何故だぁ!?第一王子に見染められたいのに!!~クセツヨ王族の副官補佐役に任命される私を誰か助けて~カトリーナ・フォン・ハルテンベルクの受難~
シンフォニア王国第三王子執務室――。
「ほっ、本日付で殿下付きの副官に任命されましたカ、カッ、カトリーナ・フォン・ハルテンベルクです!よっ、よろしくお願いいたしますっ!」
緑色の眼をした北欧神話に出てくる女神のような金髪の初々しい女性副官はデスクの上で両手を組んで待ち構えているあらたな主人に対し、30度以上体を折り曲げた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・?」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・(汗)」
「・・・・・・・・」
(しゃ・べ・ら・ね・え!?)
愕然とするカトリーナ。やはり、沈黙王子の異名は伊達ではない。最初の挨拶くらい、せめて一言言ってくれるかと思っていたが、どうやらそれすらも甘すぎる想像だったらしい。引きつる頬を抑えながらカトリーナはようやく顔を上げる。
「・・・・・・・・・」
見つめあう目と目。
「ひいっ!?」
思わず後ずさるカトリーナに幕僚たちからの無言の叱責の視線が飛ぶ。
シンフォニア王国第三王子。ケーニスバッファ・フォン・シンフォニア。緋色の髪に大きな眼、大柄な体のシンフォニア王国軍軍司令官。通称沈黙王子。一応既婚者。
これが、カトリーナが第三王子に関して入手できた事前情報のすべてである。
(と言うか、何この人・?!めっちゃ・・・めっちゃこっちをにらんできているんだけれど!?下目遣い・・・じゃなかった、上目遣い・・・半端ない・・・!!)
沈黙王子の無言の威圧はカトリーナを圧倒した。圧倒し続けた。無言の数分間を一同(王子を除く)は耐え続けた。
(く・・・こんなことでめげては駄目よ、カトリーナ!!こうなったら殿下に一言、せめて一言!!しゃべらせて見せる!!!)
ひそかにこぶしを握り締め、カトリーナは固く決意したのだった。
「殿下・・・・」
背後に立つセレンやレッケンヴェルフといった幕僚たちがたまりかねて耳打ちするが、ケーニスバッファは微動だにしない。つまり、カトリーナの着任を喜んでいるのか、悲しんでいるのか、はたまた期待しているのか、がっかりしているのかが一切わからないのである。
ものすごく気まずく重たげな空気をかき分けるようにして退出したカトリーナは胸に誓った。第三王子おしゃべり大作戦を遂行することを。
** * * *
翌日――。
早速副官の仕事をするべく、ケーニスバッファの執務室に向かうカトリーナ。今日は早速溜まっている書類の整理と決裁が待っている。一応幾度かの宮仕えを経て書類仕事はお手の物。手早く作業にかかり始めた彼女の手が止まった。
「・・・・・・?」
取り出したのは、一通の書類。ケーニスバッファのサインが漏れているものだ。
「あ、署名が・・・・」
カトリーナは席を立ち、沈黙王子の前に立つ。
「失礼します。申し訳ありませんが、こちら、署名漏れと思われますので、確認していただけますか?」
「・・・・・・・・」
ケーニスバッファは書類を受け取った。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・?」
「・・・・・・・」
「・・・・・(汗)」
「・・・・・・・」
「あの、殿下?そこに署名をしていただければ・・・・ヒイッ!!!」
全く突然にケーニスバッファが動き出したので、すっかりびびってしまったカトリーナ。派手な音を立てて背中が本棚に激突する。幸いなことに本は落下しなかった。自動人形のように手を動かしたケーニスバッファは無言で書類を突き出す。
「あ、ありがとうございま・・・した」
呆然と書類を受け取るカトリーナ。
(読めない・・・この人の考えていることが・・・全く読めない・・・・)
「・・・・・・・」
(どうしよう・・・どうすればいいの私?教えて!!カトリーナ・フォン・ハルテンベルク!)
「えっ!?殿下のお考えを察するにはどうすればいいか、ですか?」
副官レッケンヴェルフを捕まえてカトリーナは尋ねる。ハルテンベルク家の「ご令嬢」であり「さるお方直々の推薦副官」であるので「年下の新人」に対してもレッケンヴェルフは敬語を使う。
「はい。レッケンヴェルフ大佐はいったいどうされていますか?」
「どうするもなにも、殿下はジェスチャーをお使いになりますから、それを読み取っています」
「ジェスチャー?」
「そう、例えば――。」
ちょうど振り向くと、ケーニスバッファが指を一回鳴らしたところだった。すっ飛んで駆けつけてきた従卒がコーヒーの入ったカップを恭しく差し出す。
「すごい・・!」
「まぁ、あれは基本中の基本ですからな。他にも――」
ケーニスバッファが左手の人差し指を上に突き出し中指を水平にしてこちらに向けている。
「はっ!ただいま!!・・・・おい!!昼はコーデリア殿下の宰相府に出向いての昼食会だ!馬車の準備をするように!!」
「すごい・・・!!」
「・・・・とまぁ、殿下のジェスチャーをよく観察して、ある程度の事はわかるようにしておくこと、ですかな。なんでしたら私のメモ帳をお貸ししましょう」
「ぜひ!!お願いします!!(やった~~~!!!これで第一関門はクリアできそう!!これで慣れてきたところで、沈黙王子おしゃべり大作戦を実施すればいいものね!!)」
翌日――。
カトリーナの差し出したカップをケーニスバッファは無言で突き返す。
「え・・・・・!?」
思わず、中身のコーヒーと沈黙王子の顔を見比べてしまう。
「なんで・・・・!?」
だが、いつまでもそうしてもいられないので、謝って給湯室に引き下がってくる。そこへやってきたレッケンヴェルフが、
「あぁ、まだ伝言していなかったのですが、今日から殿下のジェスチャーが改正されましてね」
「え、改正・・・・!?」
「はい。いつまでも同じジェスチャーを使用していては、敵に悟られて悪用されてしまうとの殿下のご判断です」
(いや・・・それ・・・そんな事態あるの?というか、ジェスチャーになれるまでに相当時間がかかると思うんだけれど・・・・・これ・・・・というか・・・!!)
「み、みなさんもしかして一日で覚えたんですか!?速攻で!?」
「まぁ、そうしないと我が軍の幕僚は務まりませんからな」
「改正って・・・・それ、一年に一回とかですか?」
「殿下の気分次第です。もしかしたら明日にまた改正になるかもしれませんな」
ガ~~~~~~~ン!!!
という、頭に金属たらいが落下したような衝撃をカトリーナは覚えた。
(く・・・・めげちゃ駄目・・・がんばれ・・・・・カトリーナ・・フォン・・・ハルテン・・・ベルク・・・・ぐすっ・・・!)
数日後――。
「これで・・・よしっ・・・・と!」
カトリーナは最後の書類をまとめて、決裁箱に放り込んだ。今月の軍司令部の経費請求の書類をやっとのことでまとめ終わったのだ。
「う~~~~~!!終わったぁ~~~!!!」
思いっきり背伸びをして筋肉を伸ばす。と、そこへケーニスバッファが入ってきた。カトリーナは立ち上がって直立不動の敬礼をささげる。
「・・・・・・・」
「・・・・・・?」
「・・・・・・・」
「・・・・(汗)」
「・・・・・・・」
「あの、殿下・・」
カトリーナは吐息交じりに話しかけた。
「ジェスチャーをお使いになるのはいいですけれど、そうやっていつまでも私の事を見つめていただいてもどうしようもできません。何をすればいいのかがわからないと・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・?」
ケーニスバッファはなぜかもじもじしている。そして素早く周りを見回すと、つかつかと急にカトリーナに接近してきた。
「え、え!?え!?!?」
ケーニスバッファとの距離が急速に縮まる。どういうわけか相手の息遣い・・・いや、鼻息までもがはっきりとカトリーナの耳に皮膚に感知される。
(近い近い近い近い近い!!!というか、この人何をしようとしているの!?妻子持ちの人がそんな風に若い女性に接近しちゃ――。)
思わず、たじたじと下がるカトリーナ。背後の固い壁に背中がぶつかるのを感じる。
(・・・・?!!)
セレンやレッケンヴェルフもいない。誰かを呼ばなくてはと思いながらも恐怖で声が出ない。思わずぎゅっと目をつぶったカトリーナの顔にかすかな風圧が感じられた。
(・・・・・?)
恐る恐る眼を開けてみると、目の前には書類の束。
(・・・・・??)
受け取ってみると、請求書である。軍服のクリーニング代だ。いや、クリーニングだけではない。備品代、会食代等ケーニスバッファが自費で支払ったものの領収証がどっさりそこにあったのだった。見たくもない書類を見させられたカトリーナの脳裏にはある可能性がはっきりと点滅していた。
「まさか・・・殿下・・・・これ、入れ忘れですか・・・・?」
「・・・・ヤー」
一呼吸おいて、返答が返ってきた。それが、ケーニスバッファの口から出たものだとわかるまでカトリーナの頭は2分間を要した。だが、今のカトリーナの頭にはケーニスバッファの声を聞けた喜びよりも、疲労感と徒労と、怒りが渦巻いていたのである。
「もうっ!!!!!!!!!あれだけあれだけあれだけあれだけあれだけ私言いましたよね!?!?!?!?!?10回も言いましたよね!!!!!!!期限は昨日だって!!!!!散々散々散々回覧も出しましたし、口頭でもいいましたし、紙に書いて渡しましたし!!!!!!!!!!!それなのにどういうことなんですかぁっ!!!!!!!!!!!」
遥か年下であり、遥か階級も下であるカトリーナの叱責を、ケーニスバッファは一従卒のように恐縮しきって受けているのだった。
カトリーナの受難は続く――。
* * * * *
数か月後。ケーニスバッファの副官を大過なくどうにか勤め上げたカトリーナは、別の王族の副官補佐役に任命されていた。
「ほっ、本日付で軍務省官房付の副官に任命されましたカ、カッ、カトリーナ・フォン・ハルテンベルクです!よっ、よろしくお願いいたしますっ!!!!」
金髪の初々しい女性副官はデスクの上で両手を組んで静かに待ち構えているあらたな主人に対し、30度以上体を折り曲げた。
「卿がコーデリア推薦の副官か・・・・」
ささやくような声にカトリーナの全身が「ぞくうっ!!」という音を立てた。
「は、はははははははいっ!!色々と至らぬ点がありますが、よろしくお願いします―。」
「至らぬ点のある副官など不要だ。卿がそう自覚するのならば、早々に出ていってもらおうか」
「も、申し訳ございません!!(怖ッ!!なにこの人、怖ッ!!というか出会ってまだ10分もたってないのに早くも胃、胃が・・・・胃がやバイかも・・・・。うっ!吐きそう・・・・。い、胃薬あったっけ?)」
懸命に吐き気をこらえているカトリーナに、第二王子は静かに書類の束を差し出す。
シンフォニア王国第ニ王子。クレン・フォン・シンフォニア。灰色の眼。やせた顔色の悪い不健康体。通称灰色の殿下。結婚歴なし。
これが、カトリーナが第ニ王子に関して入手できた事前情報のすべてである。
(今度こそ・・・第一王子の副官になれると思っていたのに・・・・なんで、どうしてぇ・・・!?ぐすん)
「では早速だが本日夜までにこれを処理してもらおうか」
「承知いたしました・・・って、え〃!?」
カトリーナは書類の高さを目測で測った後、絶句した。どう少なく見ても20センチはあるだろう。
そ・れ・を・い・ち・に・ち・で・や・れ・と!?
「あ、あの・・・それ、それを今日中ですか?」
「・・・不服か?」
「いいいいええええ、別に、はいっ!問題ありませんっ!!」
「それと、犬の餌を頼む」
「イ、犬!?犬って、まさかその・・・その襤褸切れみたいな――。」
クレンの灰色の眼が赤い光を放つ。
「・・・不服か?」
「いえいえいえいえいえいえっ!!!!すすすすぐに取りかからせていただきますっ!!」
灰色の殿下の眼光に恐れをなしたカトリーナは早々に書類を抱えて疾風のように部屋を飛び出していった。
「・・・・ふん」
一息鼻孔から空気を吐きだすと、クレンは静かに執務デスクに座り、彼自身の仕事を始めた。寝そべっている犬の背を撫でながら。
** * * *
カリカリカリ・・・!!(ペンを走らせる音)
ガサガサガサ・・・!!(書類をひっかきまわす音)
パンパンパン・・・!!(印鑑を押す音)
パパパパパパパパ・・・!!(計算機を高速連打する音)
静まり返った室内に、ため息を伴奏にこだまする音、音、音。そして徐々にある種のヴォルテージが音もなく上昇し続けている。
「これを、こうして・・・これで・・・合って・・・ないっ!!!」
カトリーナが絶句し、書類をデスクに叩き付けた。無機質な音が宙に舞い、怒りの余韻だけが宙に残った。
「あ~~~~~もう間違えたじゃないの!!!イライラする~~~!!イライラする~~~!!!!イライラする~~~!!!!!!!!!!」
この書類仕事ほどイライラを誘発するものはない。決裁文書のチェック作業は特に。
「どうした?」
「グフォッ!!!」
カトリーナの全身が「びくうんっ!!!」と波打った。クレンが犬を従えて戸口に佇んでいたのだ。
「いいいいええええ何でもありません!!なんでもっ!!ええ、なんでもれすっ!!」
驚愕のあまり、最後には舌を噛んでしまったカトリーナ。
「ならばよいが。先ほど『イライラする』などという音声が聞こえたが、おそらく聞き違えであろうな?」
クレンの灰色の眼が赤い光を放つ。
「もっちろんです!!はいっ!!」
「そうか。それよりも犬の餌はどうした?」
「え?(いやこの状況見てよ!ってか見えてるでしょ!?今それどころじゃないし!!というか犬の餌なんか自分でやればいいじゃないのよ~~~!!!!)あ、はいっ!申し訳ありません!ただいますぐに――。」
すっ飛んで飛び出していったカトリーナ。ほどなくしてドッグフードの箱を抱えて戻ってきた。ところが――。
「食べない!?(食べないだとぉ~~~!?)」
犬はクレン顔負けのそっけなさで、差し出されたドッグフードを拒絶するばかりだった。
「ほら!美味しいよ~!お食べ!食べてみて~~~!!」
カトリーナの呼びかけに犬はピクリともしない。やせっぽちの犬は、どこかふてぶてしささえ備えた雰囲気で新任副官を拒絶している。だんだんと新任副官はプルプルと拳を震わせ始めた。
「こ、この・・・・クソ――。」
「どうした?」
カトリーナの全身が「びっっくうんっ!!!」と波打った。オーベルシュタインがいつの間にか背後に立っていたからだ。
「ひい~~~ッ!!!」
クレンの灰色の眼が赤い光を放つ。
「ひえっ!?あ、いえっ!何でもありません!!!・・・・申し訳ありません・・・大声出して・・・・」
「王国軍倫理規定第1章120条を卿は知っているか・・・・」
「え!?(何それ・・?っていうかそんな規定あるの!?まさか全部暗記しているのこの人!?)」
「王国軍人ハ常ニ泰然自若トシ、室内ニテ非常時ヲ除キ大声ヲ出スベカラズ、だ」
「もっ、申し訳ありません・・・・・」
「以後気を付けるように。・・・・それから、そのような餌は不要だ。あいにく私の犬は軟らかく煮た牛肉しか口にしないのでな」
「(だったら・・・・だったらそれを最初から言えってのよ~~!!)わ、わかりました!すぐに用意しま――」
「書類は終わったか?」
カトリーナの胃が「キリキリキリ!!」と音を立てた。少なくとも本人はそう感じた。ほうぼうの体でクレンの元から逃げ出したカトリーナは、自室に戻ってくるなり、ぶわっと涙を噴出させた。
(無理ィィ~~!!超無理ィィィ~~!!!絶対無理ィィィィ~~~!!!というか王国軍ってブラック企業じゃない!!キングオブブラックじゃない!!私、私実家に帰りたい・・・。帰りたいよぉ~~・・・・。)
それでもやっとの思いで這うようにして机に座りなおし、ボロボロになりながらどうにか夜までに書類作成とチェック作業を終わらせたのだった。
数時間後、王都、王宮付近のカフェ――。
「やほ~~!!お久し~~~!!元気して・・・・ってどうしたのぉ!?!?」
綺麗に着飾って颯爽と現れたカトリーナの友人たちは、襤褸切れのようにカフェのテーブルに突っ伏している軍服姿の彼女を発見した。
「せっかく『王国軍初の女性副官誕生!』」ってみんなでお祝いしに来たのに、いったいどうしたっていうの!?」
「具合悪いの!?」
「大丈夫!?」
「お医者様呼ぶ!?」
友人たちがカトリーナを起こす。襤褸切れのようになった彼女は半分魂が抜けた眼をしていた。
「もう・・・私・・・無理かも・・・・・」
やっとの思いでそう言うと、カトリーナは派手な音と共にぶっ倒れて気絶した。
カトリーナの受難は続く――。