憎悪の果てに
螺旋階段の先にある、屋上に続く扉には魔法で保護された錠が施されていた。
大方、生徒が勝手に入らないための処置なんだろうけど、これくらいなら俺が融合魔法を使うまでもない。
「やっぱり、魔法を付与した鍵がかけられてる……テレサ!」
「お任せを」
テレサがバフをかけた右腕で錠を掴んで引っ張ると、それは簡単に引きちぎられた。
仲間と頷き合い、俺は扉を開けて、屋上の景色が見える前に叫んだ。
「――クラリス!」
降りしきる豪雨の中――クラリスとあのケイオスはいた。
当然、ふたりが連れて行ったジョンもだ。
「あ、あひ、はひ……」
ただし、ジョンだと分かったのはトライスフィアの制服と、髪の色だけだ。
手や足が奇怪な方向に折れ曲がり、顔が3倍ほど腫れ上がったさまで、声にならない声を上げるだけの無様を晒すジョンは、ケイオスの翼で足を掴まれて逆さ吊りになっていた。
もちろん屋上の外に突き出されていて、ケイオスが翼を離せば真っ逆さまだ。
あいつをグラウンドに落としてようやく、クラリスの復讐が完成するんだというのも、俺は分かっている。
「それだけボコボコにしてやりゃ、もう気が済んだろ。いくら治癒魔法を使っても、ジョンはひと月かけたって完治しねえよ」
もっとも、クラリスの人殺しを肯定する理由にはならない。
「だから、放してやれ。そいつは俺達が、絶対に裁いてやるからさ」
俺が彼女に一歩近づくと、ケイオスが唸った。
「……じゃあ、死んだ私の無念はどこに行くの?」
悲哀に満ちた声と表情がエイダのものだとしても、俺は誤魔化せない。
クラリスに寄生するために、こいつは一番苦しい記憶を利用してるだけだ。
「お前はエイダの声と姿を偽って、クラリスを騙してるだけだろうが! クラリス、こいつの話に耳を貸すな、お前の憎しみを魔力に変えて吸い尽くすつもりだ!」
「……返事に、なって……ません」
声を荒げる俺とケイオスの間に、クラリスが割って入った。
「姉さんの……エイダ姉さんの苦しみを、痛みを忘れろっていうんですか!?」
「クラリスちゃん……」
「貴方達は知らないんでしょう! 近しい人の死も、それを最初に見つける悲しみも、ひどい仕打ちをつづった遺書を読む苦しみも!」
ソフィーの悲しそうな声にも構わず、クラリスは普段の陰気な雰囲気なんてまるで感じさせないほど、喉が張り裂けそうなほどの声で叫び散らす。
ひどいくまがこびりついた目が大きく見開いて零れる、雨の中でも分かるくらいの涙には、どれだけの憎悪と怒りがこもっているんだろうか。
きっと、クラリスの言う通り、俺には彼女の本当の気持ちは永遠に分からない。
この世界でまだ、誰の死も経験しちゃいないからだ。
「そんな輩に復讐することの、何が悪いんですか! こいつはどうせ生きていても、他の人間を悲しませるだけの男です! 姉さんと同じように誰かを殺してしまうかもしれないなら、ボクが正義の代弁者として、ここで殺してやります!」
正義感に突き動かされたクラリスの絶叫に、ソフィーもテレサも説得ができそうにない。
「ダメ、ダメだよ、クラリスちゃん……!」
「ネイト様、必要とあらばテレサが瞬時に、クラリス様の首を折って動きを止めます」
「……ふたりは下がってくれ。俺が話すよ」
いつになくうろたえるソフィーと、もはや強硬手段しか頭にない様子のテレサの前に一歩だけ踏み出て、俺は静かに告げた。
「ネイト君……」
「かしこまりました」
一歩、もう一歩と進み出ると、ケイオスがぐっとジョンを下に落とすそぶりを見せる。
最悪の事態も想定しつつ、俺はぐっと拳を握り締め、クラリスを見据えた。
「クラリス、ジョンは確かにどうしようもないクズだ。誰かに殺されたって文句は言えねえし、いつかどこかで恨みを買って惨めに死ぬのが、そいつの末路だよ」
俺達は丸1日かけて、ジョンの最悪の秘密を握って、いつでも文字通り破滅させられる状態にしてある。
間違いなくジョンどころかロックウッド家そのものが浮浪者になり下がるほどの邪悪な秘密を暴露したところで、きっとクラリスは心の底からは納得できない。
「でも……お前がジョンを殺せば、今度はお前が悪になるんだぞ」
なら、俺の役割は、クラリスに本当に大事な真実を教えてやることだ。
どれだけの大義名分を背負っていたとしても、人殺しだけはしちゃいけないんだって。
「そんなのは……分かってます……」
「いいや、分かってない。何よりも正しさを求めてるお前が、人を殺して悪の道に走るのを、本当にエイダが望むのか?」
わずかに目を逸らしたクラリスに、ケイオスが寄りそう。
「耳を貸さないで……復讐を果たして、私のために……」
こいつはまだ、エイダの偽物としてクラリスの心を惑わすのか。
そう思うと、俺の中で、ケイオスへの怒りが爆発した。
「人を殺せって、憎み続けろって、エイダが本当に言うのか!」
「……!」
はっと、クラリスが俺を見つめた。
そうだよ、お前がエイダを知っているように、俺もエイダを知ってるんだ。
「事情は言えないけど、俺はエイダと話したんだ! あの人は自分がお前のせいでひどい怪我を負っても、お前が間違った道に進まないかって心配する人だ!」
ゲームの中盤で、エイダはクラリスをかばって重傷を負う。
他のルートでどうなるかはまだ確かめていないけれど、病床に伏せるエイダに何度話しかけても、返ってくるのはクラリスが無茶をしていないかってセリフだけだ。
あの時は、NPC特有の返事だと思ってた。
でも、そうじゃないって今なら分かる――あれは、エイダの心からの言葉だったんだ。
「な、なんの、話を……」
「どんな目に遭っても、あの人が伝えてくれる言葉は同じなんだよ! クラリス、自分よりもお前の身を案じて、守ってやってくれって言うんだ! そんな人が、自分のために人を殺せなんて、言うと思うか!?」
そんな彼女が、自分のために人を殺して罪を背負うと聞いたらどう思うかなんて、想像するのはずっと簡単だ。
クラリスの後ろにいるケイオスのように、にやにやと満足げに笑うはずがない。
きっと、きっと誰よりも深く悲しむんだぞ。
「俺はクラリスに、人殺しになってほしくねえんだよ……誰よりも優しくて、正しい女の子だって、信じてるからだ!」
分かってる、俺にはクラリスのような苦しみの体験も、理解もないって。
それでも俺は、守りたいんだ!
その心も、正義感も、腹の奥にある優しさも!
「だから、頼む……クラリス……!」
ひたすらに祈ることしかできない俺を嘲笑うように、ケイオスは片方の翼でクラリスを抱き寄せて、さっきよりも強い口調でささやく。
「クラリス、殺して。早く、私の無念を晴らして」
ダメだ、やっぱりエイダの声と顔、記憶には俺の説得なんて敵わないのか。
守るって誓った彼女の心に、消えない傷を残してしまうのか。
歯軋りすることしかできない無力な自分に苛立ち、ただクラリスの返事を待つだけの時間が流れていくうち、彼女がゆっくりと口を開いた。
「……姉さん、ごめんなさい」
俺もケイオスも、目を見開いた。
ぶるぶると手を震わせて、自分の中の闇を必死に抑えながら、涙どころか鼻水すら垂らしながら、それでもクラリスははっきりと伝えてくれた。
「ボクは……ボクを信じてくれる、ネイトさんを……信じたい……!」
クラリスはぐしゃぐしゃの顔で、言った。
憎しみよりも、俺を――自分の中にいるエイダを信じると、言ってくれたんだ。
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