31 『愛の爆弾』
ミヅキは閉館時間を迎えるまでそこにいた。気が付くと観光客は皆姿を消し、ミズキだけが展望台に残されている状態であった。ミヅキは監視カメラの死角に入ると一つ深呼吸をし、まばゆい光を全身にまとわせた。そして時刻は、午後十時を回る――。
ミヅキが廊下を歩いていると、目の前から警備員が歩いてくるのが見えた。閉館後の最終確認だろう。思わず警備員を避けるようにして、壁へと身を密着させた。懐中電灯であたりを照らしているが、警備員はミヅキがそこにいることに気が付いてはいない様子だ。それは、ミヅキが壁と一体になるほどに身体をくっつけているからではない。ミヅキの姿が、誰にも見えていないからだ。そう、まるで――――幽霊のように。
ミヅキにとってはかなり高度な魔術であった。うまく行きっこないと思っていたが、案外なるようになるもんだ。だが、この状態を長らく保っておくことは難しい。おそらくあと数分もしたら解けてしまうだろう。
警備員が通り過ぎるまでの間、ミヅキにはただ壁になった気持ちで微動だにしなかった。姿が見えていないのでコソコソ隠れている必要はないのだが、自分の魔法が本当に成功しているのか些か不安がぬぐい切れなかった。だがその証明をするように、警備員はそのまま目の前を通り過ぎていく。
「本当に成功してる……!」
思わず感動の声が零れ落ちてしまった。慌てて両手で口を塞ぐ。だがその声はきちんと警備員の元に届いていたようで、彼はぐるりと向き直りミヅキがいる場所へと懐中電灯をいぶかし気に照らし始めた。
まずい。このまま長い間確認されては、姿消しの魔法が溶けてしまう……!
「誰かいます……?」
警備員がミヅキの方へとゆっくり迫って来る。とにかくここから脱出しなければ。足音を殺し、一歩ずつ警備員から壁伝いに離れて行くミヅキ。触られでもしたら、この国で不審者認定されながら、魔法の国へ強制送還だ。それだけは避けたい。警備員の二歩に対して小股のカニ歩き一歩。明らかに遅すぎる。言わずもがな、警備員のは容赦なくミヅキの立つ壁へと手を伸ばしてきた。もうダメだ、触られる……!
もうダメかと思い両目を強く閉じて身を縮こませると、警備員の手はミヅキのいる場所のわずか数センチ隣の壁へと下ろされた。コンコンと壁を叩いて、不思議そうに周囲を見渡している。どうやらまだ姿は見えていないらしい。
「気のせいか……」
警備員は二、三度こちらを振り向きながらも、そのまま先へと歩いて行った。なんとかその場を回避したミヅキ。思わず息まで止めてしまっていたので、誰もいないことを確認するとめいっぱい息を吐いた。そしてその分酸素を肺一杯に送り込む。
「助かったあ……」
警備員が去っていた方を覗き込みながら確認する。よし、もう完全に人はいない。といえども監視カメラはどんな時でも作動している。はやいところ、するべきことをしなければ。ミヅキは出来る限り足音を殺しながら、昼の間に目星を付けていたところへと向かった。
彼が向かった先は、関係者以外立ち入り禁止区域であった。どんな高所なところにも作業員点検用の出入り口というものはあるようで、そこは塔の頭頂部へと唯一出ることのできる小窓であった。だがもちろんのこと鍵が閉まっている。
「鍵を開ける呪文は確か……」
ミヅキは本を取り出すと、大急ぎでページをめくった。それもまたミヅキにとってはかなり高難易度の魔法であったが、先ほどのこともあってか自分の能力にどこか自信を持ち始めていた。本に書かれている呪文を確認し、渾身の魔法をその小窓へとぶつけた。
だがしっかりとかけられた鍵は開くどころか、微動だにもしなかった。
「もう一回……!」
ミヅキは諦めることなく同じ呪文を唱え続ける。かれこれ五十三度目の挑戦中……ようやく鍵の一部が持ち上がるようになってきた。もう少しだ。
この先の世界は、一体どんな風景が待っているのだろう。ふとミヅキはそんなことを考えた。どこよりも高い塔の上。あの時は昇ることで必死で、近づいてくる夜空を見上げる余裕なんてなかった。限りなく星に近いその場所では、一体どれほどの星が瞬いているのだろうか。
「父さん……」
ミヅキが心から憧れた魔法使いの名を呼んだ瞬間、なんだか何でもできるような気がしてきた。あんなにも偉大な魔法使いの元に生まれてきたのだ。なぜ今まで悲観したりしていたのだろうか。
「出来る……僕になら!」
ミヅキはもう一度集中し直し、扉に向かい合った。ガチャリ……重たい錠がゆっくりと回る音がする。扉を開くハンドルへと手をかけてみた。回る。鍵が開いたのだ。
「出来た……本当に!」
安心感で体の力が全部抜けた。その拍子に手に持っていた本が地面へと落下する。表紙の角が擦り切れる程に読み返したボロボロの教科書。卒業することもなかった魔法学校の本を拾おうと手を伸ばした時、館内にけたたましい警報が鳴り響いた。鍵が開いたことで、安全センサーに引っかかったのだ。
こうなればもう振り返ることなど出来ない。逃げ出すことも。前に進むしか、彼に残された道はないのだ。
ミヅキは本を拾うもせず、すぐさま扉を開いて体を外へと押し出した。真っ暗な闇の中、黄金に輝く星々が照らす世界へと解き放たれた瞬間だった。あまり美しさに言葉を忘れていたが、警報音に我を取り戻し慌てて扉を閉めなおす。
先程の逆で鍵を閉めようとするが、あいにく頼りにしている本は手元に無い。どうすればいいのか分からず、適当に呪文を唱えてみた。するとその扉と壁の境目が青い光で埋まっていく。うまくいった……!
僅かな期待の後、目の間にあったはずの扉に触れてみる。なくなっている。扉ごと丸々だ。なんとそこにあった扉は、最初からそこになかったかのように壁と一体化してしまったのだ。追手が来られなくなったどころか、自らの逃亡経路を封鎖すらるという一業。あっぱれである。
これで、いよいよ逃げも隠れも出来なくなった。
「やるしかないってことですね」
ナオの顔を脳裏に浮かべ意気揚々立ち上がると、今度はとてつもない強風に身体を持って行かれてその場によろめきしりもちをついた。危うく空の世界へ投げ出されるところであった。風に顔をしかめながらなんとか体勢を持ち直す。街を見下ろせる端まで四足歩行で移動すると、安全用の手すりにしがみつきゆっくりとその場に立ち上がった。
空を見上げる。そこからの星は、いつも見る空よりもいっそう明るく見えた。街は未だ光に包まれており、誰一人としてこの星の輝きに気が付いている人はいないだろう。そして、皐月野ミヅキという存在にも。
強風にあおられながらも必死に少女を救うため、手を伸ばしていたナオとは大違いだ。誰にも知られず、誰にも期待されず。ナオが跳んだところよりはるか高い場所で、たった一人ぼっち。
それでも、ミヅキは怖くなどなかった。どうしてだろう。あの月の向こうから、誰かに応援されている、そんな気がした。
ミヅキは両手を空に掲げた。目を閉じて紡ぐは魔法の言葉ではない。それはどこの国にもある、愛の言葉だ。星の砂が空へとちりばめられていくように、ミヅキの手からキラキラと輝く赤色の光が放たれていった。ミヅキは祈った。いつか訪れる、奇跡を信じて――。
あれからどれほどの時間が経っただろう。現状は何も変わらなかった。もともと少ないミヅキの魔力にも限界が迫っている。風に煽られる自分の体を保っていられない程の疲労感が、彼へと襲い掛かった。それでもミヅキがその手を下ろすことは、決してなかった。
一人の少女が、泣いている声が聞こえた。
「どうして泣いているんだい」
ふと閉じ続けていた目を開いた。ミヅキの目の前の世界は、恐ろしい程禍々しいものであった。真っ赤な星々に覆いつくされた夜空。まるで、空が燃えているようだ。祖父が恋焦がれた星たちもまた、炎の海に埋め尽くされていた。
上空を覆いつくす真っ赤な光の粒に、地上にいた誰しもが大口開けて空を見上げていた。だがミヅキだけは、安心したように笑った。
何も心配はいらないよ。
「なぜなら僕が――星の精霊なのだから」
一つの星が、空を流れた瞬間だった。真っ赤な火種が大地へと降り注ぐように、星は次々と落とされて行った。空から降る真っ赤な火種に、人々は魅了された。その光は暗い夜空に道を彩っては、大地を煌々と駆け巡る。どれほど街が明るくとも、その光は絶えず瞬き美しい。
ここは眠らない街、東京。そこから真っ赤な星は、瞬く間に全国へと広がって行った。さび付いた商店街のシャッターを照り返すように、真っ赤な光が暗い夜道を突き抜ける。取り残されたコロッケも、焦げ付いた鉄板も、熟れすぎてしまった桃の傍らにも。赤い星は降り注いでいった。
そしてその星は、あの可愛らしい木の扉の前にも落ちていく。
「ナオ……? 帰って来たの!?」
家の中にまで反射した光に、カナリア色の女性は勢いよく家の中から飛び出した。空の上は真っ赤な光。まるで、世界が燃えているようだ。なのにどうしてだろう。この光は、とても温かく愛おしい。なぜか今だけは、その星空を見ていたい。
『あの星は誰の星? 星が垂れたその時に、すべてが笑って生きるから』
その星空は、ついに国境をも越えた。そこには、紛争で家も家族も失った人がいた。片足を失った子どもがいた。銃を片手に隊列へ並ぶ軍人がいた。爆撃から逃げ惑う人がいた。涙に溺れる、人がいた。
幾千万の真っ赤な星は、どんな人の頭上にも平等に瞬いた。あまりにも異様な光景に、彼らは争う手を止め空を見上げた。涙で霞んだ子どもの瞳を、星は明るく照らし続けた。
それはほんの一瞬であったかもしれない。だが確かに今、全世界の人間が、何かに怯えることなく、何かを傷つけるでもなく。ただ星を見上げていたのだった。
何かに追われ、苦しんだり悲しんだり、自分を悲観したり大切にできなかったり、人を傷つけたり傷つけられたり、誰かを恨んだり憎しんだりして。それでも彼らはこの星空を見上げた。その時だけは、誰もがただ空を仰いだ。一瞬でもいい、一秒なくとも良い。彼が星を生んだその夜だけは、世界から争いが消えた瞬間だった。
それは星が降る夜。これは、争いを止める爆弾だ。
『どうか、泣かないでください。もうこれ以上、苦しまないでください。あなた方は優秀だ。どうかその力を、誰かを守るために使ってみてはくれませんか。兵器を作る知恵と技術があるのなら、それを持って誰かを愛することも出来るはず。銃口の代わりに花束を、涙の代わりに優しい雨を、剣の代わりに手のひらを、火種の代わりに星空を』
「大丈夫。いつかきっと、誰もが安心して空を見上げられる日が来ますから」
その星は日が昇るまで、人々の心へと落ち続けた。
「落っことすのは、得意なんですよ。僕は、落ちこぼれなもので」
照れくさそうに鼻の下をこする偉大な魔法使い。
そしてその光景は、確かに魔法の国まで届いていた。月の鏡の前で、幽霊少女もまた同じ空を見上げていた。
「――やるじゃん、魔法使い」
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