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サニーサイドアップにブラックペッパー  作者: 九曜
第2章 慣性の法則
9/15

/Scene05

可純のもとに紗羅からの初メール。そこにはただ一文だけが……。

そして、放課後、可純は特別教室棟へと足を向ける。

5.

 学園都市駅が朝のピークを迎える少し前。

 到着した電車から吐き出される学生の数は少ないが、その制服は色とりどりだ。

「ふぁーあ……」

 その中で小さな欠伸を掌で隠しながら電車を降りたのは、日本人にしては濃い色の肌が特徴的な、梓沢可純だ。

 可純は人の流れに乗って改札口へ。いつもは軽い足取りで、元気よく跳ねるように歩くのだが、今朝はやや精彩を欠いていた。

「可純」

 改札を出て少し歩いたところで名前を呼ばれる。

 振り返れば、速足で近づいてきたのは、

「あぁ、耀子。おはよ……」

「おはよう」

 村神耀子はいつものようにブレザーの制服を悪っぽく着崩し、制鞄を肩に引っ掛けるようにして持っていた。背が高くてスタイルもよく、クール。これほどに“イケてる”女子高生を可純は他に知らない。

「ていうか、可純、どうしたの。ひどい顔してるわよ」

「ん? そう?」

 対する今の自分は、その正反対らしい。

「ちょっと寝不足気味」

「髪、ちゃんとブラシ通したの?」

「いちおーは。……そんなにひどい?」

 可純は思わず黒髪の頭に手をやった。

「パンク一歩手前」

「んげ」

 そこで耀子はくすりと笑う。

「教室に着いたらやってあげるわ」

「うぅ、お手数おかけします……と、申し訳なさでいっぱいの可純くんなのでス……」

「それで――」

 と、耀子。

「何やってたのよ?」

「んー?」

 昨日――、

 可純は柚木紗羅から携帯電話の番号をおしえてもらった。

 類稀な美少女として校内でも有名であり、憧れる生徒も多い最上級生。そんな彼女のアドレスをおしえてもらい、さっそくかけてみようと思った。電話越しの他愛もない会話で夜を過ごしたいと思った。

 でも、できなかった。

 携帯電話を手に取ろうとするたびに頭にちらつくのは、彼女の白紙に近いメモリィ。親友の名前しかなかったアドレス帳。

 あれはきっと生き方なのだろう。

 出会いは別れのはじまり――そう考える彼女は、出会った人との間に何も残してこなかった。何かを築き上げれば、その分だけ別れが辛くなるから。

 そうやって人と深く関わることを忌避するようになった理由は何なのだろう。

 離別? 死別? それとも、失恋?

 そんなことを考えているうちに、気がつけば電話をかけられるような時間ではなくなっていて、昨夜はもう寝ることにした。だが、ベッドに入った後も考えは巡り続け、まったく寝られなかった。結局、思考に睡魔が勝ったのは明け方。ろくに眠れないまま起床時間を迎えたのだった。

 それが寝不足とひどい顔の理由。

 しかし、人に言える類のものでもない。特に紗羅の携帯電話の辺りなどは。

「ちょっと、ね」

「そう。まぁ、むりには聞かないけど」

 誤魔化す可純に、耀子はそれ以上は追及してこなかった。

 彼女の必要以上に踏み込んでこないこの距離感は、素直にありがたいと思う。ただ単に無関心なだけかもしれないが。

 可純は空を見上げた。

 まだ4月だから五月晴れとは言わないのだろうが、頭上には爽やかな春の青空が広がっていた。

 ――この分だとゴールデンウィークもいい天気が続くかな?

 

 その日の授業中、

 机の横に吊るした制鞄の奥底で、可純の携帯電話が唸り声を上げた。マナーモードのバイブレーション機能。

 すぐ近くの席の何人かがそれを聞いてこちらを見たが、特に気にした様子はなかった。

 いちおう学校にいる間は電源を切っておくという決まりがあるが、真面目に守っている生徒はほとんどいない。授業中に盛大に着信音を鳴らしたり、運悪く振動音を聞かれたりすれば当然怒られるが、たいていはマナーモードに切り替えるだけですませる。

 可純は先生がこちらを見ていない隙を狙って鞄から端末を取り出すと、机の下に隠すようにしてそれを開いた。

 着信はメール。

 差出人は、

「っ!?」

 柚木紗羅だった。

 昨日、番号を交換して以降、初めてのやり取りだ。

 可純は一度顔を上げて、先生を見た。板書中。こちらには気づいていない。やや緊張しながら初メールを開く。

『いい天気ね』

 と、あった。

 本文はただそれだけ。

「……」

 ゆっくり首を傾げる。なんだろう、これは。シンプルすぎて意味が見出せない。

 だが、すぐにその下の画像ファイルに気がつく。

 画像は写真だった、風景写真。きっと紗羅の携帯電話で撮ったものだろう。上半分は先ほどの本文が示す通りの青空。下半分は住宅地の街並みだった。

 ――どこから撮った写真だろう?

 今度は純粋に疑問に対して首を傾げる。

 たぶん学校の中で撮ったものだろうとは思う。可純の教室は3階だが、この写真と重なる風景は見たことがなかった。

 だとしたら……。

 可純は窓の外に目をやる。中庭をはさんだ向かいには特別教室棟があった。

 

 放課後になって可純は、特別教室棟に足を向けた。

 耀子には今日もまた先に帰ってもらった。2日連続で悪いと思う。

 放課後の特別教室棟は、休み時間や昼休みより生徒の数が多く見られた。合唱部や家庭科部、化学部など、特別教室を部室にしている文化部がいくつかあるからだ。2、3人のグループがちらほら歩いている。

 ここへきたのは可純が、あの写真が自分とはあまり縁のないこの特別教室棟で撮られたものではないかと推測したからだ。

「高さ的に2階っぽい?」

 ひとまず渡り廊下を渡ってから、階段でひとつ下りる。

 2階の中央には図書室があった。放課後は開放されているらしく、開けっぱなしのドアからは終礼終了から間もないにも拘わらず、閲覧席で勉強や読書をしている生徒の姿が見えた。

 ここだろうか。

 奥の窓から見える景色は、写真のものに似ているような気がする。

 と、可純がなかなか判断できないでいると。

「あら、やっときてくれたのね」

「っ!?」

 いきなり後ろから声をかけられて、飛び上がりそうになった。

 振り返らなくてもわかる。ここ最近ですっかり聞き慣れてしまった声の主――。

「柚木先輩……」

「こんにちは、可純くん」

 柚木紗羅はにっこりと笑った。

「でも、もっと早くきてくれてもよかったんじゃないかしら」

「え、ええっ!?」

 なぜか怒られてしまった。

 戸惑う可純を見て、紗羅が首を傾げる。

「メール見てくれたのよね?」

「見ましたけど……なんだったんですか、あれ」

「この景色が見えるところで待ってるって意味だったんだけど……」

「……」

「……」

「……」

 わかるか。

 などと文句を言えるはずもない。

「そう。伝わってなかったのね。なかなか難しいものね、メールって」

 紗羅は右頬に掌を当て、ため息をひとつ。

 いえ、単に先輩の求めるものが高すぎるだけです。

「えっと、あの写真って、ここから撮ったものなんですか?」

「ええ、そう。……こっちよ」

 紗羅はくるりと体の向きを変え、可純の前を横切るようにして歩き出す。

 瞬間、

 弾むように揺れた蜂蜜色の長い髪が、かすかに可純の体を撫でた。どきっとする。

「どうしたの?」

「い、いえ……」

 思わず固まってしまった体を動かし、慌てて後をついていく。

 向かった先はすぐ隣の教室だった。

「自習室?」

「そうよ」

 答えながら紗羅はドアをスライドさせる。

 中は通常の教室ふたつ分の広さ。ひとつひとつ仕切られたブース型の席が、向かい合わせにずらりと並んでいる。それが2列。

 ここはその名の通りの教室だ。ライト付きの机が並んでいるだけの、自主学習のためのスペース。ただし、定期考査もまだ先で、ゴールデンウィークが目の前に迫った今は、利用している生徒はひとりもいない。

「こっちがわたしの席」

「先輩、の……?」

 案内されたのは、窓際の陽あたりのいい席。

「……」

 そこを見て可純は唖然とした。

 ブース内には自分で買ったであろうテキストや参考書の類が、ブックエンドを使って立てられていた。正面には手書きの時間割表の他、いくつかのメモが貼りつけられている。完全に席が占有され、私物化されていた。本来ならば誰でも、どの席を自由に使っていいはずなのに。

 確かに『わたしの席』だ。

 なんとも傍若無人な振る舞い。いつだったか周防麗が彼女を指して、フリーダム姫と呼んだのを思い出した。

 紗羅はイスを引いて腰を下ろす。

「それでね、あの写真はこの窓から撮ったの」

「え? あ……」

 振り返れば窓の外に広がっていたのは、例のメールに添付されていた画像と同じ風景だった。

「あのときね、ここでひとりで勉強していたら――」

 授業中に、だろうか。

 そんな素朴な疑問がわく。

「ふと見たらきれいな青空だったから、可純くんにも見てもらおうと思って送ったの」

「あ、それならボクも思いました。今日はいい天気だなって」

 可純は勢いよく紗羅へと向き直る。

「そう。じゃあ、同じように空を見て、同じことを思ったのね。素敵なことだわ」

 彼女は可純を見上げて微笑んだ。

 傾きかけた陽の差し込む教室で、憧れの先輩が笑いかけてくる――。可純は急に恥ずかしくなって、頬を赤くして顔を伏せた。

「ゴ、ゴールデンウィークもいい天気が続くといいですね」

「ゴールデンウィーク、ね……」

 返ってきたのはちょっと浮かない声。

「どうしたんですか?」

「少しの間、可純くんと会えないなって思った」

「……」

 また赤面してしまうようなことを……。

 顔が熱い。

 今日のボクは変だ。

「そういうときのためのケータイじゃないかと……」

「あぁ」

 不意に紗羅が目を輝かせる。

「そうね。確かにそうだわ」

 そういう発想はなかったらしい。

 彼女は楽しいことを前にして心を抑え切れない子どものように、嬉しそうに体を左右に揺らしていた。

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