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【#92】地下1階・第二話:感情切断

 シエナは微笑を崩さぬまま、俺の構えを見つめていた。


「怖い顔をしないで、蓮。これはあなたのためなのよ」

「……俺のため、だと?」

「そうよ。あなたのお母さんはね……」


 シエナの声が、広間の静寂に溶けていった。まるで祈りのような、それでいて残酷な告白だった。


「蓮と私の結婚を望んでくれたのよ。孫の顔を見るのが楽しみだって……笑って言ってくれたわ。私が何者なのかも知らずに……」


 シエナの声は穏やかだった。悲しみも怒りも恨みも悪意も、何も感じられなかった。

 彼女の顔を直視できず、傍らの女に視線を移す。

 俺は何も言えないまま、ただ、そこにいる女を見ていた。


 母さん。


 懐かしいはずの顔なのに、どこか遠く、知らない誰かのように感じる。


「あなたが無事に帰ってくることや、エルゴスとの戦いが終わることを……ずっと願っていた。あの人は本当に……あなただけを見ていたわ」


 俺は唇を噛んだ。


 感情が——疼く。


 だが、それを感じている間にも、母の体は……変わっていた。

 背中から肉が裂け、蠢く黒い触手が這い出る。骨が変形し、手足が異様なほどに伸び、顔が……裂ける。

 悲鳴は、上がらなかった。

 代わりに聞こえたのは、肉と骨がぶつかる音。歯が、牙が、俺を喰らおうとする音。


「母さん……」


 彼女は何も言わない。助けを求めることも、涙を流すこともなく、ただ“襲いかかる”。


 そんな——そんな馬鹿な。

 だが、ここで死ぬわけにはいかない。


「……ミスティ、精神同調だ。俺の感情を遮断しろ」

『……了解』


 心が冷える音がした。俺の中から熱が抜けていく。

 悲しみも、怒りも、迷いも、すべて氷のように閉ざされていく。


 目の前のものは、“敵”だ。


 俺を殺そうとする存在。ただ、それだけ。


 ミスティが紅に輝き、俺の腕と同化する。

 異形となった母の腕が地を叩き、俺を貫こうと迫る。


 回避。斬撃。間合いを詰めて、急所を穿つ。


 心が軋む。


 でも、もう聞こえない。何も感じない。


 これは“戦闘”だ。俺は戦士で、あれは敵。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 母さん。

 ごめん。

 でも——俺は、進む。


“あなたは俺の帰還を願ってくれた。エルゴスとの戦いの終焉を願ってくれた。だからこそ、俺はここで立ち止まるわけにはいかない。”


 戦いは続く。俺は感情を捨てて、ただ剣を振るい続けた。

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