ハファーマル
「ねえ、どうして? 私を殺した相手を、許すの?」
真っ黒な顔で問いかけるケイオスは、まだエイダを偽ってクラリスを惑わすつもりだ。
「た、た、確かに……ジョン・ロックウッドを……ボクは、許せません……」
クラリスがジョンを許せるはずがないのは、俺も知っている。
それでも彼女は、殺すという最悪の手段を取らない、本物の勇気を選んだんだ。
「……で、でも……エイダ姉さんなら、きっと……人を殺すなんて、ゆ、許さないから……本当に、正義を求める、なら……正しい手段で裁くべきだって……だから……ごめんなさい、姉さん……!」
しゃくりあげながらも、ここにいないエイダに謝り続けるクラリスを、ケイオスはただじっと見つめていた。
怪物に感情があるとするなら、心を揺り動かされないかと、俺はほんのわずかに期待した。
「そう――ならもう、貴女に価値はないわネ」
そんな期待は、あまりにも簡単に崩れ落ちた。
ケイオスの中のエイダの顔が豹変して、おどろおどろしい怒りに満ちた。
「え?」
俺が間に割って入る間もなく、ケイオスはクラリスの頭を掴んだかと思うと、灰色の魔力を吸いあげてゆく。
「きゃあああああっ!?」
うどんをすするように魔力を吸収したケイオスは、その手の中でぐったりと気を失ったクラリスを、俺めがけて投げつけてきやがった。
「クラリス!」
どうにか彼女を受け止めた俺の前で、奴がにやりと笑う。
「この子を助けるのもいいけど、貴方のお友達はどうなるかしラ!」
しまった、と俺が振り返ると、ソフィー達が屋上に入ってきた入り口の真上には、もうケイオスと同じ黒い翼がふよふよと浮いていた。
こいつは最初から、翼を浮かせて奇襲するタイミングを見計らってたんだ。
「がっ……!?」
『ぎゃあうっ!』
俺が融合魔法を使う間もなく、翼に襲われたふたりとパフが、どさりと倒れ込んだ。
「テレサ! ソフィー、パフ!」
抱えていたクラリスをそばに置いて、ソフィー達をゆすると、うめき声が返ってきた。
どうやら翼には、人体にダメージを与えるほどの力があっても、人間の体を貫通するほどの威力はないみたいだ。
ひとまず安堵の息を漏らした俺の後ろで、エイダとは似ても似つかない声が聞こえた。
「まったく、もうちょっと素直な子だと思っていたのに、男ひとりに絆されるなんて思ってもみなかったワ。貴方、女たらしの才能があるんじゃなイ?」
振り返った先にいるのは、もうエイダの皮を被ることすらやめたケイオスだ。
そいつは半殺しの目に遭ったジョンを、屋上の端に投げ捨てた。
床を何度かバウンスして転がったジョンが生きていようが死んでいようが、クラリスが殺していないならどうでもいい。
目下、最大の問題は、烏のような顔になったこいつの存在そのものだ。
「テメェ、やっぱりエイダじゃなかったのか……!」
「あら、最初から知っていたんじゃないノ? 私があのお調子者のギリゴルと同じケイオスだってことくらい……ああ、自己紹介がまだだったわネ」
脳にこびりつくような甲高い声で、ケイオスは語り出す。
「私はハファーマル、偉大なるケイオス。トライスフィアの奥に眠る『ヴィヴィオグル』を目覚めさせるために遣わされた存在ヨ」
「ヴィヴィ……オグル?」
「うふふ、喋りすぎちゃったわネ。でも、これから話すことに比べれば大した問題じゃあないから、忘れちゃって構わないワ」
ハファーマルと名乗ったケイオスは、屋上の柵を離れて歩き始める。
まるで悪党の大演説を始めるかのような大仰な態度が、どうにもムカついて仕方ない。
「実はネ、たった今、あるじ様から貴方にケイオスについて話してあげるようお願いされちゃったノ。チュートリアル、とかいうのがないのは、ヒロインを守るゲームとしてフェアじゃないって言ってるワ」
俺は思わず、嘘だろと叫びかけた。
リアルタイムでケイオスがあるじと連絡ができているのも驚きだけど、こっちの世界の住人で、チュートリアルなんて言葉が出てくるのはおかしいだろ。
しかもこいつ、ゲームとまで言いやがった。
信じられないほど目を見開く俺の脳裏に、ある仮説が浮かぶ。
まさか――こいつらの主も、俺と同じ転生者なのか?
俺がハッピーエンドを目指すのと真逆に――バッドエンドを目指してるのか?
いいや、こんなもんは考えすぎだ。
ぶんぶんと頭を振るう俺のさまを楽しむように、ハファーマルはけらけらと笑う。
「ケイオスはね、『他人の願いを叶えて、永遠に消えない誓約を結ばせる』のが目的なノ。そこで倒れてるメイドは、主人を独占したいっテ。クラリスの場合は、貴族主義から平民の皆を守りたいってネ。純粋な願いは、いいエネルギー源になるのヨ」
ケイオスの言うことを認めたくはないが、感情は強いエネルギー源だ。
俺がヒロインを守ってハッピーエンドになりたいって願う力や、テレサが利用された力も感情の発露で、それを魔力に変換できれば、確かに膨大なものになる。
「だったら、どうしてそれがジョンを殺すのとつながるんだ!」
「つながってるわヨ。最も憎い貴族が死ねば、平民は傷つかないワ。それに、恨んでいる相手を殺す時にこそ、感情のエネルギーは強く放たれるものなのヨ!」
「歪んだ形で、人の願いを利用しやがって……!」
だからこいつは、クラリスの憎悪を膨れ上がらせて、吸い取り続けてたんだ。
記憶からエイダを抜き取り、ささやいて服従させ続けたんだ。
「私達が願いを叶えてあげた人間は、契約により、無意識に魔力を供給し続ける苗床になってくれル。いつでも反転世界から出られるほど強くなるし、私の体を砕いて紫の石を生成して、配下を増やせるなんて、素敵だと思わなイ?」
ハファーマルはいつの間にか、反転世界『紫闇空間』を発現させている。
きっと、ここで何があっても、外の世界からは気づけない。
「クラリスを使うのは簡単だったワ。深い憎しみと、エイダという思い込みのおかげで、気づかない範囲で記憶や意識を操り、ケイオスの存在を知らない状態を維持させることができたのヨ!」
ただ、それは俺にとっても好都合だ。
敵が調子に乗って、わざわざ俺の怒りの感情を逆なでしてくれるんだ。
「貴方との接触というトラブルはあったけど、乗り越える価値はあったワ! 純粋な願いと狂気が、今、私をここまで強くしてくれたもノ――」
遠慮なく、完膚なきまでに叩き潰していいって、言ってくれてるようなもんだ!
「――もう喋るなよ、お前」
俺自身でも驚くほど激情に満ちた声と共に、両手から魔力が迸る。
赤と青の光が、ハファーマルの周りに球体としていくつも出現して――。
「火魔法&水魔法レベル4! 融合魔法レベル8『蒸気機雷』ッ!」
敵を焼き尽くすように、すべてが一斉に爆発した。
融合によって、水の特性を持たせた魔力の機雷を超高熱で刺激することで、強烈な破壊現象を起こす、対魔物用の必殺技だ。
ゴールディング家にいた頃、森で魔物に使ってやった時は形も残らないほどの破壊をもたらした魔法だけど、ハファーマルにはあまり効いていないみたいだ。
煙の中からぼふん、と音を立てて、上空にはばたくくらいの余裕があるんだから。
「話の腰を折るなんて、つまらない男ネ!」
雨で濡れた巨大な黒い翼をはためかせ、爪を唸らせ、ハファーマルが苛立つ。
どれだけ威圧して来ようとも、俺がここで負けるわけにはいかない。
「ハファーマル、テメェは俺がぶっ潰すッ!」
「やれるならやってみなさイ! 私の空からの攻撃を、受け止められるならネ!」
俺が中指を立てるのに反撃するように、ハファーマルが吼えた。
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