20
階が上がるにつれて周囲はだんだんと暗くなる。わずかに足元から漏れ出していた光も次第に姿を消し、ついには本当の暗闇に包まれた。エレベーター自体は動いている感覚があるが、どこに連れていかれるのか多少の不安も抱き始める。
「ねえ、何も見えないよ? 魔法使い、そこにいる?」
ミヅキが立っていたあたりに手を伸ばして存在を確認する。乗った時他に人はいなかったので、もし触れるものがあるとするならば目的の人物だけであろう。返事をしてくれればいいものを、なぜだかミヅキは黙りこくっている。仕方なしに手探りで相手の位置を探っていると、手に何かが触れる感覚があった。
「あ、いたいた」
柔らかな布を感じる。おそらくミヅキが羽織っていたカーディガンだろう。そう思いぎゅっとその先を握りしめた瞬間、何かが呻くような声が聞こえて来た。
「ううっ……」
「え、何⁉」
ナオは慌てて手を離す。すると目の前で布が擦れ合う音がして、今度は唸るような声が足元の方から聞こえて来た。どうやらミヅキが座り込んでしまったらしい。
「どうしたの、魔法使い」
なぜそんなに悶絶しているのか分からないナオは目の前にいるであろうミヅキに声をかけると、彼は小さく息を吐きながらかすれる声で伝えた。
「……そこ、僕のお股でした」
「ええっ⁉」
自分のやってしまった醜態と照れと申し訳なさで、ナオは両手で顔を覆う。
「本当にごめん。見えてなかったの」
「大丈夫です……多分」
野球ボールを握る並みの力で掴みかかってしまった。それは目的の球ではなかったのであるが……と、多くは言うまい。しばらくするとその空気を切り裂く小さな鐘の音が鳴り、エレベーターの動きが止まったのが分かった。ミヅキもやっと痛みが緩和されたのか、その場にゆっくりと立ち上がる。
「着きましたよ……。ここです」
へっぴり腰のミヅキがそう告げると同時に、エレベーターの扉がいた。
するとそこは一面赤星のカーペットに彩られ、まるで本物の夜空の中にいるような空間だった。ナオはゆっくりと足を進める。
「綺麗……。星の上を歩いているみたい」
「こちらです」
ミヅキはそのまま一直線に歩いて行ってしまう。先程の照れくささもあって、ナオは黙って後ろについて歩くだけに留まった。そのまま部屋の奥へと進むと、大きな魔方陣の上に丸い枠をかたどったオブジェのようなものが現れた。その枠の中には何もなく、向こう側が透けて見える。これだけ見ると、ただの置物だ。
「これ何?」
「月の鏡です」
「月の鏡?」
そう言われてギリギリまで顔を寄せてみる。しかし、そこに自分の顔が写る様子はない。
「何も写ってないよ」
困った表情をするナオを見かねて、ミヅキが円の中に向かって長い腕を伸ばした。その指先が何かに触れた瞬間、中心から外側へと波紋が広がっていったのだ。透明で何もないように見えたが、そこにはわずかな薄い水の膜が張っていた。ナオも同じように水面に触れてみる。するとそこからいくつもの波紋が波打っては消えて行った。
「面白い。どういう原理なの、これ」
「理屈は分かりません。魔法の世界ですから」
「説明するの諦めたでしょ」
手を離して水面が落ち着いたころ、月の鏡の真の使い方について教えてくれた。
「鳴海さん。アナタが会いたい人を思い浮かべながら、この水面に触れてみてください」
「アタシが?」
「肉体がなくても構いません。思いが伝われば、月は真実を映しだしてくれます」
ナオはゆっくりと手を伸ばした。水面に指先が触れると同時に波紋が広がり、先ほど同様に水面が波打った。するとその波が次第に形を彩っていく。
「もういいですよ、離れて」
ナオは手を離して全体が見えるように、少し月から距離をとった。するとそこにはあの時の少女が映し出されたのだ。
「あの子だよ! 良かった! 無事だったんだ!」
月の鏡の中には、きゃっきゃっと飛び跳ねて元気そうにはしゃいでいる少女の姿があった。ミヅキが鏡に向かって手を振り上げると、今度は少女から離れるように画角が引かれ、その場全体の風景を映し出した。
少女がいるのは柵付きのベッドの中。カーテンで仕切られた狭い個室。そこを行きかう白衣の女性に気が付いて、ナオはそこがどこなのかを理解した。
「ここ病院だ。入院してるの? もしかして、あの時私の魔法失敗してたのかな……。運よく下のクッションで助けられてさ! だとしたら私、全然役に立ってなかったんじゃ……!」
次々と浮かぶ良くない想定に頭を悩ませていると、丁度そこに医師が現れた。少女と同室している家族と何かを会話した後、医師は少女に笑顔で手を振り部屋を出て行った。手には聴診器の代わりにアセスメントシートが握られている。
「どうやら見たところ怪我等はなさそうですね。一時的な観察入院のようです」
「良かった! ……で、でもさ、これだけじゃやっぱりアタシが魔法を使って助けたかどうかの証明にはならなくない? やっぱり助かったのはあの時コロッケ屋のおばちゃんが持って行った羽毛布団のおかげかも。ねえ、これってその時の映像とか見れたりしないの⁉」
「残念ながら、それは出来ません。我々が覗き見られるのは、顔を知っている人間の現在の状態だけなんです」
「そっかあ……。じゃあこの子に証明してもらうのは難しそうだね。確実なものがないし……」
ナオはやや諦めモードで、もう一度その水面に視線を移す。少女の隣にはスーツを着た男性が一人座っていた。その近くには、学生服を着た男の子もいるようだ。その時ナオはあることに気が付いた。
「あれ、この子と一緒にいるの、あの時ベランダで叫んでたお母さんじゃない」
「歳と性別からして、おそらく父親のようですね。一緒にいるのは、お兄さんでしょうか」
少女の安心した表情と仕草から、それが家族であることは一目瞭然であった。父親は会社帰りに病院へ駆けつけたのであろうか。兄も同様に、学校帰りのように見える。
「この子のお母さんはどうしてるんだろう」
もしかするとずっと付き添いでいたから、父親がいる間家に戻っているだけかもしれない。だが何かソワソワする感覚があって、ナオはどうしても知りたくなった。
「顔、覚えてますか?」
「うん、なんとなく」
「では、先ほど同様に」
ナオは再び水面に触れた。そして少女の母親の顔を連想する。しばらくして水面にうつる映像が移り代わった。
しかしそこに出て来たのは少女の母親の姿ではなく、なんと自分の母親の姿だった。
「あれ、母さん⁉ アタシ、間違えて自分の母さんの顔想像してた!」
空を見る限り、向こうもこちらと同様の黄昏時。茜色の空の中、ナオの母親は普段であればまだ仕事をしている時間帯であろう。しかし今はなぜか、街中で懸命にビラ配りをしているようだった。仕事の営業などではない。母親が差し出している紙には、ナオの顔がプリントされている。そして背丈や恰好、特徴に加えて大きな文字で『探しています』と書かれていた。
「そっか。アタシ、突然消えちゃったから……。心配してくれてたんだ」
するとそこにもう一人の女性が駆けつけた。それはあの時ベランダで泣いていた少女の母親だった。同じビラを手に首を横に振る。何かを会話しているようだが、離れていて聞こえない。
「ねえ、もっと近くに寄れない?」
「やってみましょう」
ミヅキは先ほどとは反対方向へ腕を振り下ろした。見ていた光景はだんだんと二人へと近づき、次第に声が漏れ出して来る。
「こちらも目撃情報はなかったです」
「そうですか……。あの時の事、何か思い出されましたか?」
「それが……。すみません……。私も混乱していてほとんど覚えていなくて……。思い出そうとしても何も分からないんです。あの子が落ちたと思った時に恐ろしくなって、思わず目を逸らしてしまいました。でも気が付いたら、私の子がベランダにいたんです。まるで空でも飛んだみたいに……」
「そうですか……」
「ナオちゃん、本当に消えちゃったんでしょうか」
「現場に居合わせた人が言うには、突然何か青い光が見えて、その直後に消えていたそうで……。何か事件に巻き込まれていないか、警察も捜索をしてくれているようなのですが……」
「なんかすごいことになってる」
ナオがぽつりと感想を述べた直後、母親の瞳から涙がこぼれた。
「私が仕事ばかりであの子にちゃんと、構ってあげていなかったから……! どうしよう、帰ってこなかったら……!」
「そ、そんなことありませんよ! ナオちゃんは見ず知らずのうちの子を、身を呈して助けようとしてくれたんです! きっと無事です! 一緒に探しましょう!」
「母さん……」
ナオはその時初めて自分の母が泣く姿を見た。いつも気丈で仕事熱心な母の弱音を聞いたナオは、母と同じように涙を瞳一杯に浮かべていた。
「母さん……! 母さん! アタシここよ!」
ナオは思わず水面に向かって叫んでいた。その時ナオの母親がこちらを振り返った。
「母さん! 聞こえてるの⁉ ナオよ! 絶対に帰るから! だから心配しないで! 母さん!」
ナオは思わず母親に抱き着くように月に向かって走り出していていた。
「鳴海さん!」
両手を広げ水面に浮かぶ母親の元へ飛びかかるが、もちろんのこと体は水を突き破り向かいの地面へと転がり込んだ。映像は波打ち、水面は闇へと戻って行った。
「鳴海さん……大丈夫です?」
心配そうにミズキが駆け寄り声をかけると、ナオはむくりと体を起こした。悲しみに浸っているかと思いきや、力のこもった瞳でミヅキを見上げ笑っていた。
「ねえ、今の!」
「はい。もちろん」
ミズキはニコッと笑う。それにナオもぱあっと笑顔を咲かす。
「貴方がいたことで、確実に少女の命は救われました。この映像を存在証明の証拠として提出することが可能だと思います」
「よっしゃあああー‼」
ナオはその場で大の字になって転がった。
「帰れる! 元の世界に!」
幼児のように手足をじたばたさせながら全力で喜びを表現するナオ。それをミヅキは微笑ましく見つめていた。ミヅキはポケットから小さな小瓶を取り出すと、月の水をその中に少量移し入れた。そしてそれをナオへと手渡す。
「これを提出すれば、問題ないでしょう」
「ありがとう、魔法使い」
ナオは大切にその小瓶を付け取り、ポケットの中へとしまい込んだ。
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