エピローグ:その刃が届くまで
空間が鳴った。
それは爆発音でも、地響きでもない。“存在”そのものが共鳴し、世界の根幹にひびが走るような音だった。
九條蓮の命を喰らい、完全体へと至ったミスティは、もはや「剣」ではなかった。
それは意志と力の結晶。
人の心と魔の核が融合し、世界に抗う刃と成り果てた“存在”だった。
その姿は人のようでもあり、剣のようでもあった。
背から無数のエネルギーブレードを伸ばし、髪のごとく揺れる黒炎が空間を溶かす。
瞳には蓮の意志が宿り、口を開かずとも、彼の声が重なるように響いた。
「──終わらせよう、オル=カレイド」
エルゴスの深層核、崩壊寸前の玉座に、仮面の主は立っていた。
オル=カレイド。
次元と生命を操り、進化の監視者を自称する存在。
その仮面には感情はなく、声には重みだけがあった。
「美しいな。哀しみを力に昇華するとは、まさに“旧き人類”の業よ」
オル=カレイドの周囲には、歪んだ生体装甲の壁が幾重にも展開されていた。
時間を遅延させ、可能性を折り畳み、干渉そのものを遮断する防壁。
どんな攻撃も届かぬはずだった。
──しかし、そのはずだった。
「届かせる」
ミスティの声が、空間を貫いた。
次の瞬間、彼女の姿が分裂し、数千の“斬撃”が同時に放たれる。
それは時間軸を跨ぐ斬撃。
因果をなぞり、存在の過去に干渉する“概念攻撃”だった。
幾重にも折り畳まれたオル=カレイドの防壁が、ひとつ、またひとつと破られていく。
「それでも届かぬ」
オル=カレイドが応じ、空間が反転した。
ミスティの身体が裂け、再構成されるより早く、重力反転、思考遮断、霊格分解の波動が押し寄せる。
しかし、ミスティは止まらない。
「彼が……あなたを超えようとした。だから私は、彼の果たせなかった“到達”を果たす」
彼女は進む。
この刃は、蓮の心と一緒に在る。
たとえ敵が神であろうと、到達できぬ高みにあろうと──
「私は彼の剣だ。世界を裂いてでも、届かせる!」
ミスティの身が閃光と化した。
空間が二つに割れる。
エネルギーの奔流がオル=カレイドを包み込み、無限の剣圧が仮面を割る。
バキン、と小さな音がした。
仮面が──割れた。
その奥にあったのは、空虚だった。
神にも等しいその存在の核には、ただひとつ、虚無だけがあった。
「……やはり、進化とは──」
言葉の続きを発することはなかった。
ミスティの最後の斬撃が、それを世界ごと断ち切ったからだ。
オル=カレイドは、消えた。
存在の痕跡ごと、永遠の闇に封じられた。
やがて、崩壊を始めていた深層核も静かに消滅し、空には久しぶりの青が戻っていた。
そして、瓦礫の上に立つミスティは、そっと目を閉じた。
「蓮。あなたの刃は、最期まで届いた」
彼女の身体が光へと還り始める。
遺されたのは一本の黒い剣──それは静かに、朽ち果てた大地へと突き立てられた。
その剣から立ちのぼる黒い霧の中に、二つの影が現れる。
黒いスーツに身を包んだ若い男。赤いドレスを揺らす少女。
蓮とシエナ——かつて交わされなかった未来の残響。
彼らは笑いながら手を取り合い、もう存在しない風を感じるように歩き出す。
それは、ミスティの喰らった縁が最後に見せた幻だった。
ふいに足を止めた二人は、互いを見つめるとそっと口元を綻ばせ、やがて霧とともに空気に溶け、静かに消えた。
何も語らず、ただ、夢のように。
世界は、再び静寂を取り戻した。
──奈落より還る【完】




