恐怖の病、書き換えられたルール
『キュルオオオオオオオオッ!』
絶叫と共に、ガラスが砕けた。
誰もが一瞬だけ呆ける中、その怪物――ケイオスが講堂の机に乗って叫んだ途端、恐怖が伝播した。
「か、怪物だあああ!」
「逃げろ、逃げろおおッ!」
まるで災害でも起きたかのように、誰もが泣き喚きながら、出口へと駆けてゆく。
人が転ぼうが、擦り傷、切り傷ができようがおかまいなしだ。
「指示に従って避難してください、慌てないでくださーい!」
先生が、いきなり怪物が出てきてもパニックに陥っていないのがありがたい。
魔物が出てきた時のトラブル対処とかも、普段から共有してるんだろうな。
「ドミニクさんも、避難に協力を!」
「……分かった」
彼らの指示に従うしかないようで、ドミニクはケイオスをどうにかしてやりたいと顔に書いてあったけど、生徒の避難に手を貸した。
「なんでこんなところにケイオスが……!?」
「ネイト君、今は考えるより先に、あいつをやっつけないと!」
それもそうだ。
ソフィーの言う通り、こいつをぶっ飛ばすのは俺の役割だな。
巨大なカマキリのような外見のケイオスと向かい合い、魔法をいつでも発動できるようにしていたけれど、それよりも先に先生達がばっと躍り出た。
「君達も下がりなさい、ここは先生達が対応しますから!」
「熱血的魔法撃退だァーッ!」
マッコール先生も混じった4人の先生が、一斉に魔法を放とうとした。
「よせ、やめろ!」
『キキキ……!』
でも、俺が止めるよりも先に、ケイオスの鎌の先から発射された、黒く濁った魔力の球体が先生達をまとめて吹き飛ばしてしまった。
「「ぎゃああああああッ!?」」
しかも、こいつは相当素早い。
俺やソフィーが先生達を助けようとする前に、鎌のような腕で引き寄せてしまった。
おまけに気を失ったらしい先生の体から、紫色のオーラがどろどろと噴き出てきて、それがケイオスの口の中に吸い寄せられていくんだ。
『ああ、美味い……自信満々の魔法が通じず、一撃で打ちのめされ、死を前にした人間の恐怖はいい感染源になる……』
まずい、あいつはああやって他のケイオスのように恐怖を吸収してるのか。
「ケイオスのくせにべらべら喋ってんじゃねえよ! 先生達を離せ!」
「パフ、やっちゃえ!」
『ぎゃあーす!』
俺が融合魔法を、パフが竜の火をぶつけようとすると、ケイオスがこっちを見た。
『おやおや、いいのかい? この人達の首が俺の鎌で刎ね飛ばされても?』
やけに流暢に喋るケイオスだが、今回ばかりはあっちの言う通りだ。
「それはダメーっ!」
「ぐっ……!」
俺達が魔法を止めると、ケイオスはからからと笑った。
カマキリのような体なのに、顔だけはやけに人っぽいのが、かなり気持ち悪い。
『いい判断だ。気を失っている彼らを殺すのに、まばたきする時間すらいらないからね』
おまけにここまでべらべらと、抑揚も人間に限りなく近くしゃべることができるケイオスなんて、それだけでも十分気味が悪いだろ。
『おっと、自己紹介がまだだったね。俺はオグル、恐怖で感染する病……ヴィヴィオグル復活のために、負の意志を集めるために、ルールを破ることを許された分身だよ』
「ルール……だと?」
『ああ、そうだとも。ネイト・ヴィクター・ゴールディング、お前だけがこの世界にはびこり、俺達を縛り付けていた無自覚のルールを知っていると思ったのか?』
なんだか嫌な予感がする。
あいつらがこれまで話していたヴィヴィオグルの名前の一部を持つこいつは、アディオルの時のように、ゲームの中のケイオスとは少し違う気がする。
「どういう意味なの、ネイト君?」
「さあな、俺だってさっぱりだ」
『とぼけているのは構わないが、お前が世界のルールとシナリオを壊しているうちに、俺達にも影響を与えたとは考えないのか? 例えば――お前と同じように、ここが『フュージョンライズ・サーガ』と知っている存在がいないと?』
「……は?」
いいや、違う。
ゲームの中のケイオスと少しの違いどころじゃない。
オグルは、全部違うんだ。
『それが俺、存在しないケイオス、オグルだよ。物語を壊す奴がいれば、普通は矯正されるものさ。ケイオスはその役割を担い、世界そのものから助けを得られるんだ。それこそ、もう契約なんてじれったいことなんてしなくても力を使えるほどにね』
ケイオスのルールを全部無視したこいつの話を、聞かせちゃいけない。
特に、本来バッドエンドを迎えるはずだったソフィーには。
「……ソフィー、ここは俺に任せてくれないかな」
「え、どうして? 何言ってるか分からないケイオスなんて、一緒に……」
「いいから!」
俺が語気を強めると、ソフィーとパフは少しだけ悲しそうな顔をした。
俺だってこんな風に怒鳴りたくはないけど、ここでソフィーが話を聞けば、俺の秘密や物語のすべてを悟られてしまうような、そんな気がしたんだ。
「……無理、しないでね」
幸い、ソフィーは深く言及せず、パフと一緒に行動から出て行った。
これで、残されたのは俺とオグルだけ――ゲームを知る存在だけだ。
『おやおや、好感度が下がったヒロインはバッドエンドに近づいちゃうよ?』
バッドエンドの存在を知っているのなら、こいつはもうただのゲームの悪役じゃなく、俺という異物を排除しに来たワクチンかもな。
「……俺みたいに転生したやつがいるのか?」
オグルは口を尖らせ、首を横に振った。
『いいや、いない。さっきも言っただろう、世界の真実を知らされて、歪みを正すのが俺達ケイオスに与えられた新しい役割だ』
「バッドエンドを乗り越えたから、本来の道筋に乗り換える。ヴィヴィオグルってやつの目的はともかく、世界が俺の敵になってるって言いたいんだな?」
『正解。もちろん、事実を知ったのはつい最近だよ。それに、やり方は指示されていないから、世界をめちゃくちゃに壊してやるケイオスの目的を果たすつもりでもいるさ』
世界が自分をどういう形で修正したいのかはともかく、恐らくそれは幸せなものじゃなく、崩壊していく破滅になる。
俺がネイトに転生したのも関係なくて、そもそも主人公のノアが死んだ時点で、本来はバッドエンドになるはずだったんだろうな。
もっとも、運命がどうだ何だと言おうが、俺が納得してやる理由にはならないが。
「随分とべらべら、話してくれるんだな」
『俺もここまで語るつもりはないんだよ。ゴールディング領ですっかり恐怖を集め終わったから、ここで残った負の意志を集めるためだけに来たんだが……説明しろってのは、ゲームマスターのヴィヴィオグルの命令なんだ――』
オグルがそう言った時、ざくり、と俺の後ろで足音がした。
誰が来たかは、振り向かなくても分かった。
「――そうか、貴様が」
隣に立つ彼の、心臓が凍てつくような声が、確かな証拠だ。
「貴様が、我が領地をかき乱した害虫というわけか」
避難をすっかり終えたドミニクが、領地を荒らした敵をぎろりと睨んだ。
その目には、彼らしくないと言えるほどの憎念の炎が燃えていた。
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