11.偽伯爵令息は動揺する。
失敗したのか…………???
あまりにも呆気なくて、放心してしまう。心急ぎすぎたかもしれない。現実味がまだわかず、受け入れられなくて何度も確認する。
――――僕は今、アンドリューに話しかけて、拒絶されたんだよな………………?
はは…と口から渇いた声が漏れる。作戦は、失敗したのだろうか。この一ヶ月、アベルはこの作戦のためだけに教育を積み重ねてきた。ある日は体術を習い、全身筋肉痛になった。ある日は数学を習い、一生分の頭を使った。その努力が、今この瞬間に全て無駄になったと言うのか。アベルは無意識に指を押さえた。……そうだ、契約で指も一本はじけるのだ。それどころか実の親も探してもらえなくなってしまう。そうなると、アベルは一体何のために――――???
足元がぐるぐるして気持ち悪かった。酸素が足りない。吐く息は短いが、吸う息も短い。目の前がぐにゃりと歪んで見える。まるでそこに異世界の空間でもあるのかのように、空間がおかしい。足がブルブルと震える。汗がおかしいくらいにブワッとふきだした。
自分は、誰なのだろう。今はルシアン・モンターニュと言う名の貴族と言うお面を被っているが、その正体はただの平民、アベルだ。さらに、料理屋を営む夫人の息子と言う肩書きをもっている、別の誰かなのであると言うことを、アベルは知っている。本当はユフィーナの息子じゃない。偽物だ。今も、伯爵令息のフリをしている、ただの偽物だ。全て偽りもの、虚栄であるのだ。
だから、自分が誰であるのか知りたかった。
だから、誰の子であるのか知りたかった。
親が自分を愛しても、愛してなかったとしても、誰なのか知りたい。
ただ、それだけのために………………。
なぜだか床が近かった。視界がぐにゃりと曲がる。体が傾く。そのまま、床に倒れ――――――――――
「おい、なにしてんだ!」
ガバッと力強い腕に抱き寄せられ、床に叩きつけられることはなかった。
視界が霞んで、誰なのか分からなかった。が、ただその引き締まった胴体と筋肉のついた腕が、アルフォーレとは別人だと言うことを教えてくれた。
「お前、過呼吸になってんぞ!!!!」
そう言われて、アベルは初めて自分の息が荒いことに気がついた。ハッハッと獣のように吐く息は、浅く短い。息を吸おうとしてもうまく吸えなくて、胸の苦しさだけが伝わってくる。
「落ち着いて息を吐け!!ゆっくりだ!!」
引き締まった筋肉の主は、アベルの耳元で叫びながら必死に訴える。アベルは頑張って息を吸おうと努力をした。だが、スッスッと短くしか吸うことができない。
「違う、吸うんじゃない。吐くんだ!吐かんと吸えんぞ!!」
吐け、吐け。そう言われ、アベルは初めて吐くと言うことを意識した。吐け。心にそう言い聞かせながら、息を吐こうとする。ハアハアと短息だったのが、次第に長く、楽になってゆく。息を吐けば、息を吸うことも楽にできた。少し余裕ができてまだ霞む目を助けてくれている主に向けると、衛兵の隊服を着ているのが目に入った。まさか、城の衛兵が助けてくれているのだろうか。アベルを抱き締め、背中をさすってくれ、ちゃんと言葉もかけてくれる優しい衛兵のようだ。
五分くらい過ぎただろうか、ようやく呼吸の状態も元に戻ってきて、座り込んでいたアベルは立ち上がった。人が来なかったのが幸いだった。もし人が来れば軽く騒ぎになっていたかも知れない。衛兵の人も騒ぎにしないで素早く対処してくれた。全ては、この衛兵のおかげかもしれない。
アベルが立ち上がったので、衛兵も立ち上がり、着ていた隊服を素早く整えた。真っ黒でサラサラした髪に、真っ黒な瞳。どこか陰湿な感じもする。年も、まだ若い。
「あの、ありがとうございました。」
アベルが頭を下げると、衛兵はアベルの耳元で耳打ちするように低い声で言った。
「お前は、お前のすべきことをしろ。諦めるな。機会はまだある。」
アベルが驚いて頭をあげた時には、すでにその衛兵はいなかった。衛兵の言った言葉が、頭を回る。
――――諦めるな。機会はまだある。
明らかに、アベルの状況を理解し、助けようとしてくれている。あの衛兵はただの衛兵ではないのだろうか。アルフォーレが送ったギルド員かもしれない。
ありがたいと思いながらも、これ以上の望みはもうないのでは、と否定的な気持ちになる。アルフォーレによると、グリムヴァルト公爵家は王家の夜会以外はめったに社交パーティーに顔出しすることがないそうだ。社交に興味がないと言うのもあれだが、あまり人との関り合いが好きではないのだろう。気落ちして少しの間放心し、廊下に突っ立っていたのだが「おい。」と後ろから声をかけられて我に返った。
アベルは慌てて姿勢を正し、貴族の令息たる立ち振舞いをすべく優雅な動作を心掛ける。後ろを振り替えると、不機嫌そうな顔が一番先に目に映った。次に金髪の髪が目を引き、ピンク色の瞳がアベルの困惑した顔を映し出した。
「おい、お前。」
年が近そうだが、アベルより背が高く、中性的な顔の貴族令息がアベルを見下げていた。肌には艶がかかり、色白の綺麗な容姿をしている。
だが、アベルが習った貴族の礼儀とはかけ離れた振る舞いだ。初対面の相手に「おい」などとは絶対に言うなと言われていた。と言うことは、この相手はかなり無礼なのである。
「な、なんですか?」
アベルが怪訝そうに言うと、その貴族令息は腕を組んで生意気げに鼻をならし、何の恨みなのかアベルを嫌そうな目でじっと見てきたと思えば一言発した。
「名乗れよ。」
たった一言でもかなり失礼なのだが、アベルはぐっとこらえて「ルシアン・モンターニュと言います。」と名乗った。相手は意外そうな顔をした。
「モンターニュ……。まさかあの辺境伯爵の息子とはな……。似てないが???」
確かにまったく似ていない。と言うか血縁関係がまったくない他人なので当然のことだ。少し心臓が跳ねたが動揺したことが顔にでないように偽の笑顔を張り付ける。
「そうでしょうか?よく言われるのですけど、おそらく母に似たのだと思います。」
そう言いながらまだ顔も見たことない伯爵夫人を思い馳せる。アベルの想像の中で、伯爵夫人の顔はユフィーナだった。
ピクッ、と令息の口端が上がったかと思えば、また鼻をならす。
「そうか?なるほどな。」
まだ名を名乗らない相手にアベルはうずうずして聞いた。
「あの、そちら様はなんと言うのですか??」
「俺を知らないのか??」
「夜会には初参加でして……。」
アベルの言い訳を聞きながら、令息はサラサラした金髪を手でかき分けた。髪の色はアベルの本来の髪の色と近い。ただ、アベルの髪は金髪より少しくすんでいるのだ。
「まあ、名乗ってやってもいいが。俺はヴァンサン・エステ。この王国に6つある公爵家のうちの1つ、エステ公爵家の嫡男だ。」
アベルは思わず納得してしまった。通りで偉そうだったわけだ。自慢げに自己紹介をするヴァンサンに呆れたが、身分が遥かに上である公爵家の嫡男を敵に回すわけにはいかない。アベルはそうなんですか、と驚きながらも歓迎する笑みを浮かべ、失礼のないように振る舞った。
はずなのだが、
「俺、お前が気に入らない。」
ヴァンサンはなぜかアベルを嫌っていた。自慢げな顔から自然にアベルを狙う者の顔になる。何が気に入らないのかわからない。が、アベルが何が失礼でもしてしまったのかもしれない。
すぐさま頭を下げ、謝罪した。
「すみません、気に障ることをしてしまったようで、まだ社交界になれていないと言うこともあり、その……振る舞いの点でまだ未熟な部分があったようなのですが…………。」
「よせ。」
また偉そうにヴァンサンは言う。
「お前が気に障ることをしたのは事実だが、別に謝罪が聞きたいわけではない。」
アベルは眉をよせた。ならどうしろと言うのだ。一方的に気に入らないと言いながら、何がしたいのかわからない。そんなアベルの心境を見透かしたのか、ヴァンサンはその綺麗な顔に微笑みを浮かべ、アベルの肩をポン、と叩いた。
「なあに、ただ名前を聞きたかっただけさ。こちらも挨拶できたし、俺はもういくよ。」
ヴァンサンは言うなりくるりと背を向け、背中越しに手を振った。アベルは唖然としたが、そんなおかしな奴も社交界にはいるもんなのか、と1つ学んだ。
その後、結局アンドリューに話しかけることができないままアベルは王城を後にした。
帰りの馬車は暗い雰囲気だった。アルフォーレが指を噛み、ビートがそれを注意する。アベルは相当気まずかった。アルフォーレはずっとこの日にかけていたし、ここで失敗してしまえばなかなかグリムヴァルト公爵家と会える機会がなくなってしまう。かといって諦めれば、アルフォーレとアベルの指は弾け飛ぶのだ。唯一弾け飛ぶ心配のないビートが帰る途中で鼻歌を歌っていたが、その音のずれた鼻歌がアルフォーレの機嫌をいっそう悪くした。
30分ほど馬車に乗ると、モンターニュ伯爵の王都にある別荘に到着した。別荘といってもかなりでかくて、伯爵家の本家に比べれば小さいのであるが、それでも立派なお屋敷だった。中に入れば少ない人数の使用人が風呂、食事、寝床の全てを用意した状態で待ち受けていた。やはり貴族は違うものだ。感嘆しながら食事を済ませ、部屋でくつろぎながらこれからどうしようと悩んでいたところ、いきなり部屋へアルフォーレが流れ込んできて、アベルの胸ぐらをつかんだ。
「どういうことだ!!!?」
アルフォーレは髪が乱れ、シャツにシワがよっていた。いきなりのことでアベルが驚いて声も出せずにいると、アルフォーレがアベルを解放し、代わりに封筒を突き出した。
「何で、これが届いているんだ。宛先人を見ろ。」
アベルは封筒を受けとり、すごい剣幕のアルフォーレに慌てて差出人を確認する。
『ルシアン・モンターニュ殿へ ヴァンサン・エステより』
なんと、今日夜会で会った、あの生意気な公爵家の嫡男ではないか。アベルは胸がざわりとして、封筒の中身を開けた。
『明日開催される公爵家の親睦会へルシアン・モンターニュ殿を招待します。ぜひお越し下さい!』
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