4.アベルは嵌められる。
アベルは黒ウサギの仮面を着けた男が誰なのか、瞬時にわかった。あの時、名刺を渡した男だ。髪色もあの時の黄土色ではなく朱色になっているが、ニヤリと笑ったその唇の形は確かにあの時と同じだった。
「アルフォーレ、どういうつもり?」
先に、お姉さんが声をあげた。まるでアベルを守るようかのように、腕を広げてアベルの前に立っている。
アルフォーレ、と呼ばれた男は薄ら笑いを浮かべた。
「ルア、私にも考えがある。」
この綺麗なお姉さんはルア、という名前らしい。華やかな雰囲気が、名前に合っていると思った。ルアはラベンダー色の髪をかき分け、キリッと言った。
「こんな小さな子を巻き込むなんて!!人外!鬼畜!」
だが、並べたような悪口にもアルフォーレは微動だにしない。むしろ、この展開を楽しんでいるかのようにも見えた。この部屋に飾られた高級そうなインテリアが、さらに彼の神秘性を底上げさせる。このインテリア達は、すべて彼のために存在しているかのようだ。
いきなり、椅子に深く腰をおろしていたアルフォーレが立ち上がったと思えば、細長く、頑丈そうな手を顔にのばした。そして、ゆっくり、静かに仮面を外した。
彼が仮面を外すのを、アベルは知らず知らずのうちに息を止めて見守っていた。呼吸音も聞こえないくらい、彼の一挙手一投足に全集中していた。
「私は彼の持つ可能性にかけたわけだ。」
アルフォーレの声が、部屋に響いた。普通の音量で声を発したのだが、部屋の中があまりにも静まりかえっていたせいで、やけに大きく聞こえる。
コツ、とルアのヒールの音が響いた。
「あなた、何考えてるの?」
「私は、彼が望むものを叶える所存だ。私は二日前、彼を初めて見たとき、彼の顔に微かな悲しみがあるのを感じ取ってしまった。何かを求めた顔をしていた。何か、知りたがっていた。それを見たとき、彼こそが私の客であると思ったのだよ。」
アルフォーレがバッと両手を広げた。アベルはびくりと肩を上下させた。
「だから、君を情報ギルドヘ招待したんだよ。」
アベルは体が痺れるのを感じた。いや、痺れに似た、衝撃--。アベルが求めていたような、求めていたものを探したときのような、そんな感覚。強いて言うなれば、父親が隠したへそくりを見つけてしまったときの快感だろうか……何か、それと似たような強い刺激を感じる。
「何をしてくれるの?」
アベルは思わず問う。
アルフォーレはニヤリと笑った。
「君が望む情報を差し上げよう。そう、例えば…………。」
シンと静まり返った部屋に、彼の声がはっきりと聞こえた。
「君の、実の親を探したり、だとかね。」
何度思ったことだろう。僕は誰の子、と。時間が立つほどに、それはアベルの悲しみになっていった。自分はいらないから捨てられたのだ、愛されないから捨てられたのだ、と。生みの親を求めれば求めるほど、それは叶わない夢なのだと現実が見せてくれる。求めれば求めるほど、育ての親に罪悪感が湧く。いっそ、このままなにも知らない方がよいのでは…………。そうして、自分の気持ちに蓋をしていたのかも知れない。でも、本心ではまだ、実の親を探していたのだ。もがき、苦しんでいたのだ。
アベルにとって、それは衝撃だった。体に流れる電流と同じだった。
アベルの表情を読み取ったのか、アルフォーレは悪くないと思うが、と呟いた。そう、悪くない。アベルがずっと知りたかったことだ。だが、
「何だか、お母さんに、申し訳なくて、、、」
アベルを拾い、育ててくれた母、ユフィーナ。生みの母ではないはずなのに、なぜかたくさんの愛を注いでくれた。それなのに、その母を裏切られるのか。
アルフォーレが甲高い声で笑った。狂った人のように、発狂したように……。
「真実を知ることが、そんなにも悪いことなのかい?自分自身を圧し殺してまで真実を知ることを拒むと言うのかい???全くもっておかしなことだ!!!」
耳にガンガン響いて、アベルは思わず体をのけ反らせた。部屋を明るく照らす橙色のランプに目がチカチカして、頭がくらりとした。この男は今、アベルの中で長年の間に構築された常識を覆そうとしている。
「またとないチャンスだと言うことを君はわかっていないようだ。チャンスは一度逃すと、そう簡単に二度目は来ない。」
アルフォーレの言葉は、確実に、深く、まだ純粋なアベルの心に刺さっていた。
頃合いを見て、アルフォーレは言う。
「それでも、いいのかい…………!!?」
アベルは激しく首を振った。
「よくない…ッ!!!いいはずが、ない…!!!」
アベルの本能が言っている。このチャンスを、掴めと。
逃すものか、逃してなるものか……!
「あなたが、本当に探してくれると言うのなら、お願いしたい、です。」
「よろしい、いいだろう。」
アルフォーレは快く承諾した。情報ギルドと言うのは、もとよりこんなに安売りするものなのだろうか。ただ、彼がいい人なのかも知れない。アベルは少し感動して、アルフォーレに跪きでもしようかと思った。
「了解したなら、この契約書に署名をしてくれたまえ。かわいいお客さんにも、守らねばならぬ規則と言うものがあるのでね。」
アルフォーレはデスクの上に置かれていたペンを、手の巧妙な動きで回転させながらアベルに渡した。そして、契約書をつきだし、アベルにサインをさせた。
アベルはユフィーナの熱血指導で簡単な文字なら読めるよう教育されたため、たどたどしくはあったが自分の名前を書くことはできた。部屋には、アベルがペンで字を書くカリカリとした音だけがした。
アベルが署名を終えると、アルフォーレは満足げに契約書を引き出しにしまった。これで、実の親を探してもらえるのだ。アベルは感謝と期待の念を込めた目で、アルフォーレを仰ぎ見た-----
が、
「ただで、とは言ってないがね。」
現実はやはりそう甘くないと言うことを、思い知らされることになるのだ。
「やっぱりね、あんたならその手口だと思った。」
ルアが深くため息をついた。
「卑怯ものだからね。」
「卑怯とは、失敬な。」
先ほどまで希望と期待に胸を膨らませ、暖かい気持ちに包まれていたアベルは、全身が冷えていくのを感じた。
一体、何が起きたんだ、、、?
「なぁに、そう難しいことはないさ。」
アルフォーレは黒ウサギの仮面を、手に取った。
それを再び顔につけるまで、すべてがスローモーションに見えた。
「君はまだ純粋だね。良くも、悪くも……。」
アベルは凍りついたまま、アルフォーレを見つめるしかなかった。




