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プロローグ

可純と耀子の会話。

その中で可純は、先の体育の時間の出来事を語りはじめる。

 ここ、私立翔星館高校は男女共学校だ。

 そう標榜している。

 しかし、実際のところ男子生徒の数は全体の3割に満たない。というのも、もとは女子高で、そこから共学へと路線変更したのが5年前。それに伴って施設の拡充と制服のデザイン変更、学校名も今のものへと変えたが、それでも思うように男子生徒は増えなかったらしい。

 おかげで梓沢可純アズサワ・カスミは、この4月から男友達の少ない高校生活をスタートさせていた。

「耀子さぁ――」

 休み時間、可純は決まって後ろの席の親愛なる友人、村神耀子ムラカミ・ヨウコに話しかける。

「柚木先輩って知ってる?」

「柚木?」

 耀子は次の授業の準備をしていた手を止め、投げかけられた問いを疑問形の発音で返した。1年生の中にあっては少し大人っぽい端整な顔を上げ、可純を真っ直ぐ見つめる。その鋭利すぎる視線を受け、可純は少々たじろいでしまった。

「3年の、柚木紗羅?」

 確かめるようにして耀子は、ハスキィな声で重ねる。

「うん、そう」

「なに、可純。知ってたの、あの人のこと。噂に疎いのに」

「もちろん知ってるよ」

 翔星館高校3年の柚木紗羅ユズキ・シャラは、いろんな意味で有名人だった。まだ入学してさほど日にちの経っていない可純たち1年生の耳にも、主に類稀なる美少女として、その噂はすぐに入ってきた。

「ていうかさ、噂に疎いって、ボクってそういう認識なの?」

「……」

 しかし、耀子は黙って可純を見つめるだけだった。どこか非難の色を帯びた、何か言いたそうな目つきだ。

「えっとぉ……」

 そんな責めるような視線から逃げるようにして目を逸らし、可純は鼻の横を掻く。そして、耀子はその可純を見て、ため息ひとつ。

「それで?」

「え?」

「……続き」

「あ、ああ、そうだった。ボクさ、さっきの体育、見学してたじゃない? そのときに会ったんだ。柚木先輩と」

 そうして可純は、そのときのことを話しはじめた――。

 

 今日の2時間目は体育の授業。

 しかし、可純はそれを見学していた。可純の肌は日本人にしては色が濃く健康的で、グラウンドを走り回っているほうが似合いそうなのだが――そして、実際、体を動かすことは好きだ――が、見学。理由には体調不良という便利な言葉を使った。聞くものが聞けば、「ああ、そういうことか」とわかってくれることだろう。

 翔星館高校のグラウンドは校舎が建つ場所よりも低くなっていて、階段で結ばれている。可純はその階段の横の緩やかな斜面に、行儀悪くあぐらをかいて授業を見学していた。

「うわー。耀子、やる気ないなぁ」

 男女平等を掲げた翔星館では、ほとんどの授業を男女が一緒に行う。体育も男女混合でカリキュラムが組まれているし、家庭科ともなれば男子生徒だって裁縫も調理実習もやらされる。

 そして、本日の体育はサッカー。

 授業も終わりにさしかかった今は、試合形式のゲームをやっている。10人に満たない男子は話し合いの末、半々に分かれてそれぞれディフェンダに回ったようだ。こうなると試合の鍵を握るのは女子なのだが、背も高く運動神経も抜群な耀子はまったくやる気を見せていなかった。チームメイトは頼みの綱の耀子にボールを回すが、彼女はこっちくんなとばかりにすぐにパスを出す。そのパス自体絶妙なのに、きゃーきゃー騒ぐだけの女子ではまったく活かせていなかった。

「耀子はやる気にムラがあるから」

 可純は苦笑する。

 耀子が活躍しているならまだ見るべきものもあるが、彼女がそんな調子なのでサッカーはすでに女の子の球蹴りにまでレベルを落としてしまっていた。可純は早々に見飽きて、他へと目をやる。

 隣では別のクラスがハンドボールをやっていた。可純たちより大人っぽい雰囲気を見るに、おそらく3年生だろう。

 その中に群を抜いて上手い女子生徒がいた。長身の耀子よりもさらに背が高く、スレンダーな体つきをしている。ハンドボールの経験者か現役のプレイヤなのだろうが、所詮は体育の授業と本気は出さず、パスを回してチームメイトを動かし、ゲームメイクに徹していた。長い手を活かした打点の高いパスや、素早く手首をひねってのラテラルパス。立ち位置としては耀子と同じだが、まったくやる気が違っている。

「上手いなぁ。ボクの手じゃあんなラテラルパスはまずむりだもの」

 可純は手をひねってパスの運動をさせながら、そのプレイに感心した。

「麗を見ているの?」

「ほわ?」

 いきなり声をかけられて横を見てみれば、まず目に入ったのはスニーカを履いた細い足首だった。スニーカは足首までを覆うハイカット。バッシュだろうか。そこから視線を上げていくと、すらりとした足に翔星館の制服である明るい赤のチェック柄スカート。背中まである艶やかな蜂蜜色の長い髪と紺のブレザー。

 そして、

 ――うわ……

 そこに目の覚めるような美少女がいた。

 ひと口に美少女と言ってしまったが、彼女は少女でも大人でもなかった。そして、尚且つ、そのふたつが同居していた。そういう少女から大人へと移り変わる一瞬を切り取ったのが彼女なのだろう。

 その女子生徒は色素の薄いブラウンの瞳をグラウンドに向けていた。

「あ、あの、レイって……?」

「あなたが見ていた女の子よ。周防麗。わたしのクラスメイトにして親友」

 だけど、今や可純の視線はその周防麗スオウ・レイにはなく、そうおしえてくれた本人に釘づけになっていた。

 可純にはすぐにわかった。実物を見たことがなくとも確信できた。今まさに隣に立っている彼女こそ、あの噂の……

 ――柚木紗羅、先輩……。

 美貌の最上級生はスカートのポケットから真っ白いハンカチを取り出すと、それを広げて可純の隣に敷いた。そして、その上に腰を下ろし、そろえた足にスカートを巻き込むようにして両の太ももを腕で抱える。

 顔が可純のほうに向けられた。

 目が合う。

 間近で見た彼女の相貌に、可純は神がかり的な何かを感じ取った。それがいったいなんなのかはわからない。だけど、そこには言葉にできない、彼女の美しさの根拠となる神秘性が確かにあった。

 大粒の瞳に吸い込まれるような錯覚。

「こんにちは。あなた、お名前は?」

「こ、こんにちは……」

 音楽的な響きの声にはっと我に返り、思わず顔をそむける。クラスの球蹴りに顔を向けるが、その目は焦点が合わず泳いでしまっていた。

「あ、梓沢可純です。みんなからは“可純くん”って呼ばれてます」

 緊張のあまりよけいなことまで言ってしまう。しまった、と思ったときはもう遅かった。隣からくすくすと笑い声が聞こえてきて、恥ずかしさで顔が赤くなった。

「面白い子ね。そう、じゃあ、わたしも可純くんって呼ぶことにするわ」

「え?」

「そう呼ばれているのでしょう?」

「え、ええ、まぁ……」

 確かにそうではあるし、初対面の人間にそう呼ばれることも少なくはない。だけど、まさか校内でも有名なあの柚木紗羅にいきなりこんなふうに親しげにされるとは思わなかった。

「ならかまわないわね。……わたしは――」

「柚木先輩、ですよね?」

「あら、知っていたの? どこかで会ったかしら?」

 意外だとばかりに目を丸くする。

「いえ、先輩は有名ですから」

「そう。そういうのも考えものね。自己紹介の手間は省けるけど」

 紗羅は面白くなさそうにため息を吐いた。

「……それで可純くんは、見学?」

「いわゆる体調不良というやつで……」

「そう。そういうことね」

 どうやら意味するところをわかってくれたらしい。

「そういう先輩も見学ですか?」

 クラスメイトが体育をしているのだから、やはり見学なのだろう。だけど、授業に参加しない見学者であっても体操着に着替えるのが基本だ。骨折や怪我などで着替えが困難な場合だけ例外になる。ところが紗羅は制服のまま。にも拘らず足もとはスニーカだ。なんともちぐはぐな印象を受ける。

「そんなところね」

 そして、紗羅の答えもまた曖昧だった。

 謎めいた人だと可純は思う。

 そもそも彼女は最初からここにいたのだろうか。授業中のこの時間、人目を引く容姿の紗羅でなくともグラウンドに制服でいれば目立つはず。なのに、可純は今の今まで気がつかなかった。急に現れたとしか思えない。

 遠くでホイッスルが鳴った。

 どうやら3年のハンドボールのゲームが終わったようだ。周防麗という名らしい先輩はチームメイトとハイタッチを交わしていた。勝ったのだろうか。

「終わったみたい」

 可純の隣で紗羅が立ち上がった。

「それじゃあね」

「あ、はい」

 前触れもなく切り出された別れの言葉に、可純はそれだけを返すのがせいいっぱいだった。

「また会いましょう」

「え?」

「楽しみにしてるわ」

 思わず見上げた可純に、彼女は青空をバックに微笑んだ。

 紗羅が離れていく。クラスのところに戻るのかと思いきや、階段を上がり、グラウンドとは正反対のほうへと向かった。校舎の中に入るのだろうか、と彼女の行方を目で追っていると、再びホイッスルの音。今度は可純のクラスの球蹴りが終わったようだ。授業も終わるらしく、見学の可純にも集合がかかった。

 結局、紗羅がどこに向かったかわからないままだった。

 

「……で?」

 可純の話を聞き終えた耀子は、テンションの低い、ともすれば不機嫌にも聞こえる発音で問いを返した。

「で……って?」

「……バカ?」

 冷ややかな声。

「要するに、体育の見学仲間が少し話をしただけでしょ」

「た、確かにそうかも、と自信なく答える可純くんでス……」

 耀子は呆れたようにため息を吐いた。

「ちょっと有名人と話したからって舞い上がらないことね」

「……あう。ごもっとも且つ厳しいご意見で……」

 現実を突きつけられ、可純は凹む。

 ――でも、

 だからと言って、これっきりというわけではないはずだ。そう思える理由は別れ際の「また会いましょう」の言葉などではなく、もっとちゃんとかたちのあるものだ。

 可純の机の中には、まさにそれが入っている。

 それ――。

 あのとき紗羅が去った後、その場に残されていた彼女のハンカチが……。

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