【#89】地下2階・第三話:クロイツの審判
剣を構えたまま、俺はクロイツと対峙した。
さっきまで俺を死地へ追い詰めていた異形の処刑人——ヒューベルトは、もう動かない。
だが、クロイツの気配は、それを上回っていた。
俺はクロイツを挑発する。
「ようやく貴様と一対一か。俺としては、願ってもない展開だ」
「ふむ。貴様の怒りは理解できる。しかし、我々エルゴスにとって、怒りなどは単なる燃料に過ぎん。冷たい理がすべてを裁く」
クロイツが杖を掲げた。
空間が、ねじれる。俺の足元の床が波打ち、黒い杭のような魔力が地面から突き出した。
——瞬間、足元を蹴って跳ぶ。
杭が遅れて床を貫き、石片が四散した。空中で体勢を整え、ミスティを両手で構える。
「“運命の秤よ、均衡を正せ”——《審断・クルクス》」
クロイツの詠唱と共に、空間に巨大な天秤が出現する。
片方には黒い球体、もう片方には赤い火球——俺の戦意が天秤に乗せられたことを、理解する。
「なんだこれは……!」
「貴様の“存在の価値”を、審判する。死を望め、蓮」
天秤が傾き、黒球が俺を押し潰すように落下してくる。
理不尽なまでの圧力と重力が肩を、背骨を砕こうとした。剣を支える両腕が、軋む。
「クソッ……こんな……!」
だが——その時、ミスティの声が響いた。
「蓮、私に怒りを。あの男は、ロザリンドを実験に送った張本人よ」
「……ッ!」
怒りの奔流が胸を貫き、剣に宿る。
ミスティが赤黒く輝き、俺の足元にあった重力を焼き払うように跳ね上げた。
「天秤なんざ、ぶっ壊してやるよ!!」
跳躍する。
剣を振り上げ、俺は空中で黒球を真正面から叩き斬った。
轟音。
圧力が弾け飛び、空間の歪みが消える。天秤が砕け、クロイツがわずかに表情を崩した。
「……なるほど。やはり、“鍵”だな。貴様の存在こそ、因果の回路を乱す……」
「理屈はもういい。今度は、俺の番だ」
地面を蹴る。
剣閃が、クロイツの杖にぶつかる——金属ではない。だが、重厚な魔力の障壁がミスティを弾く。
しかし、それでも俺は止まらない。
怒り、記憶、失ったものの全てを燃やし、斬り込む。
「これが“私の審判”か……。ならば——!」
クロイツが魔力の爆発を起こす直前、俺はミスティのエナジードレインを発動した。
魔力の源を吸い、逆流させ、杖の核心を断ち切る。
——爆発。
クロイツの体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
燃え残ったマントがひらりと落ち、黒い染みのような魔力が地に溶けた。
呼吸が、荒い。
剣を床につき、俺は少しだけ膝をついた。
——だが、立ち上がる。
「先に進む。もう、止まっている暇はない」
視界の先。
——地下1階に通じる階段が、まるで俺を待っているかのように佇んでいた。




