【sideクラリス】忘れている何か
「さっきも言ったけど、治癒魔法が浸透してるから、もう心配ないわ。落ち着いたら帰ってもいいわよ」
「は、はい……」
あれからボクは、ソフィーさんに医務室まで連れてこられた。
迷惑はかけられないから、と言って何度も断ったんだけど、ソフィーさんは突進する雄牛のように構わず、ボクを医務室に叩き込んだ。
正直、ありがたかった。
強がっていても、治癒魔法を使ってもらうまで、ボクの体は悲鳴を上げていたから。
「治癒魔法ってすごいね! 服も髪も、全部治るんだもん!」
事情を聞かずに治癒を施してくれた先生が医務室を出て行くと、ソフィーさんが椅子に座るボクの、治った部位をぺたぺたと触りながら言った。
「でも、あの人達は絶対に許さないから! 女の子を寄ってたかっていじめて、ランボーしようなんて! 私もパフも、ああいう人が一番嫌いなの!」
『ごぎゃーう!』
笑ったかと思えば、頬を膨らませて竜と一緒に怒る。
まるで百面相のようにころころと変わる表情は、根暗なボクからすればうらやましい。
貴族主義の連中がこぞって彼女を引き入れようとしているのも、何だか分かる気がする。
「……そういえば、さっき……ネイトさんが、助けると……」
ふと、ボクが思い出してつぶやくと、ソフィーさんが頷いた。
「ネイト君がね、もしかしたら貴族主義が仕返しをするかもしれないって、私にお願いしてくれたの。自分はあの人達をやっつける調べ物で手が離せないから、代わりに……」
すると、ソフィーさんも何かを思い出したみたいだ。
「あ、そうだ! ネイト君から伝言、預かってたんだった!」
ネイトさんから預かる伝言なんて、まるで想像がつかない。
無茶をするなとか、巻き込むなとか、きっとそういう類の――。
「『俺のせいで貴族との騒動に巻き込んで、ごめん』だって!」
――なんてボクの考えは、ひどく間抜けだった。
一方的に貴族主義を倒そうと協力を持ち掛けられて、乱暴に『決闘執行』を押し付けられて、ジョン派に目を付けられる原因になったボクを、あの人は心配してくれていた。
(あの人は……巻き込んだのも、罰しようとしたのも、ボクの方なのに……)
自分で自分の頬をはたいてやりたいくらい、みっともないと思ってうつむいていると、ガチャリと医務室のドアが開く音が聞こえた。
「クラリスちゃん、ここにいたんだ!」
「どこ行ったのかって心配したんだよ、急にパフと一緒に飛び出すから……あ、その人……」
見慣れない顔だけど、ソフィーさんの友人だろう。
彼女と一緒に帰ろうとしていたなら、ボクにこれ以上付き合わせるのはよくない。
「……オライオン、さん……もう、ボクは大丈夫……帰っても、いいです……」
絞り出すようにソフィーさんに告げるのと、彼女達が近寄ってくるのは同時だった。
「ブレイディさんだよね! なるほど、それでソフィーちゃんが助けに行ったんだ!」
「顔色悪いよ? まだ購買部も開いてるし、飲み物でも買ってこよっか?」
しかもボクに、こんなに優しい声をかけてくれた。
風紀委員の中でも、とりわけ危なそうなボクに。
「……どうして……ボク、こんな見た目で……取り締まりも、乱暴なのに……」
「何も悪いことをしてない人を取り締まったりしてないよね? ブレイディさんが頑張ってたおかげで、貴族主義の人から守られた人も、きっといるよ」
ボクの後ろから、ソフィーさんが当たり前のように答えてくれた。
「……そう、でしょうか……」
「うんうん! そんな優しいクラリスちゃんを守るのは、トーゼンなんだよっ!」
『ぎゃうぎゃうっ!』
白い竜や彼女の仲間が頷くのを見ると、ボクの胸が温かくなったように感じる。
知らず知らずのうちに口角が上がっていたのか、ソフィーさんがボクの前にぐるりと回り込んで、人差し指を使ってにかっと笑顔を作ってくれた。
「ここにネイト君がいても、きっと同じことを言ってくれると思うな」
「……本当に、ありがとう……ございます」
ソフィーさんにとって、ネイトさんは共感できる大事な人なんだろう。
もちろん、今のボクを支えてくれる、心の柱にもなっている。
「でも、ゴールディング君って最近、貴族主義の人達がイヤーな噂ばっかりしてるよね」
「邪魔だとか、やっつけるとか何とか、物騒な話ばかりだけど……」
だから、ソフィーさんの友達の噂話を聞いて、ボクの心臓がささくれ立った。
貴族主義がネイトさんを狙っているのなら、間違いなくボクや、ボクと一緒にいたせいで起きたトラブルが原因だ。
「……ネイトさんが……標的に……」
特にもしも、ジョン派が何かをしでかすつもりなら、間違いなくネイトさんをトライスフィアにいられないほど卑劣な手段で追い詰めるに違いない。
(あの人が、ジョン派に何かされるなんて……それだけは、絶対に……!)
ボクのせいだとしても、ネイトさんが苦しむのは嫌だ。
ネイトさんだけは守りたい。
どんな手段を使っても、貴族主義から守りたい。
そうだ、ボクが犠牲になってもいい。
どんな犠牲を払ってもいい。
(ネイトさんを貴族主義から守れるなら、何でもするのに――)
心の底からそう願った時、ふと、心臓の奥が急に熱くなった。
まるでボク以外の誰かがボクの気持ちに強く応えてくれたように、ボクの願いをかなえてくれると代弁してくれたように、熱いものがこみ上げてきた。
そしてその衝動に促されるかの如く、ボクは顔を上げて窓の外を眺めた。
「あっ……」
目に映ったのは――夕焼け空を駆ける、紫の光。
流れ星のように女子寮のある方から飛んでいくそれに、ボクは少しだけ見惚れていた。
――望み通り、連中はきっと思い知るよ。
――クラリス、貴女と私の怒りと憎しみを。
「……?」
呆けているボクに、誰かが囁いた。
声は確かに、姉の声だった。
「どうしたの、クラリスちゃん?」
でも、ソフィーさんに声をかけられて、はっと我に返った。
もう一度空を見ても、紫の流れ星はどこにもないし、声も聞こえない。
「……いえ……なんでも……」
ボクは首を横に振って、ソフィーさんに連れられて外に出た。
そういえば前にも、紫の光を見て、姉さんに似た声を聞いた記憶がある。
でも、いつだったか思い出せない。
まるで、記憶にふたをされたような。
忘れろと言われたような。
あるいは、ボクにとって大事なその時が来るまで忘れさせられているような。
廊下を歩いて寮に向かうボクは、そんな気がしてならなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
真夜中、学園の南校舎が絶望に染まった。
たまたま平民育ちの生徒を見つけて、彼から奪い取ったお小遣いで友達とギャンブルに興じていた貴族主義の生徒は、道の恐怖に直面していた。
それに魔法は通じなかった。
それは、逃げる間も助けを呼ぶ暇も与えなかった。
「や、やめて……やめてくれ……!」
「ひぃ、ひぃ、ひいぃ……」
生徒はひとり、またひとりと傷と血にまみれて倒れ込む。
誰も死んでいないのは、情けではなく、なるべく長く苦しませているからだ。
そうして唯一残された男子生徒は、いまや廊下の端に追い込まれていた。
「か、カツアゲしたのは謝るよ! ちょっとむしゃくしゃしてて、平民がへらへらしてんのがムカついて、つい魔が差したんだよ! だからさ、反省してるから……」
必死に苦しい言い訳を並べる彼の目に映るのは、人間の顔。
それ以外はすべて人間とは言い難い怪物の顔に、彼は見覚えがあった。
「お前、その顔……ロックウッド先輩が話してた、あのエイ――」
彼の声は、もう誰にも聞こえない。
「――ぎゃああああああああッ!」
絶叫だけが、廊下の奥に吸い込まれていく。
鋭い何かで肉を刺す音が何度も聞こえてから、やっと辺りは静かになった。
その日の夜、雇われの警備員が凄惨な現場を見つけ、先生に報告するまでは。
【読者の皆様へ】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
「面白い!」「続きが読みたい!」と思ったら……↓
広告下にある評価欄の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に押していただけると嬉しいです!
ブックマークもぽちっとしてもらえたらもう、最高にありがたいです!
次回もお楽しみに!