を掻きながら苦笑い。
カーテンを開ければ、朝日が一気に俺の顔を襲った。眩しい。
「……起きるか」
ベッドから下り、自分の学習机に開いたまま置かれているノートパソコンに目をやる。
思わず「やってしまった」と独り言ちた。
プレイしていたエロゲをこうも堂々と晒しておくなんて、あまりに危機感が無い。
幸いそういう系のシーンが映っているところじゃなかったが、母さんとかが見たら絶対面倒なことになるし、電源は落とさないまでも、せめて画面を閉じておくべきだった。失態だ。
「やれやれ。しっかし、山本に言っとかなきゃな。もうちょいこれ貸してくれ、って」
友人である山本の顔を浮かべつつ、俺はこのエロゲ【ラバーポケット】のソフトを落とす。
落としてから、パソコンの電源も切った。
「別にハマってるわけじゃないけど、何気に面白いからな。課題とか、そういうのの合間にやる分にはいい。うん」
半ば自分に言い聞かせるように独り言を呟く。
実際のところ、昨日も課題を済ませた後、夜の一時くらいまでラバポケをプレイしていた。新しい攻略対象が出てきて、そっちのルート開拓に勤しんでいたのだ。
寝不足ってわけじゃないが、六時間半睡眠。どうも俺は八時間くらい寝ないとダメな体質みたいだった。微妙に眠たい。
「ふぁ……ぁ。……ふぅ。まあいいや。今日は帰って来たら早めに寝よう」
軽いあくびをして、俺は自室を出た。
一階では母さんが朝食を作ってくれている。
リビングを目指して、眠気の残る足取りで歩くのだった。
●〇●〇●〇●
「――にしてもよ、俊介? 義妹ってどう思う? 義妹って」
通学路。
学校へ向かうための道を歩きながら、俺は件の友人、山本からの問いかけに気だるげに返していた。
「いいんじゃね? 自宅で誰にも邪魔されない中、恋を育むことができる」
俺の返しを受けて、山本は大爆笑。
でかい声で「さすが」とはしゃぎ、俺の背を叩いてきた。「いてぇよ」と返す。本当に痛い。
「やっぱり俺の目に狂いは無かった! さすがはマイフレンド! 義妹との関係に初っ端から恋愛要素をぶち込んでくるとはな! ッハハハ!」
「いや、お前がそういう風に誘導してたってのもあるからな……?」
俺の義妹愛が異常ってわけじゃない。あくまでも問われたから答えただけだ。
「まあ、そこは否定しきれんか? ラバポケの話してたもんなぁ。あれ、やっぱ名作だろ? 普通に泣けん?」
「泣ける。特に史奈ルートはヤバかった」
言ったところで、また山本が俺の背を叩こうとしてくるから、その手を回避。
奴はうんうん頷きながら返してくれる。
「史奈な! あの子のルートはほんっと……! どう転んでも泣けるじゃん!?」
「バッドエンドは泣けるというより鬱になる、って表現の方が正しいけどな。あれはヤバい。寝込むレベル」
「あー、ダメ。バッドの話はしないでくれ。俺、あそこの耐性未だに付けられてない。思い出すだけでも変な汗出てくる。やめて」
頭を抱えながら苦しみだす山本。
史奈のバッドエンドは確かに胸糞だが、苦しんでる山本を見るのはなぜか面白かった。リアクション芸人過ぎて困る、こいつは。
「ただ、今は瑠香ルートに精を出してるよ。一番正ヒロインっぽいくせになかなかルート開拓の難しいキャラだからな」
俺が言うと、山本はすぐに「おっ!」と顔を上げて元気になる。
「遂に瑠香のルート見つけた!? さすが俊介! エロゲの才能アリだぜ!」
「その才能、あったところで喜んでいいのか怪しいけどな。役にも立たなさそうだし」
就職に活かせるとも思えない。
エロゲ会社とかだったらワンチャン……? とは思うものの、別にそういうところへ就職したい願望もなかった。本当に宝の持ち腐れだ、これは。
「まあでも、瑠香ルートは攻略もなかなか難しいからな。なんせ彼女、意外と嫉妬深くて――」
山本がそう話していた途中だが、俺はふと道路の真ん中で仰向けに寝転んでいる野良猫を見つけた。
「山本、あれ見ろよ。猫が道路の真ん中で仰向けになって寝てる」
「あん? 何だ? 猫? うわ、本当じゃん。間抜け過ぎん?」
いったいどんな神経をしているんだろう。あまりにも図太い。
普通の猫だったら車が来て危ない、とか察したりして寝る場所を選ぶもんだ。あいつはヤバい。猫界のドンだ。
「なんか……移動させてやった方が良くないか? このままだとあいつ、車か何かに轢かれる」
「いやぁ、そうは言っても猫だぜ? あのままボーっと轢かれるってこともないだろ。起きてそそくさと逃げて行くって」
本当にそうだろうか。
山本の発言もわからなくはないが、あの猫、心配になる。
そんな心配をしていたら、本当に車が猫の方へ走ってきた。
「……おい。あいつまだ起きないぞ?」
「い、いや、さすがに……。あいつが起きなかったら車の方が止まるだろ……?」
勢い的に、車は止まる雰囲気が無い。
運転手が眠気に襲われているからか、本当に止まる気配が無かった。一直線で変わることのないスピードのまま突っ込んでくる。
「って、おい!? 俊介!?」
言っておくが、俺は平和主義だ。
争いは好まないし、バイオレンスなものも好きじゃない。
それゆえに、動物が目の前で轢き殺されるところだって見たくなかった。
見たくないから、必然的に体が動く。
動いて――
「しゅ、俊介ぇぇぇ!」
走り、コンクリートの上でヘッドスライディングでもするように猫を捕まえ、瞬間的に別の場所へ投げやった。
――が。
ドン、と。
凄まじい衝撃と音が聴こえた刹那、俺の意識はどこかへ飛んで行ってしまうのだった。