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サニーサイドアップにブラックペッパー  作者: 九曜
第2章 慣性の法則
7/15

/Scene03

昼休み、可純は相坂恭一郎を中心とした騒ぎを目撃。

その翌日、久しぶりに音楽室へと足を向ける。

3.

 可純は自分の周りにもうひとり有名人がいたことをすっかり忘れていた。

 そのことを思い出したのは、これまた別の日の昼休みのこと。可純が例の如く耀子と他愛もない話をしていたところ、にわかに教室が騒がしくなった。

「ほらほら、見て。あれあれ」

「なになにっ」

「いるよ、いるいる。あそこ」

 皆、誘い誘われるようにして、窓のほうへ寄っていく。

 可純はその様子に首を傾げ、耀子を見た。

「なんだろ?」

「見てきたら?」

 耀子は教室内の興奮とは逆走するように、冷めた口調。怜悧な美貌によく似合ってはいるが。

「それはつまり、見てこいってことだね」

 可純は跳ねるように両足をそろえて立ち上がると、他のクラスメイトたちと同じく窓へと寄って外を見てみた。他の教室でも似たり寄ったりの光景が展開されているようだ。

 窓の外に見えるのは向かいの特別教室棟だが、眼下にはふたつの校舎にはさまれた中庭が広がっている。よく手入れされた芝生と不規則に走る小道。芝生の上にはテーブルやベンチが置かれていて、天気のよい日には生徒たちの憩いの場所となっている。

 そこに皆の注目を集める生徒がいた。

 眼鏡をかけた、繊細で整った面立ちの男子生徒。『翔星のプリンス様』とも呼ばれる、音楽科の3年生――。

「あぁ、相坂先輩かぁ」

 相坂恭一郎アイサカ・キョウイチロウはベンチのひとつに腰かけていた。長い足を組んだ構造が様になっている。その周りにはクラスメイトらしき男女の生徒がいて、談笑しているようだ。

 ――確かにカッコいい、かな?

 可純はそれを見て、この騒ぎに納得した。

 と、

「相坂先ぱーい、こっち向いてくださーい!」

 そんな声。

 勇気のある女子生徒がいるのは、すぐ隣の教室のようだ。

 そして、さすがは『翔星のプリンス様』。相坂はそれに片手を軽く挙げて快く応えた。新入生へのサービスなのだろうか。先の女子生徒は、今度は感激の声を上げた。

 そのときだった。

 きっと視線を3階にまで上げたからだろう。その拍子に彼は可純のことを見つけたようだ。よく通る声が飛んできた。ピアノだけでなく声楽も得意なのかもしれない。

「よー、梓沢ー」

「げ」

 可純の口から思わずそんな声がもれる。

 相坂を見に集まったギャラリィの目がこちらに向くのがわかった。それを受けて可純は体を固まらせる。

 そして、一拍おいてから、ぎくしゃくとした動きで回れ右。速やかに窓から離れた。

「あ、てめ、梓沢。無視すんなー」

 うるさい、バカ。そっちこそこんな人目のあるところで名前を叫ぶんじゃない。可純は心の中で文句を言いつつ、聞こえない振りを決め込んだ。

 席へと戻る。

「『翔星のプリンス様』だった」

「そんなところだろうと思ったわ」

 耀子の反応はあっさりしたものだった。柚木紗羅と同じく相坂にも興味はないらしい。

「で、そのプリンス様とお知り合いなのか、可純」

 そう問うたのは、耀子ではなく別の少女だった。

 毛先の波打った灰銀色アッシュブロンドのショートヘアに、蒼氷アイスブルーの瞳と陶磁器のような白い肌。可純よりも少し背が高いだけの小柄な体には、人を惹きつける不思議な魅力があふれんばかりに満たされていた。

「樹里」

 彼女は名を遊佐樹里ユサ・ジュリという。

 樹里は可純の隣の席の机に、軽く尻を乗せるようにして立った。

「いつの間にそんなことになってたんだ?」

「さ、さぁ、ボクは何も……」

 可純は言葉を曖昧にする。ただでさえ柚木紗羅とのことでいろいろ言われているらしいのだ。これ以上話題の種を増やしたくはない。

「ふうん」

 対して樹里は、可純の言い分など聞いた様子もなく、

「あの柚木先輩にプリンス様。可純も隅に置けないな」

「あ、そ、そうだ、樹里。知ってる?」

 案の定そこに触れられ、可純は慌てて話題を変える。

「この学年にさ、元芸能人がいるんだって。げーのーじんだよ、げーのーじん」

「あ、あー……」

 ところが、途端に樹里の発音が宙を彷徨い出した。

 それからちょっと呆れたような表情になって、何か言いたげにその蒼氷アイスブルーの瞳を耀子に向ける。

「可純、その辺りぜんぜんだから」

「そうなのか……」

 耀子と樹里の、そんなやり取り。

「な、なに? ボクが何?」

 隣で可純が首を傾げる。

「可純が言ってる元芸能人……私だ」

「え? あ、そうだったんだ……」

 へぇ~、と目を丸くして納得。

「わかるだろ、普通……」

 その横で銀髪碧眼白い肌の日本人少女は、がっくりと項垂れた。

 遊佐樹里は、その人を惹きつける魅力あふれる美貌とスタイルのよさを武器に、中学生の頃からモデルをしていた。そのときから同世代にカリスマ的な人気があったが、さらなる飛躍の契機はとある日本人映画監督が彼女に目をつけたことだった。与えられたのは単なる話題作りのための端役で、映画も邦画らしく大コケにコケたものの、劇中で歌手役を務め、主題歌を歌った樹里は世間の注目を浴びることとなった。こうして遊佐樹里はモデルからトップシンガーへと華麗に転身を遂げたのである。

 一時は携帯電話や炭酸飲料のCMなどで露出も多かったが、しかし、高校受験を理由にあるとき突如として引退を宣言。芸能界から一瞬にして消え去ってしまった。

「先に言っておくけど、昔のことは話すつもりないから。私にとってはもう終わったことだ」

 可純としては稀有な経歴を持つ樹里に聞いてみたいことがあったのだが、きっぱりと釘を刺されてしまった。

「えっと、じゃあ……」

 出鼻を挫かれ、違う話題を探す。

「樹里ってハーフなんだっけ?」

「ううん。じゃなくてクォーターだ」

 こちらの質問には、彼女はどこか嬉しそうに答えた。

「私の祖父がロシア人なんだ。だから、クォーター」

「へぇ」

 それにしてもその特徴を色濃く受け継いだものだ、と可純は感心した。

 だが、その可純も、実は異国の血が混じっている。祖母がフランス人とカンボジア人のハーフなのだ。しかし、彼女もその子も日本人と結婚しているので、可純に至るまでにかなり薄くなっている。8分の1がフランス、同じく8分の1がカンボジア、そして、4分の3が日本。クォーターの樹里に比べたら、異国の血はさらに薄い。

「あらあら、みんなでなんのお話ですかぁ?」

 と、そこに現れたのはへーさんこと入江英理依。彼女は背後から樹里に抱きつくようにして顔を覗かせる。

「うわあ、エリィ! 重いっ」

「重くありませんよぉ。樹里ちゃんや可純くんと比べたら、少しは重いかもしれませんけど」

 確かにいつもふわふわしている英理依は軽そうではあった。

 

 その翌日、

 可純はいつもより早く教室に入った。

 すでに登校していた数人のクラスメイトにおはようを言い、机に鞄を置くと、すぐにまた教室を出た。

 生徒の姿のほとんどない廊下を歩き、目指すは特別教室棟の音楽室。先ほどからかすかに聞こえているピアノの音は、そこに近づくにつれて次第に大きくなっていく。その旋律を手繰るようにして音楽室へと辿り着いた。

 背伸びをしてドアの上部の小窓から中を覗いてみる。

 いた。

 相坂恭一郎だ。

 彼はグランドピアノに向かい、優雅に鍵盤を叩いている。曲調もゆったりしたもので、優しい音色を響かせていた。

 可純は踵を下ろし、深呼吸をひとつ。そうしてから静かにドアをスライドさせた。

「失礼しまーす……」

 練習の邪魔をしては悪いという思いもあって、その発音は非常に小さい。

 音楽室の中に入ると、相坂はそれを視界に認めていたのか、可純を見て人懐っこい笑みを浮かべた。それでもピアノを弾く指は止まらない。

 どうしようか――と可純は迷う。

 小音楽室は、黒板や教壇、ピアノが置かれている前半分が平面になっているのに対し、後ろ半分は後方にいくにつれて高くなる階段状になっている。そこに大学の講義室ような4席ワンセットの机が並べられていた。

 今、可純が入ってきたドアも、黒板から離れた場所にある、普通の教室の言うところの“後ろのドア”ではあるが、実際には教室の真ん中に位置していた。

 迷った末、可純は最前列の席に腰を下ろした。

 相坂のピアノが終わるのを黙って待つ。その方面にはさっぱりなので、可純には彼の腕前のほどはわからないが、その感情を持って語りかけてくるような旋律は人を惹きつけるに十分であることはわかる。

 知らず可純は、目を閉じて聞き入っていた。

 奏者は相坂。

 観客は可純だけ。

 まるでたったひとりのためのコンサートのようだ。

 そして、ピアノはゆっくりと曲調を変え――いつの間には『猫ふんじゃった』にすり替わっていた。

 ゴンッ

 思わず額を机に打ちつける可純。

「な、なんで!?」

「俺の十八番」

 曲をコミカルに締めくくって、相坂がいたずらっぽく笑った。

「けっこう真面目に聴いてたのに。……あ、えっと、おはようございます、先輩」

「おう。ようやくきたんだな」

 彼は座ったまま体を可純へと向けた。片腕を背もたれに引っ掛け、一転して行儀悪く姿勢を崩す。

「もうこねーのかと思ったよ。昨日なんか無視されたしな」

「そうそう。それですよ」

「うん?」

 相坂は「それ」が何を指しているのかわからず、疑問形に発音した。、

「昨日のあれ。あんなに人がいっぱいいるところで名前を呼ばないでくださいよ」

「あぁ、あれか。いや、知った顔があったからさ、つい、な。悪い悪い」

「もぅ。どれだけ恥ずかしい思いをしたと思ってるんですか。ボクは先輩と違って、ごくフツーの生徒なんですから」

 口を尖らせて文句を言う可純。

 しかし、対する相坂のほうは「何を言ってるんだか」と呆れた思いで、掌を上に向けて肩をすくめる運動をしてみせた。

「なんですか、それ」

「別に」

 わかんねーならいい――と相坂。

「そうだ。だったら、お詫びに何か一曲弾いてやるよ。リクエストはあるか?」

「ふぇ?」

 きょとんとする可純をよそに、彼は体の向きをピアノへと戻した。手遊びのように、ポーンポーン、と一定の間隔で鍵盤をはじく。澄んだ音色だ。

「え、えっと、じゃあ、『FLY ME TO THE MOON』、とか?」

「お、いいな。……ん? でも、待てよ……」

 一度は弾きはじめようとした相坂だったが、しかし、その動きがぴたりと止まる。

「むり……ですか?」

「いや、うまく『猫ふんじゃった』にいけるかと思って」

「いくなよっ」

 可純は何か投げつけてやろうかと思ったが、あいにく手もとに手ごろなものがなかった。

 そのあと、『翔星のプリンス様』は、可純ひとりのために真面目にリクエスト曲を弾いたのだった。

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