【#95】地下1階・第五話:白炎の果て
俺は斬る。
迷いも、痛みも、過去の記憶も、すべてを振り払うように。
シエナは完全に異形へと変貌していた。
人の面影をかすかに残しながらも、背から伸びる黒い翼と十数本の触手が、荒れ狂うように空間を裂いてくる。
斬っても、再生する。
足を切断しても、すぐに黒い肉が蠢いて繋がる。
何度も胴を裂いても、次の瞬間には元通りだ。
——リジェネレーター。
不死身の実験体。シエナはそう呼ばれていた。
だが、それでも斬り続けるしかなかった。
『蓮、力を貸して』
ミスティの声が耳の奥で響いた。
いや、俺の心と、彼女の意思がひとつに溶けていく。
感情を押し殺し、呼吸を止め、鼓動だけを刃に込める。
「ミスティ——全部、食え」
俺がそう言った瞬間、ミスティが咆哮のような共鳴音を上げた。
赤黒いオーラが剣から迸り、斬撃の軌跡に冷たい光が走る。
俺は躊躇わず、正面から飛びかかった。
シエナの腕から生えた刃が俺の顔を狙ってきたが、寸前でかわし、彼女の胸部へと剣を突き刺す。
「う、ぐぅっ……!」
白い炎が彼女を包んだ。肉が焼ける音がする。ミスティが“縁”を食らっている。
これはただの肉体破壊じゃない。存在そのものを喰らう、剣の呪い。母の縁を食らうことで覚醒した、闇の力。この力によるダメージは、リジェネレーターをもってしても修復することはできない。
俺の意識に、失われた日々の記憶が流れ込む。
シエナと二人で手を繋ぎ、歩いた道。
苦いコーヒーとシエナの笑顔。
静かな夜、俺の髪を撫でながら囁いた、あの優しい声。
——やめろ。
心が軋む。痛い。斬っているのは、記憶そのものだ。
けれどその一方で、ミスティの力が急激に跳ね上がっていくのが分かった。
今、彼女は確かに“シエナとの縁”を食っている。
「蓮……」
声がした。
それは怪物の口から漏れたものではなかった。
シエナ自身の、最後の人間としての声だった。
「……ありがとう。あなたは、強くなったのね」
次の瞬間、シエナの体が爆ぜた。
光と影の断片に弾け飛び、残されたのは炭のような欠片だけだった。
※
俺は静かに立ち尽くしていた。
心が何かを失った気がして、けれど涙は出なかった。
そのとき、ミスティが淡く光りはじめた。
まるで血液の代わりに“縁”そのものが流れ込んでいるように。
『……蓮、ありがとう。今の私の力なら、エルゴスに負けることはない。貴方となら、どんな敵にも勝てる』
「行くぞ、ミスティ。全てを終わらせるために」
ふたりの意志が、ぴたりと重なった瞬間——
地上へと続く扉が、静かに開いた。




