【#91】地下1階・第一話:再会
——空気が変わった。
階段を上りきった瞬間、俺は直感的に理解した。
ここは今までの階層とは違う。
濃密な魔力が天井を這い、地の底から逆流するように吹き上がっている。
地下1階。地上のすぐ手前、だが——最も深い“心臓部”のような気配すら感じられた。
「……いるな」
耳鳴りのような低音が、壁の奥から響く。次の瞬間、地面を割って巨大な腕が飛び出してきた。
魔物——いや、“門番”か。
それは異様に長い腕を持ち、節くれだった指が地を這うたびに、石床がバターのように削られていく。
顔の中央には巨大な目が一つだけ。周囲にある肉塊は、他の獲物を取り込んだ名残だろう。無数の人間の顔が、苦悶の表情で埋め込まれていた。
「来いよ、化け物」
ミスティを構える。
俺の声に反応するように、魔物は咆哮し、空間が振動する。
ドン——ッ!
一気に距離を詰めた魔物の腕が振り下ろされる。俺は跳躍し、左へと転がるように着地。さっきまで俺のいた場所に魔物の腕が叩きつけられ、その衝撃で土煙が上がった。
「……お前の死体で床を磨いてやるさ」
ミスティが紅の光を放ち、剣閃が闇を裂いた。
魔物の腕を斬り払う——が、裂けた肉はすぐに再生を始める。ミスティがかすかに唸った。
再生能力付きか。だが、芯は一つ——
「そこだッ!」
跳躍し、魔物の顔へ向けて一気に踏み込む。
一点を狙って突き刺す。ミスティの刃が魔物の中央の目に突き立ち、硬い骨を砕き、脳髄に届く。
魔物が悲鳴とも断末魔ともつかない音を響かせた。暴れる腕が周囲を無差別に破壊し始める。
だが、動きはもう遅い。身体の中心に染み入った黒い亀裂が、徐々に全身を覆っていく。
「終わりだ」
ミスティの刃を引き抜くと同時に、魔物は崩れ落ちた。肉が腐り、骨が砂に変わる。静寂が広がった。
※
全身に血と汗を浴びながら、俺はまっすぐ扉の先を見据える。
この先に、何がいるのか——もう知っている。
扉を蹴り開け、広間へと足を踏み入れる。
そこはまるで礼拝堂のような空間だった。黒曜石の柱が天井を支え、中央には燦然と輝く魔法陣。
そして、その向こうに——二人の姿があった。
「……蓮」
声が届いた瞬間、全身から力が抜けそうになった。
シエナ。
あの頃と変わらぬ姿。いや、何かが違う。瞳の奥に、冷たい覚悟のようなものが宿っている。
「あなたのお母さんの願いを叶えてあげたのよ」
シエナがゆっくりと微笑んだ。その隣には、白衣を纏った女性——俺の、母がいた。
「戻ってきてほしい。そのためなら何でもする……そう言ってた。だから、私はここまで来たの」
母は何も言わなかった。ただ、俺を見ていた。
その瞳は優しさと、深い後悔のようなものを湛えていた。
「シエナ……」
俺は言葉を詰まらせた。怒りでも哀しみでもない。
ただ、失った時間が胸に突き刺さる。
だが、迷いはない。この再会の意味が、どんな結末に繋がるとしても——俺は、俺の意志で歩く。
「話を聞かせてもらうぞ。全部、ここで」
俺はミスティの切っ先をシエナに向ける。
戦いは終わっていない。むしろ、これが本当の“始まり”だと、本能が告げていた。




