16話「交渉」
宿屋の静かな部屋の中で、エリーとフィーナはベッドに隣り合って座っていた。フィーナの顔には疲れが滲んでおり、その目はどこか遠くを見つめているようだった。エリーはそんな彼女の様子をじっと見つめ、優しい声で口を開いた。
「フィーナ、あなたの妹のこと、もう少し話してくれない?どんな子なの?」
フィーナは一瞬戸惑ったように俯いたが、やがて少しずつ話し始めた。「妹の名前はルナ。まだ…9歳なんです。私が彼女を守らないといけないんです。両親がいなくなって、ずっと二人で生きてきたから……」
「……両親は?」エリーが小さな声で尋ねる。
フィーナは少し苦しそうな表情を浮かべながら、言葉を続けた。「私たち、捨てられたんです。小さい頃、両親に……。記憶はあんまりないけど、森の中に置き去りにされて……それで、どうしようもなくて、孤児になりました。」
彼女の言葉には、過去の痛みが滲んでいた。フィーナは続けた。「その後、奴隷商に捕まって、私は奴隷にされました。最初はルナと一緒にいられたけど……ある時、ブルーノに引き取られて、私たちは引き離されました。それからは、ずっと奴隷としてこき使われて……」
フィーナの声は次第に小さくなり、目が潤んでいた。彼女は何度も妹のことを思い出してきたのだろう。エリーはその痛みを共有するように、そっと彼女に寄り添った。
「フィーナ……辛かったね。でも、ルナは無事なんでしょ?」
フィーナは小さく頷いた。「はい。ルナは……まだあの屋敷にいます。私は彼女を助けたいんです。でも、どうしても力が足りなくて……どうすればいいか分からない」
フィーナは怯えた表情でエリーを見つめ、声を震わせながら話し始めた。
「……あなたの仲間のお姉さんたち……リーラさんやレイナさんが、私の妹を助けようと向かってくれましたけど……ブルーノには敵わないと思います……あの人、ただの悪党じゃないんです。とても怖くて……私、彼らが無事かどうか……」
フィーナの声は弱々しく、恐怖と絶望が混じり合っていた。エリーはそんなフィーナに無邪気な笑顔を浮かべながら、力強く答えた。
「そんなことないよ!きっと大丈夫!みんな強いし、絶対に妹ちゃんを助け出すよ!それに、カイがいるから!
フィーナはさらに不安そうに眉をひそめ、「でも……カイさんは協力しないって、あの時、出て行ってしまいました……」と心配そうに言った。
エリーは少し考えた後、元気よく首を振った。「カイは必ず来るよ!あの時、ちょっと意地張っちゃっただけ。ほんとは、すごく優しいんだよ。絶対に助けに来るから、心配しないで!」
フィーナは不安そうにエリーの言葉を受け止め、少し疑いの表情を浮かべたが、エリーは続けて話し始めた。
「私……記憶がないんだ。だから、カイたちと会う前のことは全然覚えてないの。だからね、初めて食べたご飯の記憶はカイが私に食べさせてくれた時のご飯なの。それがすっごく美味しかったんだ!」
エリーは無邪気に笑いながら話し続け、フィーナの手をぎゅっと握った。「カイも、その時笑ってくれてたんだよ。いつも怖い顔してるけど、本当は優しいの。昔、きっと辛いことがあったから、今はちょっと難しい顔してるだけなんだよ!」
フィーナはその話を聞いて少し目を伏せ、言葉を絞り出すように言った。「……そうなんですか……」
エリーはその言葉を無邪気に打ち消すように、「大丈夫!カイは絶対に来るから、フィーナも怖がらなくていいよ!」と笑顔でフィーナを励ました。
フィーナは怯えながらも、エリーの言葉に少しずつ希望を抱き始めた。彼女の中に、わずかながらも安堵が広がっていくように感じた。
エリーはフィーナの手を優しく握り、目を真剣に見つめた。「フィーナ、私にできることをしたい。君とルナが一緒にいられるように……そのために、私も力になりたい」
フィーナはエリーの真っ直ぐな瞳に驚きながらも、わずかに微笑んだ。「ありがとう、ございます…でも、どうやって……?」
エリーは少しの間考え込んだが、すぐに決心したように立ち上がった。「ドランゴファミリーの屋敷まで、私を連れて行って!フィーナの妹を助け出すために、一緒に行こう!」
「でも……危険よ、エリー。あそこは……」
「大丈夫。私がいるから、きっと何とかなる。リーラやレイナたちもいるし、一緒にルナを救おう!」エリーは明るく力強く言い、フィーナに手を差し伸べた。
フィーナはその言葉に少し躊躇したが、エリーの熱意に引かれるようにその手を取った。「……わかりました」
二人は宿を飛び出し、夜の街を駆け抜けてドランゴファミリーの屋敷へと向かった。
レイナとリーラは手を縛られ、無言のまま暗い廊下を引きずられていた。足元に引かれた鎖の音が冷たい石床に響く。レイナは骨が何本か折れているせいか、歩くだけでもつらそうだ。目の前には一人の男――レイナを倒したスキンヘッドの大柄な男がいた。
やがて彼女たちは重厚な扉の前に連れられ、一室へと押し込まれた。部屋に入ると、そこにはお腹から血を流して倒れているレオンの姿があった。彼の顔は青白く、血が床にじわりと広がっていた。
「レオン……!」リーラは驚愕し、思わず声を上げた。彼女は抵抗しようとしたが、縛られた手足のせいで動くことができない。
「おいおい、静かにしろよ」レイピアを持った男が冷笑を浮かべながら、リーラの前に立ちはだかった。「さて、お前ら、何しにここへ来た?」
男はリーラの喉元にレイピアを突き立てるが、リーラは冷たい目で男を睨みつけ、口を固く閉ざした。答える気は一切ないことを示すように、無言のままだ。
男は少し面白そうに眉を上げたが、すぐに肩をすくめた。「ふん、答えないってか。ま、いいさ。どうせ地下室には奴隷しかいねぇ。奴隷が目的だったのか?」
レイピアを持った男はスキンヘッドの男と顔を見合わせながら、不敵な笑みを浮かべた。「あの緑髪の子供か?どうやらお前ら、奴隷に手を出そうとしたってわけか?」
「……奴隷なんて知らないわ」とリーラは冷たく答えたが、その声には怒りが滲んでいた。
「嘘をつけ」とレイピアの男が吐き捨てるように言った。
スキンヘッドの大柄な男は、腕を組みながら「奴隷が目的なら、ボスに話をつけたほうがいいだろうな」と呟き、部下の一人に目を向けた。「おい、ボスを呼んでこい。俺たちだけじゃ話がつかない」
部下は無言で頷くと、部屋を出て行った。
「おまえみたいな女は嫌いじゃねえ。よく見たらいい体してるな。ボスが来るまでたっぷり可愛がってやろうか?」
レオンの呼吸は浅く、倒れたままで意識がはっきりしていない様子だ。リーラはその姿を見つめ、心の中で何か策を考えていたが、今はただ無力感が広がっていた。
ブルーノ・ドランゴは、葉巻の煙をゆっくりと吐き出しながら、重厚な革張りの椅子に腰掛けていた。薄暗い部屋の中、金色の装飾が施された壁に影を落とし、無言の威圧感が漂っていた。
「クソ、フィーナはまだ帰ってこないのか……本格的に動き出した方が良さそうだな」と独りごちながら、ブルーノは再びタバコを吸い込んだ。
その時、ドアが勢いよく開き、一人の部下が入ってきた。
「ボス、バブさんが侵入者を捕らえたそうで、ボスに来て欲しいと」
ブルーノはタバコを口から離し、目を細めながらいった。「侵入者だと…?」
今やこの都市の裏を牛耳っていると言っても過言ではないこのドランゴファミリーの本拠地に乗り込んでくるやつなど、この数年いなかった。
「連れていかれたのはどこの奴だ?」
部下は少し怯えた様子で首を横に振った。「詳しくは分かりませんが、奴隷を目当てにしていたかもしれません。ボスが確かめたほうが良いかと……」
「……いいだろう。見に行くか」ブルーノは短く返答し、タバコを灰皿に押しつけて火を消した。
しかし、彼が立ち上がろうとした瞬間、もう一人の部下が慌てた様子で駆け込んできた。肩で息をしながら、焦燥感を隠しきれない表情でブルーノに報告する。
「ボ、ボス、大変です!こちらにも侵入者が……」
「なんだと?バブが捕まえた連中とは別か?」ブルーノの眉が深く寄った。
その時、部下の後ろから、ふと軽快な足音が聞こえ、さらにドアが開いた。ロウが陽気な笑顔を浮かべながら、堂々と部屋に入ってきた。そして、その隣には、無言で鋭い眼差しを放つカイが控えている。
「よう、ブルーノさん。こんなに厳重な屋敷なのに、俺たちみたいな連中が簡単に入っちまうなんて、ちょっとセキュリティが甘いんじゃないか?」
ロウは軽い調子で言葉を投げかけながら、ブルーノの部下たちの困惑を楽しんでいるようだった。
ブルーノは一瞬驚き、そして苛立ちを隠せないまま部下に鋭く問い詰めた。「なんだてめぇら、おい、なぜこいつらを通した?」
部下は青ざめた顔で口を開いた。「す、すみません……追い払おうとしたんですが……皆、この剣士にやられてしまって……!」
ブルーノはカイを見つめ、その無言の剣士から感じる圧倒的な威圧感を感じ取った。「ほう……お前がやったのか?」
カイは表情一つ変えなかった。その視線は冷たく、すぐにでも行動を起こす準備ができているかのようだった。
ブルーノは苛立ちを隠しつつも、その場で冷ややかに笑った。「面白い。だが、俺の屋敷に踏み込んだ以上、タダでは済まんぞ。」
ブルーノは冷静さを保ちながらもう一度タバコに火をつけ、深く吸い込んだ。煙をゆっくりと吐き出し、視線をロウとカイに向ける。
「で、てめぇらは何者だ?一体何のつもりでここに来た?」
その問いに対し、ロウは先ほどまでの軽妙な調子とは打って変わり、わざとらしく上品な態度を取り始めた。まるで貴族のように胸に手を当て、優雅な身振りでお辞儀をする。
「これはこれは、ブルーノ・ドランゴ様。私はロウ・ファルブレイズと申します。この都市に住むしがない商人です」
カイはそのロウの突然の変わり様に何も言わなかったが、内心でやや呆れつつも、そのまま状況を見守る。
「隣におりますのは、私の護衛でございます。非常に腕が立つ剣士でして、何かとお役に立つかと存じます。」ロウはカイを指差しながら、涼しい顔で紹介した。
ブルーノはロウの芝居がかった態度に一瞬眉をひそめるが、そのまま冷静に問いを続ける。「ふん、商人が俺の屋敷に来るとはな……で、一体何の用だ?」
ロウは少し目を輝かせながら、まるで待っていたかのように答えた。「実はですね、一人の奴隷を買いたいと思っておりまして。」
「奴隷だと?」ブルーノは一瞬驚き、険しい表情を浮かべた。「俺の奴隷に興味を持つ商人が、わざわざこの屋敷まで来るとはな……どの奴隷だ?」
ロウは少し間をおき、にやりと笑みを浮かべながら答えた。「フィーナという名の、緑の髪を持つ少女です。」
その言葉が発せられた瞬間、ブルーノの表情が代わり、タバコを吸う手が一瞬止まった。彼はフィーナの名前を聞くと、疑いの目をロウに向ける。
「フィーナだと……?あいつに何の用がある?」ブルーノの声には明らかに警戒の色が滲んでいた。
ロウは、変わらぬ上品な態度で、あえて軽やかな声色を保ちながら続けた。
「実はあの少女を先日、オークション会場で見かけましてね。まあ、その瞬間に心を奪われてしまいまして……一目惚れというやつです。どうしても彼女を自分の従者にしたくて、こうして直接交渉に伺った次第です。」
「一目惚れだと……?」
ブルーノはロウの言葉を聞きながら、内心で冷静に状況を分析していた。
こいつらはフィーナの『魔眼』のことを知っているのか?今フィーナがいないのはこいつらの仕業か?
頭の中で様々な疑念が渦巻いたが、ブルーノは表情を変えず、余計な情報を彼らに与えるべきではないと判断した。しばらく沈黙を保った後、ブルーノはフィーナの価値をしっかりと計算した上で、冷たく言い放った。
「そいつは無理だ。」
ロウは顔に驚きを浮かべながらも、依然として穏やかに尋ねた。「おや、無理とはどういうことでしょうか?なぜ彼女を手に入れることができないのですか?」
ブルーノはタバコを指先で回しながら、わざとらしい無表情のまま答えた。「あいつには妹がいる。そいつと離れたくないらしい。どうしても買いたいというなら、二人揃って買うんだな。」
ロウは少し眉を上げ、意外な条件に驚いた様子を見せたが、すぐににこやかに微笑んだ。「そうですか。ならば二人まとめて購入しましょう。それが彼女の望みなら、もちろんそれに従いますよ。それで、お値段は?」
ブルーノは平然とした態度で値段を告げる。
「……1000万ベルだ。」
その瞬間、部屋の空気が一変した。ロウは微笑んだままだったが、カイが横で冷静に観察し、ほんの一瞬だけ険しい表情を浮かべた。
「1000万ベルですか……それはなかなかの額ですね。とても少女の奴隷二人にかけられる値段ではないように思われますが……」
「それがどうした?あいつらの所有者は俺だ。どんな値段をつけようがおれの勝手だろう」
ブルーノはタバコをふかしながら、彼らの反応をじっと見守っていた。「さて、どうする?」
ロウは軽く肩をすくめ、微笑みを浮かべながら言った。「1000万ベルという額は、さすがに私には用意できませんね。しかし、ここで等価交換を提案させていただきたいのです。」
ブルーノは眉をひそめ、疑わしげにロウを見つめた。「等価交換?一体何を差し出すつもりだ?」
ロウは落ち着いた声で続けた。「そちらは、奴隷の少女二人を私に渡す。私はその代わりに、ある遺物に関する非常に価値のある情報を提供しましょう。」
ブルーノは不信感を隠さず、鼻で笑った。「たかが情報だけで、1000万ベルに釣り合うわけがないだろう。よほどの情報でなければ話にもならんぞ。」
その言葉を受け、ロウは一瞬真剣な表情を浮かべ、静かに言った。「その情報とは……『G・E・A』についてです。」
その瞬間、ブルーノの顔色が一変した。表情に一瞬の驚きが走り、勢いよく立ち上がった。「なぜお前がそれを知っている?!」
カイはその会話を横で聞いて、表情を変えなかったが心の中で首を傾げた。『G・E・A』という単語は、カイは初耳だった。
ロウは肩を軽くすくめ、余裕を保ったまま答えた。「それは今はどうでも良いことです『G・E・A』……それがどれほどの価値を持つかは、あなたが一番よくご存じのはずです。」
ブルーノはすぐに感情を隠し、冷静を取り戻したが、内心では動揺を隠しきれなかった。「……確かにその名は聞いたことがある。しかし、そんな情報がどうしてここにいるお前のような男から出てくるんだ?」
ロウはニヤリと笑い、冷静に続けた。「詳しい話はこの場ではしません。しかし、あなたが興味を示すような情報を私は持っています。取引をする価値は十分にあるはずです。私が提供する情報と、少女二人との等価交換、これでどうでしょう?」
ブルーノはしばらく沈黙し、ロウを鋭く見つめた。やがて、静かにタバコをもみ消しながら考えを巡らせていた。
『G・E・A』についての情報は確かに価値がある。その情報と引き換えに奴隷二人を差し出せるのなら安いもんだが……
「……お前が本当に『G・E・A』について知っているというなら、聞かせてもらおうか。」ブルーノの声は冷たく響いたが、その裏には興味がはっきりと感じ取れた。
ロウは静かにブルーノを見つめ、少し口元を緩めながら言った。「それなら、まず二人の少女をこちらに渡してもらいましょう。それから情報をお渡しします。」
ブルーノは一瞬考え込みながらも、すぐに「いいだろう」と短く返事をし、無言で部下に顎で指示を出した。部下は即座に動き出し、部屋を出ていった。
その間、ブルーノはゆっくりと机に指を置き、トントン、と軽く二回叩いた。その合図は、ドランゴファミリーの者なら誰もが知るものだった。机を二回叩くこの仕草は、「俺が指示したら、一斉に相手を殺せ」という命令を意味していた。部屋に控えていた部下たちはその合図を受け取り、無言でお互いを見やりながら軽く頷き合った。
カイはそのやり取りを見逃さなかった。彼の鋭い目は、部下たちが交わした視線と、ブルーノの仕草に気づいていた。これがどういう意味を持つか、カイは正確には把握できてなかったが、注意を怠らないよう気を引き締めた。
しばらくして、部下が扉を開け、緑の髪をした幼い少女を連れて入ってきた。彼女は怯えた目で周囲を見回しながら、ゆっくりと部屋に歩み寄った。その様子を見て、ロウは首輪に繋がった鎖を手渡されると、少女の前にひざまずき、目線を合わせるようにして穏やかに話しかけた。
「大丈夫だ。怖くないよ、君を連れて帰るからね。」
しかし、ロウはすぐに立ち上がり、ブルーノに向かって手をかざしながら問いかけた。「一人しかいませんが?私は二人を引き取るという話だったはずです。」
ブルーノはニヤリと笑いながら、タバコをゆっくり吸い込んで煙を吐き出した。「それは前金だ。情報を提供した後、フィーナも渡してやる。」
ロウは少し眉をひそめたが、すぐにその表情を取り繕い、落ち着いた態度で続けた。「なるほど、そういうことですか……では、約束どおり情報を提供しましょう。」
カイはそのやり取りを無言で見守っていたが、部屋に漂う緊張感が次第に増していくのを感じていた。ブルーノの部下たちはすでに合図を待ち構え、今にも襲いかかろうとする準備が整っている。
「情報は、こちらです」
そう言うと、ロウは懐のポケットから何かを取り出した。




