俺も死ぬ
(……この闇が、ドムの……オグルの、中か……)
深い、深い闇の海を泳ぐ。
暗い空間を掻く腕にのしかかるのは、水というより、沈み込むスライムみたいだ。
(もしもオグルの能力がここまで届くのなら、怖いと思ったらアウトだ。まずはドムを探して、ここから引きずり出さないとな)
それでも力込めて泳いでいるうち、ふと、闇以外の何かが見えてきた。
「あの、灯りは……」
自然と俺は泳ぐのをやめて、平坦な黒い床に足をつけていた。
歩いているうち、目に入ってきたのが何なのかが分かる。
どこからか照らされたスポットライトと、古びた木製の椅子に腰かける誰か。
誰かなんてのは、知っている。
「……ここにいたんだな、ドム」
向かい合うように立つ俺の前で、うなだれて座っているのは、ドミニクだ。
表情は分からないけど、まるで数十年も引きこもって動けなくなっている老人みたいに、ドミニクの覇気は失われている。
これもオグルに取り込まれた影響なのか、あるいは兄の本質なのか。
「…………」
ドミニクの心は頷きもしないし、こちらを見ようともしない。
「どうしたんだよ、そんなにしょぼくれて。いつもの俺の兄貴らしくないぜ」
「…………」
「俺も、座っていいか? 話したいことがあるんだ」
だから俺は、いつの間にか置かれていた椅子に腰かけた。
少しばかりの沈黙を挟んで、俺の方から口を開いた。
「……俺さ、ドムをずっと勘違いしてたんだ。ドムは俺が隠してることを全部見透かして、死ぬ事実も知っていて、それでも全部受け入れられる人だって思い込んでた」
俺にとってのドミニク・エドガー・ゴールディングは、最強の魔法を持っていて、俺の秘密も見抜いていて、死の恐怖も自分から打ちのめそうとする強い人間だ。
そう思っていたのは俺だけじゃなくて、俺の仲間や世間の皆もそうだ。
「でも、違うんだよ。逆なんだよな、ドム……本当は、怖がりだったんだ」
ただひとり――ドミニクを除いては。
「……!」
やっと、ドミニクが顔を上げた。
虚ろで、寂しげで、痩せこけた顔だった。
「色んな人の期待を背負って、やりたいことが山のようにあって、何かを成し遂げなきゃいけない使命感に駆られててさ。そんな時に、自分が何もできないうちに死ぬなんて聞きたくないし、認めたくないよな」
誰よりも強くて、誰よりも誇り高い使命を持っているから、誰よりも弱い。
「なにも成し遂げられないまま……誰にも認められないまま死ぬなんて、嫌だよな」
俺は気づいてやれなかった。いや、気づきたくなかったのかもしれない。
「……私は、ゴールディングを守らないといけない」
ぼそぼそと口を動かすドミニクの、弱さを。
「お前の態度と様子、言葉の重なりで、私は私自身の運命を知ってしまった。寿命ではなく、そう遠くないうちに、何かによって殺されるのが私の運命だと」
やっぱり、屋敷を出る直前のやり取りか、それよりも前にドミニクは自分が死ぬ運命を悟ってたんだ。
いつ、どこで、どうやってなんかは、俺の頭じゃ未来永劫かかったって分からない。
ただひとつだけ言えるのは、俺が図らずも教えてしまった死の運命が、ドミニクの心に楔を打ち込んでしまったということ。
それを俺も、誰も知らなかったということだ。
「死を遠ざけるためにケイオスを倒した。お前から情報をもらった。その根元を断つべく、トライスフィアにやって来た」
彼なりに必死になって、未来を変えようとした。
「すべて、恐れていたからだ。何一つ成し遂げられないまま死ぬ、私の未来を」
その結果がこれだ。
何ひとつ、彼の中では変わらなかった。
「……死にたくない。まだ、私は何もしていないというのに……!」
顔を手で押さえて、ドミニクは呻く。
何も成し遂げてないなんて、そんなはずないのに。
俺はドムのおかげで、強くなれたんだから――。
――ああ、そうか。
「……ドム。俺の秘密を、全部話すよ」
――今こそ、何もかもを話す時だ。
――恩を返す時が、
「俺はこの世界の人間じゃなくて、他の世界からやってきたんだ。そこではこの世界の物語がつづられていて、俺は途中まで読んだ。だからこそ、はっきり言える」
ドミニクは顔を上げない。
夢物語と思われているのか、悲嘆に暮れているのか。
だとしても、ネタバレをしなくちゃいけないんだ。
「――俺も死ぬ。ケイオスに殺されて、物語が終わるんだ」
ネイト・ヴィクター・ゴールディングが死ぬって、最大のネタバレを。
ずっと、ずっと誤魔化してきたけれど、俺が俺自身を救う方法は分かっていないし、ドミニクが死んで間もないうちに俺も死ぬ。
兄が助かったからといって、俺が助かる見込みもない。
ケイオスを倒せば助かるという保証もないまま、俺は人を救い続けてたんだ。
「……怖くない、のか」
「怖いよ」
もう一度顔を上げたドミニクの前で、俺は肩をすくめる。
「俺はずっと人を守るんだ、ハッピーエンドを目指して頑張るんだって自分に言い聞かせて、ごまかしてきたけど、やっぱり怖いよ」
オグルを倒してから、俺は生きているだろうか。
ドミニクを守って死ぬなんてのも、ありえるんじゃないか。
――そんな不安も、今となってはどうでもいい。
「……でもさ、もう恐れないよ。俺は死ぬ瞬間まで自分にできることを精いっぱいやって、皆を笑顔にしてみせる。俺は向かい合うよ……死と、恐怖から」
これが転生した俺のさだめ。
心の奥底に閉じ込め続けた恐れに立ち向かい続けるのが、俺の運命だ。
「そんでもって、サイコーのハッピーエンドを手に入れてみせる! いつ死んだって、その瞬間に心から笑えるように生きてやるんだ! だからさ!」
袖で零れそうな涙を拭ってから、拳を握り締めて、俺はドミニクに手を差し伸べた。
「ドム、行こうぜ。俺がドムにとってのバッドエンドも、ぶっ潰してやるよ!」
ほんの少しだけ、ドミニクは驚いた顔をした。
スポットライトの光が強まっていく。
闇が消えてゆく。
「……ネイト。お前は、私よりずっと強いな」
黒い世界が白くなった時、ドミニクはもう、頬のこけた、恐怖に敗れた人じゃなくなっていた。
俺の知る、いや、世界が知る最強の領主――ドミニクだ。
「私に何ができるかは分からないが――最期まで、お前と共に戦うとしよう」
俺が歯を見せて笑うと、ドムも笑った。
そして、手を握り合った時、目がくらむほど世界が輝いた。
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