No.2:魔獣裁判
目が覚めると、薄暗い鉄の箱の中にいた。
(ここは...)
意識が戻ると同時に、身体中を鈍い痛みが襲ってくる。骨の芯まで痺れているような感覚に、思わず息を漏らした。だがお陰で実感した。私はまだ、生きている。
あの時、確かに殺されると思った。日神の一撃、あの炎の竜巻。何もできず、ただ逃げて、殴られて……意識を手放した。あの無力感に比べればこんな痛みくらい。
冷静になって周囲を見渡す。簡素なベッド。銀色の壁。まるで巨大金庫の中に閉じ込められたような空間。天井には監視カメラのような黒い目玉が光っている。無骨なモニターが壁に埋め込まれているのも見えた。どうやら私は監禁されているらしい。しかもよく見れば銃口?のような穴が幾つも空いている。何かあればいつでも殺せるということか。どうやら本当に人間扱いをしてもらえないらしい。
何も無いこの空間で、痛みを和らげるため、時間を潰すためもう一度ベッドに身を沈めようとしたその瞬間――
心臓が脈打つのとは違う、別のリズム。体の内側から侵食されるような気配。感覚の底、意識の奥のさらに奥。引きずり込まれるように、私は目を閉じていた。
意識の深淵――。そこは黒く濁った水面の上。果てのない闇の中に、自分の姿がぽつんと浮かんでいた。寒さも痛みもない空間。だけど、確かに感じる。“誰か”が、こっちを見ている。いや、違う。“何か”が――。ゆっくりと、闇の奥から浮かび上がってくる影。その姿は、あの時私を殺した、あの“魔獣”だった。
全身が黒紫に爛れたような皮膚。無数の眼球と、鋭く割れた顎。身体は異形のまま。だが、その瞳は、私を真っ直ぐに見据えていた。
『ヤット気ヅイタナ』
その声は、言葉にならないほど異質で、不快で、だけどはっきりと理解できてしまう。声帯などない、咆哮と精神の狭間で囁かれるような声。
(何で...何がどうなってるの...?)
『ココハオマエノ精神世界。ドウヤラオマエノ能力デオレヲ乗ッ取ッタト思ッテルラシイガソレハ違ウ。オレハ生物トシテアマリニ強スギタ。オマエノ能力デハオレノ魂ハ消セナイラシイ』
(でも...アンタの身体は結局私が操ってるのよ。アンタに何が出来るのよ)
『精々、オマエガ早ク死ネルヨウニ努力シテミルサ』
笑いながら、魔獣は意識の深淵に沈んでいく。その後の御巫に残ったのは、本当にあの魔獣が身体を戻してしまうかもしれないという一縷の疑念であった。それがヤツが精神に干渉してきたせいで拭えなかったのだ。
「目が覚めたようだな、御巫紡。いや、デルタと呼ぶべきか? まぁいい、取り敢えずA.O.Sでの会議で貴様の処遇が確定した」
何もわからないまま誰かがモニター越しに話しかけてくる。もう勘弁してほしかった。何から考えればいいのよ。 デルタってあの魔獣? そもそもこの部屋何? アンタ誰よ。
まだ傷が痛むの... 私はどうすれば生きれるの...? どのくらい私は寝てた? ...家族にこの事は伝わってるの?
様々な思考が一気に入り乱れ始めた。中でも、一つの言葉が脳裏を過る。
(私の処遇が確定した...?)
これからこのおっさんの一言で私の命運が決まるということ。その事実が、御巫の心臓を加速させる。
「その前に貴様に問おう。お前は誰だ? 人か? 魔獣か?」
「にっ...に...」
口が渇き、声にならない。"人間です"、ただその一言が出なかった。もし生きたいその一心で釈放されたとしても、万が一あの魔獣がこの身体の主導権を取り戻してしまったら。私はこのまま死んだ方がいいのではないか?
「...答えられんか」
モニターに映った男は、淡々とした口調で言葉を落とす。その顔は深い皺を刻んだ初老の男。片目に古傷のような跡があり、眼光は鋼のように冷たい。背広ではなく、軍服のような黒衣を纏っている。頭が整理出来た今、その男が現黎明高学院学園長にして、元A.O.S壱番隊隊長。帯刀源侍であることに気付いた。
「まぁこの状況、頭の整理がつかんのも無理はない。だが尋問は始めさせてもらう。貴様が人間であることを証明できた場合、出来なかった場合で既に処遇は決まっているのでな」
これの回答次第で私は殺されるのだろう。未だ人間ですの一言すら言えないのに。焦燥感で頭が千切れそうになる。
「貴様の出身地、生年月日、血液型、家族構成、その名前を言ってみろ」
「出身は……長野県伊那市。2091年9月23日生まれ、血液型はA型。家族は両親と弟の4人。父は御巫 真也、母は真姫朱、弟は翔兎です」
よかった、流石にこれは分かる。
「……ふむ。事実確認としては妥当だが、デルタ...貴様を殺した魔獣が能力で記憶も把握している可能性もある。まだ証明にはならんな」
じゃあ何故聞いたというんだ、と思わず口に出そうになるも、帯刀の淡々とした一語一句には重みがあり、御巫は背筋を凍らせる。
「最近、笑ったのはいつだ」
「……翔兎のギャグです。変顔とか、くだらないけど笑っちゃって」
「何故笑った?」
「理由なんて……うまく言えません。ただ、馬鹿馬鹿しくて」
こんな質問ならいくらでも答えれる。そう思っていた御巫に、帯刀は目を細めて言う。
「死ぬのは、怖いか」
これがいきなりJCにおっさんがする質問であろうか。戸惑いつつも口は動いていた。
「……怖いですよ。でも、一度殺されたので……もう、いざとなれば諦めもつくと思います」
「もし、この場から解放されるなら、何がしたい」
「……家に帰って、家族と一緒に、いつもの日常に戻りたいです。それと……両親に、私を産んでくれたことを感謝したいですね。いつ死ぬかなんて分かったもんじゃないですから、ハハ...」
「そうか...」
帯刀は御巫を見つめる。その瞳には、御巫を哀れむかのような揺らぎがあった。御巫はその意味を測りかね、ただ不安を覚える。
「貴様と母親は一度大喧嘩をしたそうだな。その時何が起きて何を思ったか話してみろ」
「あー、母から勉強用に貰った小遣いを全部私用に使った時ですね。私も欲しい服とか友達と遊びに行ったりしたかったので、色々反論してたらエスカレートしちゃって」
思い出すだけで下らない話だ。あぁ、早く家族に会いたい。
「どうやら貴様の家族との意見は食い違っているようだが?」
「え?」
...嘘だ。そんな筈ない。去年の話なのに? 間違える理由が無い。筈なのに...
「貴様の家族は全員、去年に起きた大喧嘩は無断で友達の家に泊まったことだと言っている」
「えっ……そんな、はず……ないのに……」
言葉が震え、視界がにじむ。去年、友達の家になんか泊まったことなど一度もない。こんな小さな間違いで私の第2の人生が潰えるというのか。
「もういいだろう、デルタ。死ぬ前に正体を表したらどうだ。魔獣風情が人間の猿真似など、見るに耐えん」
心の奥底で何かが崩れ落ちた。
「...嘘な訳ないでしょ」
震えていた声が、だんだん熱を帯びていく。もういいや、どうせ死ぬなら言いたいこと全部言ってやる。
「私が母さんに叱られて泣いた夜も、弟と笑いあった日も、魔獣なんかの小手先の嘘で片付けられてたまるかよ!! ...私昨日からずっと散々な目に合わされてるんですよ... 皆私を魔獣の器としか見てなくて... 誰か一度でも私が人間だった場合の事考えたんですか....!!」
「...」
帯刀の顔に一瞬、苦い影が走るが次の言葉は出ず、沈黙が場を支配した。
「もう、痛くて怖くてたまらなかった... それでも...それでも生きたいと思ってるのに! 猿真似の一言で片付けられて。 ...ざっけんなよ! こんなのが続くんだったら死んだ方がマシだってのよ!!!」
喉が裂けそうなほどの叫び。怒りと決意が混ざった声が、部屋に響き渡る。帯刀の口元には、僅かな笑みを湛える。
「では今一度問おう。貴様は人か? 魔獣か?」
「私の名前は御巫紡! 関わる奴全員に――人だと認めさせてやる!!!」
言葉を吐き切った瞬間、全身の力が抜けた。言いたいことは全部言った。もう、思い残すことはない――そう思った。
「……判決を言い渡す」
重々しい声が室内に響く。
「御巫紡を一時的に“人間”と認める。身柄は一月まで弐番隊に預ける。そして黎明学院を受験し、合格を果たしてみせよ」
「え……? それって……私、まだ……生きててもいいんですか……?」
「合格し、貴様の存在を証明してみせろ。出来ねば、死刑に変わりはない」
「よかったぁ... 私...生きてもいいんだ...!!!」
考えるより先に、内から込み上げた言葉だった。帯刀は短く頷くと、重厚な機械音が響き渡る。
――ガコン。
壁の一部がゆっくりと持ち上がり、眩しい光が差し込んだ。銀色の箱に閉ざされていた視界に、初めて“外”が現れる。
「...やっと、出れるのね...」
紡は呟いた。足はまだ震えている。それでも一歩を踏み出す。
振り返れば、ただ冷たく無機質な鉄の壁が残るだけ。まるで次は戻ってこられないと告げるかのように、背後の扉は音もなく閉じていった。
茜色に沈む光が視界を満たす。夕暮れの空気は、閉ざされていた箱の冷たさと違い、胸の奥まで熱を灯し、御巫は思う。 ――私はここからまた生きていくのだ、と。
外へ踏み出した瞬間、鋭い気配が風を切った。振り返ると、壁に凭れるように一人の男が立っていた。
「……生き延びたか 御巫紡」
低く淡々とした声。炎の蹴りで自分を打ち倒した、あの男――日神 蓮。彼の瞳は氷のように冷めていて、喜びも怒りも見せない。
「色々あって疲れているだろう。行きたい所があったら言え」
「じゃあ... 家族の元に行きたいです」
迷いはなかった。声にした瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。
「すまんがお前の事情はお前の母親にしか伝えて無い。母親にだけなら会いに行けるが推奨はせん」
「なら今すぐ母さんに会わせてください! 私弐番隊の監視下で生活することになるんですよね? だったらせめて別れの言葉くらい言わせてください」
「...そうか」
それだけを言い残し、日神は歩き出す。やがて辿り着いたのは村の外れの細い道。その中央に、紛れもない母さんの姿があった。
「...母さん!」
声が震え、涙が零れる。胸の奥が張り裂けそうなほど嬉しくて、駆け寄ろうとする。だが――母さんの表情の冷たさに、思わず足が止まる。
「...母さん? ただいま! 私昨日からずっと――」
「ごめんなさい」
「……え?」
母さんの声は淡く、けれど距離を作るように低い。御巫のその嫌な予感は的中してしまう。
「何で? 私、母さんに何も怒ってないよ! ずっと会いたかった! だから――」
「どうしても貴方が娘に...ムグちゃんに見えないんです...」
心臓の辺りがひりつくように痛い。焦燥感で締まる喉を、必死に振り絞って声にする。
「...え? やめてよ...何でそんな...他人行儀なの...」
「見た目も声も喋り方も...何もかもあの娘なのに... 目の奥が...あんなに綺麗だった瞳の奥が...ドス黒く濁って見えるの...」
お願いだから待ってよ。一度で良いから受け入れてよ。私辛かったんだよ...!
「事情は聞いてるでしょ! 今の私は仮の姿みたいなもんで...!」
「――本当にムグちゃんだっとしても!! あの死体を見た後だともう... 貴方を娘だと思えない...」
...ごめんなさいと言われた時点で、頭のどこかで勘付いてた。けど、こうして口にされると、胸の奥に穴が空いたみたいで、呼吸すらも苦しい。
「...じゃあ、何を... 何をしたらもう一度...娘と認めてくれるんですか」
縋る声が勝手に漏れる。やめろよ私、みっともない。答えなら分かってるだろう。多分この人にはもう、何を言っても無駄なんだって。母さんは二度と私を、抱きしめてはくれない。
「父さんと翔兎には生きてると伝えます... 資金援助もします... でも...もう家とは関わらないでくれませんか...」
その言葉を最後に、母だった人は涙を流しながらその場を後にする。どんどん小さな肩が遠ざかっていく。御巫に零れていた涙はまだ、冷たい地面に落ち続けている。
「それで良いのか?」
日神が御巫に問いかける。そうだ。このまま、また何も出来ずに終わってたまるか。
「母さん...! 産んでくれて...! 今まで育ててくれて...! 本当に...ありがとう...ございました!!! 父さんと翔兎にも...! ありがとうって...伝えてくれますかぁ......!!!!」
遠くにいる母さんがこちらを振り返り、"必ず"と。そう言った気がした。その日唯一見た母さんの笑顔を私は、一生忘れることはないだろう。
「お前はどうしたい、御巫」
私がどうしたいか? これから先戻る家もないのに? ...だから私はここで立ち止まるのか? いや、違う。母さんが拒もうと、この世界の誰一人が信じなくても。私が人間であることを、力で証明してやる。そしていつか――
「...強くなりたい。 母さんにもう一度、"娘"と呼ばせてやるために。そのためなら...A.O.Sのトップでも何でも上り詰めてみせる」
その小さな背中に宿る大きな決意が、やがて幾多の命運を変えることを、御巫はまだ知らない。
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