【#85】地下3階・第三話:記憶の残響
「ミスティ、戻ってくれ」
俺の声に応じ、彼女は静かに頷いた。
その身体が再び光に包まれ、手元に剣の形で戻ってくる。
「……あなた一人の戦いじゃないわ、蓮」
ミスティの声が剣を通して響く。
けれど——俺の視線は、その剣の先、鏡の中から現れた“彼女”に注がれていた。
「……ロザリンド……?」
そこに立っていたのは、かつて俺の剣術を教え、導いてくれた師——
ロザリンドと、寸分違わぬ姿の影だった。
だが彼女は、俺に剣を向ける。
「久しいな、蓮。だが、私は“彼女”ではない」
その声も、間合いも、剣の構えも——間違いなくロザリンドだった。
「蓮……あれは“私”の鏡の残響」
ミスティの声が、やや沈んでいた。
それはまるで、過去の自分を直視するような、そんな痛みを帯びていた。
「残響?」
「“彼女”は、私が“ロザリンド”だったときの記憶の結晶——私が剣へと変わるときに切り離した、過去の思念。私はエルゴスに欺かれたふりをして、彼らの計画を潰すために自らを剣にした。本当の目的を知られるわけにはいかなかったから……」
「じゃあ……ロザリンドは……お前の中に」
「生きているわ。けれど“思い出せない”——それを、鏡が取り戻そうとしてる」
目の前のロザリンドは、微笑む。
その剣には殺気が宿っているのに、どこか懐かしさを感じるのは——
きっと、俺の記憶と重なっているからだ。
「蓮、お前に剣を教えた理由を覚えているか?」
「……強さの意味を知れ、だったな」
「そうだ。だが、それは半分しか伝えられなかった。“守るために戦うこと”——その本質を、お前に残したくて、私は……」
鏡のロザリンドは、静かに剣を振る。
それはまるで、導くような剣術。
過去の稽古を思い出すような感覚に、俺の身体が自然に動いていた。
「蓮、これは——お前が“本当に信じるもの”のために剣を振るう戦いだ」
ミスティが俺に囁く。
「蓮、構えて。彼女は私の過去であると同時に、鏡の生み出した魔物よ」
「ああ、わかってるさ」
俺は剣を構え、そして走り出す。
彼女の剣と俺の剣が交差するたび、剣筋に重なって思い出がよぎる。
微笑み、叱責、稽古、そして——別れ。
「ミスティ……」
「ええ。私は“彼女”の意志を継ぐ剣。蓮、迷わずに。斬りなさい。あなた自身の手で」
俺は、ロザリンドの影を斬った。
一閃。
確かな手応えとともに、影は静かに崩れ、鏡へと還っていく。
彼女は、最後に微笑んだ気がした。
「お前なら、必ず辿り着ける」と——
鏡の回廊に静寂が戻る。
剣の中のミスティが、ほんのわずかに囁いた。
「ありがとう、蓮。少しだけ……“私”を思い出せた気がするわ」
「……ああ。俺も、あの人の剣を思い出せた」
静かに前を向く。
回廊の奥には、新たな扉が待っていた。