20.偽伯爵令息は心配される。
一度屋敷に戻ったあと、アベルはアンドリューとの約束のためにまた馬車へと乗り込み、公爵家へと向かった。アルフォーレが言うには、面倒くさくはあるがこんな手間も騙すには必要らしい。さすがはプロフェッショナル。おかげでアベルは睡眠不足だ。
馬車の中ではガッツリ寝てしまった。馬車の中の記憶がほとんどないのは、それくらい疲れていたのだろう。アベルが時々目を覚ますと、カイは少し目をつぶっていた。寝ているのかはわからないけど、仮眠くらいは取っているのだろう。目をつぶった姿もかっこいい。
馬車が公爵家に到着すると、さっきまで寝ていた人とは思えないように身を整え、何事もなさげに馬車を降りた。ひとつコツを言うとしたら、降りる前の口臭スプレーは特に重要だと言うことだ。寝ていると口が臭くなるため、気を付けるのが特だろう。会話をするときに口臭が漂うと不快な気持ちにもなるため、人との仲を取り留めておくには口臭ケア必須だ。気を付けよう。
一昨日の生気を抜かれた感じのメイドがまたもやお出迎えをしてくれた。なんだか、やつれ具合がゾンビみたいだ。少し怖いなぁと思いつつも、一昨日の今日なのであまり緊張しなかった。同じ道をたどって公爵家の屋敷に入り、不気味な廊下を歩き、三階までたどり着く。
メイドがアンドリューの部屋を三回ノックした。
「お坊っちゃま。ルシアン伯爵令息様が来られましたが。」
「…………通せ。」
ドア越しにアンドリューの返事が聞こえてくる。メイドはドアノブを掴み、ゆっくりと扉を開けた。
まず目に入ったのは、眩しい光。カーテンが開かれ、日が部屋の中を照らしている。そして、今日のアンドリューはベッドの上ではなかった。白シャツにカーディガンといった清潔な服装に身を包み、小さな円形のテーブルのところで椅子に腰掛け、上品に紅茶をすすりながら新聞に目を通していた。この前の真っ青な顔色でベッドに横たわるアンドリューはどこにもいなかった。
アンドリューは新聞から目を離し、チラリとアベルを見た。
「君も、ここに腰かけたらどうだ?」
アンドリューがさりげなくアベルに席を勧める。よく見るとちゃんと二人分のカップを用意してくれていた。なんでかわからないけど、とても感動的だ。アベルを友達と認識してくれたのだろうか。アベルはにやにやした口元が見えないように、ずり落ちたメガネを直す振りをした。
「喜んで。……わざわざ用意してくれてありがとう。」
「…………別に。」
さりげなく答えると、アンドリューは視線を新聞に戻した。何を読んでいるのだろうと通りすがりにチラリと中身を覗いてみたのだが、難しくていまいちよくわからなかった。でも、経済についての内容だったのは確かだ。特に面白くなさそうだったが、アンドリューは黙々とそこに目を通している。
「何を読んでるの?」
アベルは椅子に腰かけ、そのままアンドリューに尋ねた。
「ドレフ伯爵家に泥棒が侵入したって記事だけど。」
アベルはドキンとした。いやいや、アベル達は泥棒ではない。ただ調査の目的で侵入しただけだ。決して彼らの財産には手をつけていない。
「泥棒はすぐ捕まったらしい。だが、ドレフ伯爵家の警備はどうなっているんだろう?こんな泥棒に侵入を許してしまうなんて、警備ががばがばすぎる。」
あなたの家も大概ですけどね、とアベルは思った。
アンドリューは新聞を丁寧に畳み、紅茶の横にそっと置いた。アベルはそれを何となく目で追ってしまう。
アンドリューは紅茶を手に取り一口すすった。そしてアベルをチラッと見て、
「君も飲んだらどうだ?」
とお茶を勧めた。
なぜだか、その行動に自信とゆとりが見える。今までに少し感じていた『切羽詰まった感』が今日のアンドリューからは感じかれなくて、驚いた。まるで別人を見ているかのようだ。
アベルも紅茶に手を取り一口、口に入れた。アールグレイだ。アルフォーレがよく飲んでいるお茶。まだアベルにはこのお茶の美味しさがいまいち分からないのだが、いつかこのほろ苦さをわかる日が来るのだろうか?
考え込んでいると、ふとアンドリューが真っ直ぐな眼差しでアベルを見ているのに気がついた。
「ルシアン。」
「はい!」
サックスブルーの瞳にアベルのなんとも言えない顔が映る。
「疲れているのか?目がやつれているし、ボーッとしてる。」
まさか、バレていたのか……??
アベルは一瞬目を見開いたが、すぐさま笑顔を取り繕う。
「やだなぁ。そんなことないよ。」
「いや、嘘だ。」
どこから湧いてくる確信なのかわからないが、アベルの言葉をきっぱり否定したアンドリューは眉をひそめてアベルの顔をじっと見つめた。顔に穴が空いてしまうのでは思うくらい見てくるので、見られている側はどうすればいいのかわからない。アベルは視線をさりげなく下に落とし、極力視界にアンドリューが入らないよう努力した。
「寝てないだろう?」
ドキドキッ!!!
緊張して思わず頬が赤くなる。アベルの火照った顔を見て、アンドリューは確信した表情でアベルの腕を掴んだ。
まずい。
アベルはその手をほどこうとした。が、アンドリューはガッチリとアベルの腕を掴み、決して離そうとしなかった。
もし、ここでバレたら。
すべての計画が台無しになってしまう――――!!!!
「お前。」
アンドリューが口を開いた。
アベルは目をギュッと閉じる。心臓の鼓動がやけに鮮明に聞こえる。焦りで、呼吸が浅くなる。
もしアベル達が昨夜公爵家に侵入したことがバレてしまえば、ただではおきないだろう。相当な報復をされるかもしれない。せっかく掴んだアンドリューの信頼も失ってしまうし、何より彼の失望した顔を見たくない。
ここで、バレたら―――。
「ここで休むか???」
アンドリューの口からは、優しげな口調でその言葉だけが放たれた。アベルを非難する言葉なんて、何ひとつない。
「え????」
思わず聞き返した。
「だから、」
アンドリューは言いかけたが、「もういい。」と言って口を閉じ、強引にアベルの手を引いて自分のベットまで連れていった。
「ここで休め。」
「は????」
何を言っているのか、理解できない。
「ルシアンの顔に深刻なくまができている。これは寝ていないと言う証拠だろう?」
「はあ。」
「昨日何時間寝たのかわからないけど、人間は最低6時間の睡眠は取らないといけない。この時期いろいろ準備などで忙しいのだろうけど、君はもっと自分の身体の健康を考えて行動しなよ。」
「はあ。」
「健康に勝るものはない。何度か毒を盛られた僕が言う言葉だ。まさか疑うなんて言ったりしないよな?」
「えっと、はい。」
アンドリューは盛大なため息をついた。
「だから、休め。」
……。
…………。
はい????
「どうやって休めばいいの???」
「は?ルシアンはベッドの使い方もわからないのか??」
「は?」
ベッドで休んでもいいってこと???
アベルが動揺しておろおろしていると、見かねたアンドリューがアベルの肩を掴み、思い切りベッドに押し倒してきた。これじゃあラグビーみたいじゃないか。
「……ずれた。」
アンドリューがアベルの頭の位置を枕に持っていけなかったことで悔しそうにしている。
いや、いきなり押し倒すからね???なんでそうわざわざちょっと痛いやり方でするかなぁ。
と言うか、本当にアンドリューのベッドで休んでもいいと言うことなのか?
アベルが目を丸くして身体を固くしていると、呆れたようにアンドリューがため息をついた。
「僕は、疲れているのに僕と会うことでさらに睡眠時間が減ってさらに疲れる君の姿を見たくはない。僕は、リラックスした姿で君と時間を過ごしたいんだ。だから今は休んでくれ。」
「ア、アンドリューくん…………。」
アンドリュー照れたように顔を赤くし、ベッドに設置されている日光遮断のカーテンに顔を隠した。ツンデレなのかもしれない。なんだか、だんだん優しい面が見えてきて不思議だ。
アベルはベッドの上で微笑んだ。そして、瞬きをしようと目を閉じた瞬間、意識が遠退き……………………。
『アベル、起きろ!』
アベルが意識を取り戻したのは、耳元で大声をあげるマハルのおかげだ。はっと目を開けると、頭がすっきりしていた。
そうだ。アンドリューのベッドで寝ていたんだった。
部屋にアンドリューの姿は見当たらない。
「どれくらい時間が経った?」
『一時間くらいだ。』
マハルが答えた。
『アンドリューは五分前に部屋を出ていった。なんか、君の寝顔をずっと見てたけど。』
「きっと僕の寝顔が美しかったんだよ。」
『自分で言う?ま、そうなんだろうけどさ。』
マハルが呆れたように笑った。
『とにかく、部屋の外に出よう。』
「なんで?」
『アンドリューがいない隙にもう一階屋敷の中を確認するんだよ。前行ったとき暗くてはっきりとは見えなかったからさ。誰かに見つかったらトイレに行こうとしたら迷いましたって言えばいい。』
「ええ…………。」
そう軽々と屋敷を歩いていいものなのか。特にここはグリムヴァルトの屋敷なので、警戒するに越したことはない。部屋で待機した方が言いと思うのだが。
アベルは行きたくなかったが、マハルの催促する声にどうしようもなかった。なんせ超小型通信機が耳元にあるものだから、耳元で騒がれでもしたら耳がキーンとなって痛い。
だから、「ちょっとだけだからね??」と言う条件付きで、三階のみを探索することにした。
まず、アンドリューの部屋からでないといけない。別に出るだけなら殺されないよね、と言う思いのもと、恐る恐る扉を開け、周囲を確認する。そして恐る恐る部屋から足を出した。
『右に行ってみよう。』
アベルは右へと進んだ。廊下の中央まで行ったところで、ふと壁を見ると不気味な絵が飾られていた。真っ青な青と黒で描いたバラ。なぜか不気味で、なぜか目が離せない。その一枚だけが飾られていたのが、また不思議だった。
「ルシアン?」
アベルが呆けているうちに、驚いたようなアンドリューの声がした。アンドリューは目をぱちくりさせてアベルを見ている。
「起きたのか……。その絵が気に入ったのか?」
「ん…………まあね。」
アベルは適当に答える。否定したところで、気まずくなるだけだ。
「どうして絵がひとつだけあるの?」
「各階層にひとつずつ飾ってあるんだ。もしかして、他の絵も見たいのか?」
アベルは言葉につまった。特に見たいとは思わないが、ここで断るのも変な気がする。
『肯定して!他の階にも行けるってことじゃないか!』
アベルはあわててうなずいた。
「見たい!ものすごく興味がある!」
「僕には良さがそんなに良くわからないけど…………見たいって言うなら。」
アンドリューは肩をすくめると、中央階段を指差して言った。
「ついてきて。案内するよ。」
二階も一階も、公爵家に飾られた絵はどこか不気味だった。二階は紫と黒の二色で塗られたリンゴの絵だったが、食欲がそそられるなんてことは全くなく、むしろ今日はアベルのお腹に何も入ってこなさそうな、気色悪さが際立っている。この前潜入したときには暗闇で見えなかったのが、明るいところで見るとこんな不気味だったなんて。もしこの前の潜入の時にこの絵を見てしまっていたら、緊張と合間って気絶していたかもしれない。
なぜこんな絵を飾るのかと聞くと、アンドリューは肩をすくめながら
「父の変な趣味だよ。」
と言って、本人も嫌そうな目で絵を見ていた。
一階の絵は、赤と黒の二色で女性の絵を描いていた。かなり生々しい。ここの公爵家の一家は一体何をしたいのかわからなくなってくる。血のような鮮やかな赤が、絵に描いた女性を絶望へと落として行く。
「……変だろ。」
アンドリューがぼそっと呟いた。
「兄が飾りたいと言ったんだ。この絵がお気に入りなんだって。」
「…………へえ…………す、すごいね。」
何がすごいのかわからないが、これ以上の反応を返すことができなった。この絵に関しては見たくもなかったのか、アンドリューは絵から顔を背けた。
アベルはもう一度その絵を全体的に目に納めた。そのとき、何かの違和感がアベルの視界に突き刺さる。
黒い絵の具で塗りつぶされた部分…………絵に、隙間がある…………????
ヒヤリとした空気が、アベルの頬をかすった。
「ルシアン、もう行こう。」
アンドリューがアベルの手を掴んだ。この場にいたくないようだ。アベルはおとなしくその手に引っ張られる。
三階まで引き返したところで、アンドリューがやっと手を離した。
「絵はもう十分か?」
アンドリューが聞いた。
アベルはうなずいた。
「ちょっと、変わった絵だね。」
正直に感想を述べると、アンドリューが激しく首を縦に振った。
「ちょっとどころじゃない。かなり変だよ。」
アンドリューは深刻そうな表情を浮かべた。
「僕の気のせいかも知れないけどさ…………あの絵の前を通ると、なぜか人が悲鳴をあげている声が聞こえるんだ…………。かなり絵に参ってしまってるみたいで恥ずかしい話なんだけど…………。」
「悲鳴?」
アンドリューはうなずいた。
「数年前のことだ。そのときも社交シーズンだった気がするが…………その日夜中に目を覚ますと、眠気が完全に覚めてしまって。だから部屋から出て少し屋敷を歩くことにしたんだ。そしたら一階の絵を通りすぎた瞬間、恐ろしい悲鳴が聞こえてきて…………。寝ぼけてただけかもしれないけど、その日から夜は外に出歩けなくなった。」
「…………。」
アベルは重く受け止めた。
アンドリューはやはりこの公爵家で暮らしていくのに、かなり苦労をしているようだ。気苦労が絶えない。
数日前のアンドリューのよれよれの姿を思うといっそう可哀想に思えた。
「さっき、実はルシアンはお手洗いに行こうとしてたんだろ?」
「え?」
「わかってるよ。ただ、僕の話を聞いてほしくて絵を見たいと言わせたんだ。君は、優しいから。」
アンドリューは微笑んだ。その微笑みが、嬉しそうであり、どこか悲しそうでもあった。
「行きたいなら、行きなよ。お手洗いは廊下の突き当たりだ。それと、君の従者は待合室で待っている。君は疲れているみたいだから、もう帰ってゆっくりしなよ。じゃあね。」
アンドリューはそう言って、部屋へ戻ってしまった。今日はただ寝て、絵画を鑑賞して、アンドリューとの時間が呆気なく終わってしまった。アンドリューは、失念しただろうか。アベルがもっと元気に振る舞っていれば、もっと楽しめただろうか。
アベルはお手洗いに行った後、とぼとぼと待合室まで行こうと廊下を歩いた。
……………………が、頭に鋭い痛みが走り―――――――――
後は、何もわからない。




