17.偽伯爵令息は人間不信する。
「ようこそ、いらっしゃいました。アンドリュー様から伺っております。」
グリムヴァルト公爵家別荘。ドヨンとした雰囲気に、お化けが出そうな古びた屋敷。
出てきたメイドも生気を奪われたかのようで、虚ろな目に歓迎の気持ちがちっともこもっていない挨拶をし、フラフラと中へ案内してくれる。
アベルはかなり不安になってきた。一緒に来てくれる従者がカイでなければ今頃引き返していた。アベルはチラリと横目でカイを盗み見し、従者らしくビシッとした姿勢を保つ姿に安心感を覚えた。本当に何かあったら助けてくれそうだ。アベルはホッとして、また前を見てメイドについていった。
屋敷のなかに足を踏み入れる。なんとも不気味で、薄暗い照明がチカチカと点滅していた。ここは、本当に公爵家の別荘なのだろうか?使用人は管理しているのか?まるでお化け屋敷だ。
清潔さの代わりに広さはかなりあって、アンドリューの部屋は三階にあると言っていた。
コンコン。
メイドがノックする。
「お坊っちゃま。ルシアン伯爵令息様がいらっしゃっております。」
「………………通せ。」
中からくぐもった声。メイドはゆっくりと扉を開いた。
先に目に映ったのは、グレーの壁。そして、真っ黒なベッドの上に横たわるアンドリュー。なぜか気分が悪そうに見える。顔が真っ青だ。
「………アンドリューくん、大丈夫?」
アベルはベッドに近寄った。アンドリューが起き上がる。
本当に気分が悪い人の顔をしている。目の下にはくま、唇は紫色だ。今にも死にそうな人の顔をしている。
アンドリューはうなずいた。
「…………何とか生きてるよ…………。」
死にかけたとでも言っているような言いぶりだ。恐ろしい。
「一体なにかあったのさ??昨日は元気そうだったのに!」
アンドリューは弱々しく笑った。痛々しすぎる。アンドリューは部屋の隅にいたメイドを下がらせ、アベルとカイだけを残し、ようやく口を開いた。
「お前は、昨日見てしまったからな…………。お前にだけ、教えてやる。ただし他のやつには言うな。」
アベルはごくりと息を飲んだ。あの刺客に関する話をするつもりなのだろう。アンドリューは目をうつむかせた。
「僕は、これまでも刺客に狙われ続けていた。それも、決まってエステ公爵家のお茶会に参加するときだけ、だ。」
「えっ。」
そうなのだろうと、予測はしていた。だが、実際に本人の口から聞くのと、ただ予測するのとでは恐ろしさが違う。予測が確実になったとき---それが、こんなにも恐ろしいだなんて。
アベルは背筋がゾクリとするのを感じた。
「僕はこれまでは何とか刺客を巻いて逃げきることに成功していたんだ。ギリギリだったけど、それでも護身術は習っていたから。今日みたいにトイレに行ったときに狙われることもあったし、帰りの馬車で待ち構えていたことだってあった。今回の刺客はいつもより少し素早かったけど、前のはそんなに強くなかった。まるで、本気で殺そうとする気はないみたいに。」
それって…………。
「嫌がらせ??」
自然と口から出た。ただ嫌がらせのためだけに刺客まだも使うなんておかしな話なのだが、充分ありえそうだ。実際に昨日だって、なんだか手加減するような、本気で殺そうとしていないような違和感があった。
アンドリューは顔を曇らせた。
「そう…………なのかもな。」
「何で他の人に言わないのさ??君、公爵令息じゃないか!周りの大人に言うとか、昨日だってエステ公爵家の誰かに言えばよかったのに!」
アベルが高ぶった感情で言うと、アンドリューはさらに表情を曇らせた。
「ルシアン、君は父上がどれほど残虐で恐ろしい人なのか知らないからそう言えるんだ。」
アンドリューは手を握りしめる。
「僕は考えたくないよ。もし僕が父上に報告したら、そのあと何が起こるかなんて。」
確かにそうだ。もしアンドリューがカーネリウス・グリムヴァルト公爵にそれを言ったり、何かの形でその事が公爵の耳に入ったりしてしまえば…………。
『噂通りなら、エステ公爵家の人間に報復するだろうね。拷問、虐待……いろんな手段で……。そして、公爵家の品位をおとしめようと企てたりするんじゃないかな。』
もしそうなってしまえば、エステ公爵家の立場が危うくなってしまう。アンドリューはそれを考慮しているのだろうか。アベルはアンドリューの強ばった顔をそっと見つめた。まさかそこまで考えていたなんて……。
「ルシアン。」
アンドリューがアベルを呼ぶ。アベルは実名ではないその名前に反応し、顔を上げる。アンドリューと目があった。サックスブルーの瞳がアベルの不安な表情を映し出した。
「だから、皆が僕のせいで不幸になっていくところを見たくないんだ。もちろん父上を止められるならそれが一番なんだろうけど……。でも、今は僕が我慢することが一番だからそうするしかないんだ。誰にも言わないでって、ルシアンに頼むもの自己中心的な考えだってわかってる。でも、わかってほしい。」
「……どこか、自己中心的なんだよ。」
アベルは思わず睨んだ。
「皆のために自分が我慢するなんて……そんなの、他人を思っての事だろう?そんなことできるやつなんて、そういないと思うし……ずっと一人で戦ってきたなんて……そんな………………そんなこと…………。」
いっそうアンドリューが痛々しく見えてきた。こうして一人でベッドに横になるのも、慣れているのだろうか?アベルがしんどいとき、体調がよくないときは、いつも横に母がいたというのに。
アンドリューは、こうやってずっとひとりだったのだろうか?父にも、母にも頼れず。そんなのたんまりじゃないか。
アンドリューはぽつりと言った。
「そうか、、、」
寂しげに見えるのは、気のせいじゃないのだろう。アンドリューは布団の端をギュッと握りしめた。
「一体誰がアンドリューくんを狙ったんだろう……。」
アベルがボソッと呟いた。
「それは、わからない。」
アンドリューが答える。
「ただ、いつもエステ公爵家のお茶会に参加するときだけ狙われるんだ。」
「なら、まさかエステ公爵家の人間……???」
アンドリューが首を振った。
「いや、なら不用心すぎないか?自分が怪しまれるのにわざわざ自分が招待したお茶会で客を殺そうとするなんて、いくらなんでも頭が悪すぎる。」
「た、たしかに……。」
言われてみればそうだ。エスタ公爵家からすれば、是非ともうちを疑ってくださいと言っているようなものだ。相手はグリムヴァルト公爵家の次男だと言うのにいくらなんでもリスクが高すぎる。
「僕の考えでは、三つ候補がある。ひとつ、エスタ公爵家。だがさっきも言った通り可能性はほぼないだろう。万が一公爵家だった場合、相当のバカだ。そして、二つ目は外部からの刺客。これは少しあり得る。どこかに公爵家に潜入できる抜け道があるなかもしれないし、使用人に化けてチャンスを伺っているのかもしれない。だけどグリムヴァルトまではいかないとはいえ、エスタもそれなりに保護結界は張ってあるだろうし、可能性は薄いかも。」
「なら、三つ目は??」
アンドリューは顔を暗くした。あまり言いたくなさそうな表情だ。相当な相手なのだろうか?アベルはアンドリューが口を開くのを待った。
10秒ほどの沈黙の後、アンドリューは声をひそめていった。
「三つ目は、多分だけど……昨日招かれた令息の中に仕掛けた人がいるのかも。」
アベルも、薄々わかっていた。お茶会に来る度に、というのは、毎回同じ令息達に会っていると言うこと。その中にアンドリューを狙って刺客を忍び込ませた令息がいるのかもしれない。あまり考えたくはない可能性ではあったが……。
背筋がゾクリとした。昨日会った人の中に悪意を持って人を殺そうとしたいる人がいたと考えるだけで、恐ろしさを感じる。
アンドリューはそんなアベルを見てふっと笑みを浮かべた。
青白い顔にわずかに血の気が見える。
「君は純粋なんだな。」
「え?」
「いや、悪い意味で言ったわけじゃなくて。」
なら、どういう意味だろうか?
首をかしげると、アンドリューはため息をついた。
「いつも僕の周りにはドス黒い思惑を持ったやつか、敵意があるやつか、僕を怖がる人しかいなかったから新鮮だなって。」
さらっと悲しい事実を口にする。アベルはどんな反応をとれば良いのかわからなかった。アベルが狼狽える姿にもアンドリューは顔を緩ませ、くすりと笑った。あれ、とアベルは気づいた。なんだか、だんだんアンドリューが口数が増えているみたいだ。リラックスしているように見えるし、表情も穏やかに見える。昨日とは違い、自分の部屋にいるせいなのかも知れないが、アンドリューがなんだか昨日とは別人のように思えてきた。なんだか不思議だ。ただ表情が違うだけで、別人のように見えるなんて。
「まあ、とりあえずそういうことだ。」
気まずくなったのか、アンドリューが赤面して言った。
「自分でもこんなに話すなんて思わなかったけど……………まあでも誰かに聞いてもらえてよかったよ。」
「聞かせてくれてありがとう。」
アベルはにっこり微笑む。ところでさっきから気になることがある。
「ねえ……アンドリューくん、今日はどうしてそんなに体調が悪そうなの?」
「昨日のお茶会でお茶にわずかな毒が仕込まれていたみたいだ。」
「え????!」
アベルは驚いて目を丸くした。お茶に仕込まれていたと言うことは、アベルも飲んでいたのかもしれない。
「昨日僕がいっぱい飲んだからこんなったんだ……多分、一杯だけなら問題ないと思う。」
青白い顔色でアンドリューが笑う。
いや、…………………………。
早く、休んで!!!!
アベルは青白い顔色のアンドリューといるのがなんだか申し訳なくなり、「早く休んで!」と言いながらそのまま別れることにした。帰り際、アンドリューがベッドの上からアベルの名を呼んだ。
「ルシアン。また……来てもいいぞ。」
ありがたいことに、明後日もアンドリューの邸宅に伺うことになった。その頃にはアンドリューも回復しているだろう。
アベルはグリムヴァルト公爵家の屋敷の中を慎重に見ながら廊下を歩いた。斜め後ろにいたカイがアベルの背をつつく。
「目をキョロキョロさせるな。怪しく見えるぞ。そういうのは俺のすることだ。お前は、人の家に遊びに来た令息みたいにただ普通にしてればいい。」
確かに、不自然だったかもしれない。さすがカイ、頼りになりすぎる。
その日、アベルとカイはただただアンドリューの見舞いに行っただけだった。
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「なんだと???アンドリューの友人?????」
夕日がわずかに差し込む薄暗い作業室。血の臭いが染み込んだ空気が緊張感を帯びる。蛇口から数滴零れた水は、ボトッと埃にまみれた床に落ちる。そこは、踏み込んでは戻れない、死の作業室だ。
「そうか……。」
男はニヤリとした。
血飛沫がにまみれたその顔を歪ませ、不気味な声で笑う。
血にまみれた姿は、まるで悪魔のようだった。




