【#36】地下12階・第三話:影の追跡者
幻覚の世界から戻った俺は、依然として奇妙な違和感を拭いきれずにいた。
ロザリンドの名前を呟いていた影。
思い出せないはずの師の姿。
そして、ミスティの微妙な反応。
「……いや。考えても仕方ない」
ダンジョンは待ってくれない。
今はこの地下12階を突破することが最優先だ。
俺は剣を構え、視線を巡らせる。
周囲は相変わらず不気味な幻影の空間だった。
──が、何かが違う。
さっきまでの”揺らぎ”とは違う異質な気配が、肌にまとわりつく。
「蓮、気をつけて」
ミスティが低く囁く。
「……何か来るのか?」
「いいえ。でも、”いる”……」
彼女がそう言った瞬間。
“それ”は、音もなく現れた。
──俺が15歳だった頃の姿をした”追跡者”。
茶髪のショートカット、鍛えられた体つき。
顔は幼さを残しながらも、鋭い眼光を宿している。
当時の俺にそっくりだった。
だが、何よりも異様だったのは、その雰囲気だった。
まるで”俺自身”がここに立っているような、奇妙な感覚を覚えた。
「……お前が、俺の追跡者か」
少年は何も言わない。
ただ、ゆっくりと剣を抜いた。
それは俺がかつて使っていた、標準的な騎士剣の形状だった。
「……へぇ」
俺は小さく笑う。
「俺の姿を真似ているだけじゃないんだな。昔の剣までコピーしてやがる。懐かしいな」
だが、当然”当時の俺”とは違う。
この追跡者は、ただの幻影ではない。本気で俺を仕留めにくる敵だ。
「蓮……この敵は、これまでの追跡者とは違います」
ミスティが警戒を強める。
「……ああ。そうだろうな」
俺はゆっくりと剣を構えた。
──こいつを倒さなければ、次へは進めない。
少年の姿をした追跡者が、消えた。
「ッ!」
瞬間移動に近い速度で俺の背後に回る。
その刹那、反射的にミスティを横薙ぎに振った。
ギィンッ!!
鋭い金属音が響く。
──間に合った。
追跡者の剣を受け止めることに成功する。
だが、衝撃が腕に響く。
「……悪くない」
口元が自然と歪む。
──久しぶりに、自分と戦う感覚だ。
追跡者は表情を変えずに再び動く。
今度は高速の突き。
それを紙一重でかわしながら、反撃の一撃を叩き込む。
だが──
「っ……!」
手応えがない。
刹那、追跡者の身体が”幻のように”揺らぐ。
「──幻影!?」
気づいたときにはもう遅い。
背後からの斬撃が肩をかすめた。
「くッ……!」
すぐに距離を取る。
だが、これで確信した。
“こいつは、この階のギミックと融合している”。
普通の追跡者とは違う。“幻覚”を自在に操り、攻撃の軌道を錯乱させている。
「なるほど……そういうことか」
俺は大きく息を吐き、剣を構え直した。
「……なら、方法はひとつだな」
追跡者はまた消えた。
──だが、今度は見える。
幻影の揺らぎ、歪み、そのわずかな違和感を見極める。
「──そこだ!」
ミスティを真横に振る。
刃は何もない空間を裂いた……かに見えた瞬間。
「……ッ!」
追跡者の姿が”そこ”に現れた。
「……!」
驚愕の表情を浮かべた刹那、ミスティの刃が腹を貫いた。
ズバァッ!
鮮血の代わりに、影のような黒い霧が舞う。
「……悪くない戦いだったな」
追跡者の姿がゆっくりと崩れていく。
最後に、かすかに口元が動いた気がした。
──そして、消えた。
彼の使っていた剣だけが、床に落ちる。
俺は呼吸を整えた。
「……ふぅ」
「やるじゃない、蓮」
ミスティが少し驚いたように言う。
「まあな……」
俺は自分の手を見下ろす。
──ほんのわずかだが、“当時の感覚”が蘇った気がした。
あの頃の俺は、ただひたすら強くなろうとしていた。
ロザリンドの背中を追いかけながら──
「……行くぞ、ミスティ」
俺は歩き出す。
──幻覚の迷宮は、まだ続いている。




