5.アベルは教育される。
アルフォーレの契約書に署名をしたあの日から、約一ヶ月。アベルは毎日のようにアルフォーレが運営する喫茶店、ヘブンバーヘ通っている。アベルが店に来るとすでに何人か客がいて、お洒落な外見をした人々がグラスをかかげていた。ルアは、すでにアベルの席を用意してくれていた。
「今日もよく来たわね~。」
ルアは甥っ子に話しかけるかのようにアベルに話しかけてくれる。面倒見のよさそうな性格だ。
アベルが席に着くと、コップいっぱいにオレンジジュースを注いでくれた。アベルの好みもよくわかっているらしい。
アベルの国では果物の価格が高いので、幼い頃は果物を食べたくても食べれないことが多かった。ヘブンバーでオレンジジュースを口に含んだ瞬間、しばらく味わえていなかったオレンジの風味が口で弾け、アベルの心を動かした。その日以来、ここに来るとルアは毎回オレンジジュースを用意してくれる。オレンジを買うのもそれなりに高いだろうに、サビースが良さ過ぎる。
「ありがとう、ルアさん。」
アベルはルアを姉のように慕うようになっていた。ルアは、ヘブンバーの女王、といわれている。まず、色気がすごい。琥珀色の瞳に、いい匂いのするラベンダーの髪、透き通るような肌、リンゴの実のような胸、長い爪先。ありとあらゆる女性要素をギュと詰めたような人だ。すべての男性は無条件に彼女にドキリとする他ないと言うわけだ。既婚者の奥さんには、ぜひ許してほしい。これは仕方のないことだ。
「今日は何を学ぶの?」
ルアが、返却されたグラスを丁寧に洗いながら聞いた。
「貴族の礼儀をやるんだって。」
アベルはオレンジジュースに口をつけた。キンキンに冷えている。
アベルはあの日、アルフォーレに嵌められて、とある契約書に署名をした。
その内容は、要約すると以下の通りだ。
その一 契約者は得たい情報を依頼することができるが、変わりに有益な情報を提供しなければならない。
その一 契約者がもし有益な情報を持っていない場合、その分の奉仕をしなければならない。
その一 奉仕をしなければならない場合、奉仕に必要な知識や能力が不足していれば教育を受けなければならない。
アベルは当然有益な情報など持ち合わせていなかった。
なので、アベルが毎日のようにヘブンバーに通う理由―――それはまさしく、教育を受けるためだ。教育は、ギルド長であるアルフォーレが直々にすることもあれば、他のギルド員が担当することもある。学校に通ったことのないアベルからすれば、教育というのがとても面白かった。
この一ヶ月で、アベルは様々な分野に渡り教育を受けた。初めは、文字を習うところから始まった。アベルは簡単な文字くらいなら読み書きできたが、画数が多かったりあまり見かけない文字はできなかったので、それをルアに教わった。ルアの丁寧な教えにより、アベルは二日で文字をマスターする。それをアルフォーレに伝えると、微妙な反応をされた。半信半疑であったようだが、ひとまず文字意外も習おうと言う話になり、次にアベルは算数というものを習った。これも、三日ほど習えばある程度の公式や数式が使えるようになって、もうこれ以上はやらなくていいと言われてしまった。国の戦争歴、護身術、生物学……次々と新しいことを習った。その中でも面白かったのが、魔術器具の取り扱いについて学んだときだった。なんと、アルフォーレの髪も、魔術器具によって朱色に染めているらしい。
魔術器具の取り扱いについては、マハルという青年が教えてくれた。マハルはマッシュルームヘアに、顔にそばかすのある、まだ年も比較的アベルと近い17歳のギルド員だ。彼は魔術器具についての知識が豊富だった。
「いいか、魔術というのはな、機械ではない。が、機械を通してより効率的に効果を発揮させることができる。」
マハルは円形の小さな小型器具をポケットから取り出した。
「これは、目の色を変えることのできる魔術器具だ。変装の時とかは、これを使う。」
マハルはその器具を使って見せようと、自身のまぶたに器具を当てた……が、目の色は変わらなかった。アベルはあれっ?と思った。
「見ろ、この器具単体では役に立たないだろ?でも、この器具には魔術式が組み込まれている。なので、魔術式の起動さえうまくできればいいのだけど―――。」
マハルが怪しげに言った。
「どうやって起動するのか、わかるかい…………?」
「………………!!!」
アベルは首を振った。何か、高度な技術でも要するのだろうか??
マハルはフッと笑う。
「…………電源をいれればいいのさ。」
そういって、取っての部分にあるボタンをカチッと押した。とたんに、その円形の器具の先端から光が出た。目をその光に照らすと、マハルの藍色の目がみるみるうちに琥珀色に変わっていく。
「ほらな、こうして使うんだ。魔術器具の使い方は、簡単。電源を押すだけ。正直これがちゃんと授業になってるかわからないけど――。」
この世界には、魔術というものが存在する。と、言っても、大部分器具を通して、便利な器具として使われている。例えば、トイレや冷蔵庫。そして、アベルが署名した契約書も、魔術でできていたらしい。もしアベルがアルフォーレの用意した契約に従わなければ、アベルの指一本弾け飛ぶという仕組らしい。しかも、どの指が弾け飛ぶとかはランダムで決まるらしい。お陰さまでアベルは毎日ヒヤヒヤしながらバーに通っている。このように、日常の中に潜む魔術について、マハルは詳しく説明してくれたのだった。
それが二日前だったのだが、今日はアルフォーレ直々に貴族の礼儀について教えてくれるらしい。アルフォーレが来るまでの間はここでオレンジジュースを堪能しているのだ。
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「アベル、よく来たな。」
ベブンバーのひっそりとした地下の部屋。明るい証明の下で、アルフォーレが深刻そうにいった。アルフォーレは黒ウサギの仮面をつけているときはすっかりギルド長モードなのだが、そうでない普通の時はただのチャラいおじさんだ。今はチャラいおじさんモードのようだ。
部屋の中は何かの書類で散らばっている。アベルは踏まないように慎重にソファに腰かけた。
「さて、お前が教育を受け初めてもう早一ヶ月がたった。」
アルフォーレが机に肘をつけ、前屈みになる姿勢を取った。アベルはなんの話だろうかとごくりと息を飲んだ。
「お前に言うことは他でもねえ。今日から3日間、お前には貴族の礼儀100を学んでもらう。3日で、だ。3日で完成させなきゃならねえ。」
3日で貴族の礼儀を100覚えろ、とアルフォーレは言っている。アベルの覚えの早さを見通してのことだろう。アベル自身、さほど難しいことではなかった。だが、アルフォーレのただならぬ緊張感が、アベルの余裕さを圧迫する。
「なんで、3日なの?」
アベルは思わず聞いた。アルフォーレは淡々と答えた。
「3日後に、実践に出てもらう。依頼人との契約期限がもうそろそろで切れそうだ。時は一刻を争う。依頼人との契約を果たさなければ俺の指が一本弾けるじゃねえか。」
アルフォーレがブルルと震えた。アベルに同じ契約をさせておいて、呆れたものだ。
「なあ、俺はお前の可能性にかけてるんだぜ。なんのために一ヶ月も教育したと思ってるんだ。実践で役に立たせるためだろうが!頼むよ、アベル!!!今回の依頼主、ちょっと恐いんだ。」
アルフォーレが指を押さえて震えた。なかなかの怯えようだ。おそらく、アベルをあの日店でスカウトしたのも、これのためなのだろう。まったく、仕方ない人だ。
「ハイハイ、わかったよ。」
アベルはため息をついて、これから3日後のことに思いを馳せた。
実践か…………―――。
情報ギルドも、楽ではないのだと、この時思った。




