10
あれから十分後――。散々暴れまわって疲れたのか、ナオは床に転がって天井を仰いでいた。
「とにかく、ここから出ない事には始まらないよね」
「ようやく出る気になりましたか」
「お前はちょっと黙ってろ?」
「ハイ」
空気の読めない発言に一喝加えたナオは、ようやくその重たい腰を上げた。あたりを見渡すが、どこにも出口らしきものは見当たらない。壁の近くまで寄って触れてみたが、冷たい壁があるだけで力を入れてもびくともしなかった。ナオは仕方なくミヅキを振り返る。
「ねえ、どうやって出るの? 扉もないし、行き止まりだよ」
しかしミヅキの返答はない。目が合っているので聞こえていない訳ではないようだ。おかしいなと思いつつ、もう一度問いかけ直す。
「扉とかないの? 出口探してるんだけど……」
「それは――」
思わず何かを言いかけて、ミヅキは両手で自らの口を抑え込んだ。何をしているんだと思ったが過去の自分の言葉を振り返り、そうだったと思い出す。――黙れと言ったのは自分だった。
ナオは小さく息を吐くと、ミヅキの目の前へと歩み寄る。そして真っ直ぐ伸びた背中を、綺麗に折り曲げて見せた。
「ごめん。黙れとか言って。酷いこと言った」
その姿にミヅキは目を丸くして、抑え込んでいた両手を口元から離した。
「どうして謝るんです?」
「どうしてって……酷いこと言ったし」
「ああ、そっかあ」
ミヅキはポンとその手を叩いて見せた。
「今さっきの言葉を酷いと思っていたのだとしたら、気になさらないでください。そういうのには慣れっこですから」
「え?」
「さて、この部屋から出る方法でしたね」
ミヅキは今の話をさらりと受け流すと、ようやくその場に立ち上がる。長身な彼に合わせて舞い上がった塵はナオのはるか上空から舞い落ちて、本物の雪と見間違う程であった。
「作るんですよ」
「……作る?」
全身を覆いつくす塵など露とも気にしていない、春風駘蕩な彼の背中。器が大きいのか、無頓着なだけか。そんな彼が発する弱弱しい声は危うく聞き逃されるところであったが、間一髪彼女の耳の端に捉えられた。
ミヅキは真っ直ぐ壁の方へと歩いて行くので、ナオもおとなしくその後ろに続いた。
「まずこの壁に手をついてください。そして念じるんです。再び肉体を取り戻すためにこの道を開きます、と」
「それだけ?」
「はい。ただし、一つだけ条件があります」
「条件……?」
「ここから出ると、星の砂時計が向きを変えます」
「星の……? え、なんて?」
突然ファンタジー要素満載の言葉を突き付けられて、ナオは眉間にしわを寄せた。するとミヅキは小さな笑みを浮かべ、ナオにも分かりやすくかみ砕いて話をしてくれた。
「星の砂時計――肉体を取り戻すまでのタイムリミットのことです。今から三日目後の日が昇るまで。それまでに己の存在証明が出来なければ、もう二度と肉体を取り戻すことは出来ません」
「嘘……。何それ」
「その覚悟が出来た者だけが扉を開けることが出来ます」
ナオは脅しとも捉えられる彼の言葉に動揺を隠せず、素早い瞬きを繰り返した。
「三日? それだけしかないの? その間に私がいるべき存在証明をしろって言うの⁉︎」
「はい」
「そんな無茶な……」
簡単に出ることが出来ると言われたので、肉体を取り戻すのも容易だと思っていた。まさかそんな大変なことだったとは。ナオは突き付けられた重たい現実に肩を落とすと、足元に視線をやった。ぼんやりと透けている自分の体が目に飛び込んでくる。
扉を開けてしまえば、砂時計は時を刻み始める。だが何もしなければずっとこの箱の中だ。
ナオは力強く握り拳を固めると、目の前に聳え立つ高い壁を見上げた。
「……やってやろうじゃん」
その目は星を宿したように、光り輝いて見えた。
「いいよ! 三日後ね! それまでに何とかすればいいって話ね!」
「策でもあるんですか?」
「ないよ」
「……え?」
「でも、やってみないと始まらないじゃん! まずは何でもあたって砕けろ! 見てなよ! ちゃーんとアタシが必要な人間だってこと、証明させてやるんだから!」
そう言ってナオは無邪気な笑顔を向けた。その強い意志があふれる言葉に、ミヅキもまた微笑む。
「いいですね。――では、壁に手を当てて」
ナオは言われた通りに、透けた両手を壁に向けて押し当てた。
「次に、己の意志表示を」
「何て言えばいい?」
「何でもいいです。今抱いた感情でも、思いついた言葉でも。要は気持ちの問題です」
案外そこらへんは適当なんだなと思いながら、なんとなく浮かんだ言葉を口に出すナオ。
「えっと……。わ、わたくし鳴海ナオは、再び肉体を取り戻すために――この扉を開くことを、決断します!」
するとナオの手のひらから瑠璃色の光が放たれて、白い箱一面が青で包まれた。その時ナオは掌に抵抗を感じた。まるで拒絶しているかのような強い風が、ナオの手を押し返しているのだ。
「な、なにこれ⁉」
「無意識下にある最後の抵抗です。押し切って!」
ナオが飛ばされない様に両足に力を込めて踏ん張った。そして全体重を壁の方へと傾ける。
「負けるかあ――!」
手と壁に空いたわずかな空間が縮まり、両手が再び壁の平面に触れる。
「今です! そのまま壁に押し込んでください! 扉を開くように!」
ミヅキの声を聞いて、ナオはさらに力を込める。すると重たい扉が開くように目の前の壁が左右へと割れた。眩い光が二人を包み込む。次の瞬間、自分たちを包んでいた空間が一瞬にしてはじけ飛んだ。青い光は宙へと放たれ、箱全体はパラパラになって地面へと降り注ぐ。身体にまとわりついていた塵もまた、外の世界の風に誘われ解き放たれて行った。
「綺麗―――」
風に踊らされるように流れる塵の行く先へ目を向けたナオの前には、夢の世界が広がっていた。視線の先を覆いつくす、色とりどりの風変わりな建物。エメラルドグリーンをした水が上空から滝のように流れ落ち、大きな水車をくるくると回していた。青い空には何本もの虹の橋が架かり、その上を煌めく馬車が駆け抜けていく。蝶の代わりに妖精たちが、笑い声をあげながらナオの目の前を横切って行った。
「ここは―――」
「ようこそ、魔法の国へ」
ミヅキはボサボサの髪を風になびかせながら、ナオの隣に並んだ。
「ここが、魔法の国……」
彼女はしばらくその瞳に美しい街並みを映し感動に浸っていた。――かと思うと次の瞬間にはその場を飛び跳ね、壮大に広がる目の前の原っぱを駆け回り始めたのだ。
「……すっごおおぉぉいっ!」
くるくる周ったり、でんぐり返しをしてみたり。肉体がなくても触れるものや感じるものに変わりはない。心地よい草の温かさと肌触りにしばし身をゆだね、大地に寝そべっていた。
「見て。美味しそうな雲! あれにも乗れちゃったりするのかしら」
まるでメルヘン童話の主人公になった気分だ。このまま目を閉じて王子様が来るのを待ってみようか。なんて考えていると、何かが自分の足元をくすぐるような感覚がして起き上がる。何事かと起き上がってみると、そこには親指くらいの小人がナオの足をよじ登っているのが見えた。思い切って飛び降りて、転んでしまっている小人もいる。
「あ、ごめんなさい。邪魔しちゃって」
ナオは小人が足から降りたことを確認すると、伸ばしていた両足を引っ込めた。茶色い籠を手に走っていく小人たちは、まっすぐに先ほどの箱があった場所へと向かって行く。邪魔にならない様に気を付けながらその後を追いかけてみると、そこにはまだ風に飛ばされず残っていた白い塵の塊があった。彼らはそれをせっせと籠一杯に入れて、一生懸命どこかへと運んでいるようだ。彼らが帰って行く先を確認すると、小石の影に建つ可愛らしい家が沢山見えた。どうやらそこが、彼らの住処らしい。
「あの子達、何してるの?」
ナオの問いかけに、ミヅキは穏やかな口調で答えてくれた。
「彼らにとってあの塵は、お菓子作りの原料になるんです。口へ入れた時、とても甘かったでしょう? 彼らはこれをお砂糖代わりに使っているんです。僕らにとって煩わしいものも、種族によっては大切なご褒美になり得るということ。彼らにとって、この塵は贅沢品なんですよ」
「そうなんだ……」
だとしたらこの箱の中に放り込まれていたことも、あながち悪くなかったように思えてくる。ナオがそのまま彼らの様子を見つめていると、何かがこちらに向かって来ていたのに気が付いた。小指程の小さな小人だ。まだ幼い子どものように見える。他の小人に比べると何倍にも感じられる長い道のりを、自分と代わらない程の大きな籠を引きずりながら必死に走っている。目指すはとっておきの贅沢品だ。この時が来ることを、どれほど待ち焦がれていたのだろう。見た目以上の重労働でありながら、彼女の瞳はここからでも確認できるほどに輝いていた。
しかしその時、今日一番の突風が吹き荒れた。小人は風に煽られその場へと転がった。それと同時に残っていた塵のほとんどが、上空へと舞い上がってしまったのだ。
「あ、待って! あの子の分が――――」
ナオが慌てて残った塵が飛ばされないように、全身で覆い隠した。するとその塵はよし来たと言わんばかりに、ナオの体へとへばりついて来る。
「あ――!」
そうだ、この塵は人間にまとわりつくのが好きなのだ。そしてその体温に触れると、だんだんと消えていく運命にある。ナオが彼女のために残そうとした塵は、次々と溶けるように消えて行った。
「そんな―――」
やっとの思いでたどり着いた小さな小人。しかしそこには、一粒たりとも塵は残っていなかった。ナオは眉をひそませ、小人に向かって顔を寄せる。
「ご、ごめんなさい。私、アナタの分を横取りしようとしたわけじゃないの……!」
希望に輝いていた瞳は一気に悲しみに染まり、ぽろぽろと米粒のような涙があふれ出して来た。よく見ると籠の中には、小さな手紙が入っていた。目を凝らさなければ見えない程の大きさであったが、そこには優しそうな女性と子どもの姿が描かれている。そしてかすれるような文字で『天国のお母さんへ』と書いてあった。
「お母さんに、渡してあげたかったのね……」
少女は声を必死に殺し、歯を食いしばっていた。子どもながらに泣き叫んで暴れたい気持ちを、必死に抑え込んでいるようにさえ見えた。肩を震わせて涙をこぼす少女は服の袖で涙をぬぐい、トボトボと来た道を戻って行った。向かってきた時の軽やかさはもうない。来た時と変わらない空の籠は、はるかに重たそうであった。
「……小人さん」
ナオはその背中にもう一度だけ言葉をかける。
「ごめんね」
人間も小人も変わらない。誰かのことを思いやり賢明になる姿は、美しかった。思い報われず落ち込み涙をぬぐうその背中を見送るのは、苦しかった。
ミヅキはその様子を見届けた後、一言ナオへと声をかける。
「行きましょうか」
彼は人が住まう街へ続く、草の禿げた一本道へと歩き出した。ナオはミヅキを追いかけようとしたが、もう一度だけ遠く離れて行く小人の背中へ目をやった。
きっとあの籠一杯にたくさんのお砂糖を入れて帰ることを心待ちにしていたのだろう。天国にいる母親に、一人でも立派に出来る姿を見せてあげたかったのかもしれない。あれほど元気に駆け回っていた少女の足は、一歩を踏み出すだけでやっとだった。
その時、小さな小人の目の前に何者かが立ちはだかった。先に帰ってしまったはずの小人たちが戻って来たのだ。そして空っぽの大きな茶色の籠に、溢れる程の真白な砂糖をかわるがわる注ぎ込んでいく。彼らの籠に入っていた贅沢品は、たったの半分以下だ。それでもなぜか、嬉しそうだった。涙をこらえていた少女は思わず声をあげて泣き出すと、分けてくれた小人の胸の中へ飛び込んでいく。
――大丈夫。分かち合えば、きっと立ち上がれるよ。
そんな声が、聞こえてきた気がした。ナオは彼らの涙と笑顔を見届けた後、意を決して見えぬ未来へと一歩を踏み出す。
砂時計は反転する。刻々と時は進み始めた――。
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