8
「うがあああ‼」
ナオが目を覚ました先、そこは見たこともない場所であった。あたり一面は生成り色の壁に覆われ、窓も扉も存在しない。床も天井も、すべて同じ色。手狭な部屋の隅は角ばっており、白いサイコロの中に閉じ込められたかのような錯覚を起こさせた。
「何ここ。もしかして、天国? アタシ死んじゃったの?」
ナオは周囲を見渡しながら、ゆっくりと立ち上がる。するとその動きに合わせて何物かが舞い上がった。慌てて振り返ると、そこには白い物体がふわふわと漂っている。ゆるやかに舞い落ちるそれは、粉雪のように白く繊細で軽やかだった。発光しているのか、そのもの自体がゆっくりと点滅している。
「なにこれ……」
舞い降りた先を目で追いかけるように視線を足元に落すと、そこは足先を埋めるほどの白い塵のようなものが一面を覆っていた。ナオの住んでいる地域にも冬になると数センチ程度に雪が積もるものだが、その中で佇む雪だるまになったような気分だった。
薄暗い街灯を反射させた真っ白な雪の道が、寂れた商店街を華々しく輝かせる幼い頃の情景が脳裏に浮かびあがる。折重なる塵が雪明りのように、部屋全体を優しく照らしていた。
おもむろに手を伸ばして、それに触れてみる。どうやら雪ではない。雪にしては温かく、砂糖にしては柔らかく、羽根にしては軽く、ゴミにしては美しかった。
そして自分の伸ばした手を見た時、ぎょっとした。その手は今しがた触れようとした白い塵で全面覆われている。全身見渡してみると、なんとすべてが塵だらけ。髪の毛や顔までもが真っ白で、塵が立って歩いているような状態になっていたのだ。
「うわっ! 何よコレ、気持ち悪~い!」
ナオはパタパタと塵をはらうように叩き落とす。塵はキラキラと輝きながら地面へと舞い戻って行った。
そしてそれは白に包まれたまま地面へ寝ころんでいる、もう一人の人物にもれなく降りかかる。
「はーっくしゅん!」
「え?」
自分ではない誰かのくしゃみに、そちらを振り返る。くしゃみをしたであろう場所からは、白い塵が吹き上がり宙を舞っていた。誰かが塵の下に埋まっているのだ。
まさか本当にここは天国で、一緒に落ちた少女もまた――。
「死んじゃったの⁉」
ナオは慌ててそちらへと駆け寄り塵をかき分けると、そこに少女の姿はなく――。ご期待通り、あのストーカー男、改め皐月野ミヅキが大の字に転がっていたのだった。
「やっぱり、お前かい!」
本日二度目の見事なずっこけを披露するナオ。彼女と共鳴するようにふわふわと白い塵が飛び上がる。ミヅキはむくりと起き上がると、頭の上にこんもり乗っかった塵をパラパラと掃い落とした。
「いやあ、随分と乱暴なおもてなしですねえ。全身塵だらけだ」
ずっこけていたナオも同じように頭に塵を乗っけたまま上半身を起こした。他に誰もいないかあたりを注意深く見渡し確認するが、どうやら二人だけのようだった。
「あの女の子は、いないみたいだね」
「そうですね」
「ねえ、ここ天国じゃないの?」
「残念ながら」
「いや全然残念じゃないけど」
ミヅキは犬が水を払うように顔を横にふるった。それに合わせて散らかされた塵が、目の前に差し迫って来る。ナオは咄嗟に片手で掴んでキャッチしてみせた。手の中を確認するようにゆっくりと手を開いてみる。掴んだはずの塵は、手の中には残っていなかった。
「おっかしいあ。どうなってんの、これ」
思いついた言葉をそのまま口にするように問いかける。未だ目の前で座ったままぼんやりと上空を仰ぐミヅキであったが、ナオの言葉に自らも床に敷き詰められた白い塵を、ひと掬いして持ち上げる。確かに手の中にありますよね? とマジシャンが観客に確認を求めるように片手を差し出した後、ぎゅっと一度だけ握りしめた。次に開いた時には、完全に手の上から姿を消していたのだ。雪であったなら解けた後の水が手についていそうなもの、そこには何も残ってはいない。
そう、まるで魔法だ。
「消えちゃいましたね」
「どういうこと? ……そうか。これも魔法の道具なのね?」
ナオが少し期待を込めて言うとミヅキはたっぷりの間を置いた後、にこやかに笑った。
「これはですね。簡単に言えば、そう。……埃です!」
「埃……? ほこりー⁉」
ミズキの言葉に先ほどまで悠長に構えていたナオは突然立ち上がり、慌てた様子で白い塵を掃い始めた。
「うげえーっ! 私ハウスダストアレルギーなの! 埃っぽい所には行っちゃダメって母さんがうるさくって!」
それを言い終えた次には、鼻と口を塞ぎ、息を止めた。その様子を黙って見ていたミヅキは、ハハハと声をあげて笑っている。
他人事だと思って! と文句を言い返したいところ口を塞いでしまったが故出来ないナオは、思い切り鋭い視線を投げかけ最大限の不平不満を訴えかける。
「いやあ、すみません。……でも、大丈夫です。こっちでの埃と、向こうでの埃の意味合いが違うだけ。ここにあるものは触れても吸いこんでも、なにも実害はないんです。人のいない場所に降り注ぐ、寂しがり屋の片鱗だと思ってください。人の体温にしばらく触れていると次第に消滅してしまう。ただ人のことは好きなので、こうやってまとわりついてくるのが面倒なところですね。消えてしまうと分かっていても、煩わしいものです」
ナオはそれを聞くと止めていた息をぷはー! とすべて吐き出した。なくなりかけていた酸素を取り込むため大きく息を吸い込んだものだから、口の中にまで塵が入り込んでくる。問題はないと言われても何だか不安なナオは思わずむせ返ったが、あることに気が付いて顔色を一変させ、それを舌先で転がし始めた。
「なんか、甘いね?」
「そうですか」
ミヅキは特に興味がない様子でそれに答えた。ナオはもう一度その塵を持ち上げ、今度は自ら口元へと運ぶ。少しだけ口に入れると、またしても優しい甘みが口の中全体に広がった。
「なんか、砂糖菓子みたい。食べるのは平気?」
「ええ、問題はありません。僕は食べたことありませんけどね」
「食べてみたら?」
「甘いものは苦手でして」
そんな話をしながら味見を終えたナオは、改めて全身の塵を掃い落とし周囲を見渡す。しかしこの場所を明らかにするヒントとなるものは何一つ存在しない。今現在の情報としては、白い箱の中に白く甘い塵と一緒に閉じ込められている。……変な男と。以上。
「ここって何? どんな所なの?」
ナオの問いかけにミヅキは円を描くようにゆっくりと顔を動かし、部屋全体を見渡した。やがてナオの方へ視線を戻すと、困ったような笑顔を浮かべる。
「いやあ、やっちゃいましたねえ」
そして荒ぶった髪の毛を片手でかき上げた。それと同時に頭の中に入り込んでいた塵が飛び出して来る。ナオは不安そうに彼が紡ぐ次の言葉を待った。
「言ったでしょう? 人間の前で魔法を使うことは規則違反なんです」
……魔法。その言葉に、ナオはこの場所へ来る前に見た、最後の風景を思い出す。少女と一緒に地面へと落ちていくあのわずかな時間の間、二人を包み込む鮮やさが突き抜けるような真っ青な光。それこそ魔法の力だったのだ。
「……使ったのね、魔法!」
興奮するナオを横目に見ながら得意げな顔をするでもなく、彼はカーディガンにまとわりついた塵をひとつひとつ手で持ち上げながら答えた。
「ええ。それ以外に救える方法はなさそうでしたし。一か八か、でしたけど」
助けるそぶりなど全く見せる気配のなかった男。しかし本当は必要なその時を待っていただけなのかもしれない。ナオはそう思うと、急に目の前の人物がスーパーヒーロー如く尊い人物に見えてきた。
「アナタ本当に魔法使いだったのね!」
「最初からそう言ってるじゃないですかあ」
「やれば出来る奴だと思ってたよ! 見直しちゃった! 最高だよー!」
「ありがとうございます」
ナオの言葉に小さくお礼を言いながらも、その表情はどことなく朧気であった。
改めて彼女にも伝わるように、現状を出来るだけ端的に話しだ出すミヅキ。
「人間の前で魔法を使ったことにより、我々は魔法の国へと強制送還されてしまいました。所謂ここは檻の中。というと聞こえが悪いので言いかえますと、強制送還者用の専用入場口みたいなものです。方法を知れば出るのは簡単ですし、出てしまえば普段通り魔法の国が待っています」
「なあんだ。招待の仕方がちょっと手荒かった感じね。……んで、なんでアタシも?」
ナオは当然の疑問をミヅキへとぶつける。すると彼はその質問の意味が分からないと言った様子で、首を大きくかしげて見せた。
「どうしてです?」
「どうしてって、魔法使ったのはアンタでしょ? アンタ一人が強制送還されるなら分かるけど、なんでアタシも一緒になってここに来てんのってハ・ナ・シ!」
「ハハハ! ああ、そういう事ですかあ」
彼は実に軽い笑い声をあげてみせる。それにナオはムッとして、全力で口先を尖らせた。
「笑い事じゃないから!」
「いやあ、それがですねえ。……なんと言いますか、ちょっとした手違いがありましてですねえ。えーっと……。聞きます?」
珍しく言い渋った様子の彼に、ナオは何をいまさらと催促するように言い迫る。
「いや聞くだろ」
「怒りません?」
「内容によっては」
「じゃあ言いたくないなあ」
「じゃあ怒んない」
「本当ですか?」
「本当!」
「でも言いたくないかなあ」
「なら最初から聞きます? って聞くなよ! あーもう、いいから早く話してよ!」
すったもんだを繰り返していた二人であったが、ナオの大声に煽られミヅキはしぶしぶ頷いた。そして先ほどあったことを一から説明し始める。
「女の子が足を踏み外した直後、アナタは少女へと飛びかかるように一緒になって落ちて行きました。下には何枚か毛布が引かれてはいますが、無傷では済まなかったでしょう。場所によっては致命傷になっていたかもしれません。そこで僕は咄嗟に使ってはいけない魔法を使ってしまったんです」
「使ってはいけない魔法?」
「はい。二人を空へ浮かす魔法です」
「それってよく聞く魔法の代表みたいなものだと思うんだけど。この世界では禁忌魔法とかなの?」
「禁忌と言うか、うまくいったことがないと言うか」
「え?」
「つまりその――――失敗しまして」
「はあ⁉」
しかし死んではいないはずだ。少女はおらず、自分だけがここにいる。それは一体どういうことなのか。ナオはさらなる難題に頭を悩ませる。
「失敗してどうしてアタシだけがここに……? まさか! ここはあの世とこの世の狭間⁉ 私だけ意識不明の重体で……!」
「いえ、そう言うのではなく……。その、ですね。……コホン」
ミヅキはわざとらしく咳ばらいをすると、意を決したように言った。
「魔法の力そのものを、投げ飛ばしてしまいまして」
「……はい?」
「ですからね、そのー……。ナオさんに魔法をかけようとしたんですが、結果として魔法の力自体がナオさんの元へ飛んで行ってしまった、ということでして。つまり……。――ナオさんが、魔法使いになっちゃったってことです」
「アタシが――魔法使い……?」
ナオは自分の両掌を見下ろした。確かにその手の周りには、うっすら青い光が纏わりついているように見える。
「アタシが、魔法使いー⁉」
全く同じ言葉をものすごいテンションで繰り返すナオ。とてつもない声量に、その場の塵が一瞬吹き上げるように宙を舞った。ミヅキもまた耳を塞ぎつつも、いたって冷静に返答する。
「そういうことです。あの時、彼女を救うために能力を使ったのは鳴海さん、アナタなんですよ」
そう、少女へと手を伸ばした瞬間。確かに目の前を真っ青な光が包み込んだ。あれはミヅキが魔法を使ったのではなかった。ナオ自ら発した、魔法の力だったのだ。
ナオはその事実をなんとか飲み込むと、ミヅキの方へと顔を向ける。
「じゃあアタシは魔法使いだったとして」
「はい」
「……アナタは何?」
「とっても素敵な質問ですね」
なぜかとっても嬉しそうなミヅキ。花が咲き誇るほどの笑顔を浮かべて指を立てた。
「今の僕は、魔法をなくした『元魔法使い』といったところでしょうか」
ブックマーク、評価、感想等お待ちしております!
誤字等もありましたらご報告お願いいたします。
どうぞ御贔屓に……!




