――去っていない
今の彼は、逆立っていた髪が雨に濡れたように垂れ下がり、目の下は真っ赤だ。
「パフ、下がって」
『ぐぅ、がるおぉっ!』
周りの視線が、俺やソフィー、テレサじゃなくてダンカンに集中するのも仕方なかったし、ソフィーが俺から離れて警戒するのも無理はない。
「ネイト様に何かご用でしょうか。代わりにこのテレサがお伺いいたします」
「うっ……」
ソフィーどころかパフに唸られ、テレサに敵意を向けられて、ダンカンはたじろいだ。
俺もダンカンのやったことは許せないけど、今は何だか事情が違うみたいだ。
「よせよ、皆。気持ちは分かるけど、もうこいつは、他の生徒が見てるところで魔法で暴れるようなやつじゃないさ」
俺は一歩前に出て、ダンカンの肩に手を乗せた。
「ここじゃあ話しづらいだろ、ダンカン。あそこの校舎裏に行こうぜ」
俺はどこか心配そうなソフィー達に振り返って軽く笑顔を見せると、ダンカンを連れて校舎の裏に行った。
どこの世界でも、校舎の陰ってのは、表に出せない話をするのにうってつけだからな。
「……すみませんでした、ゴールディング。僕は君や仲間に、ひどいことをしました」
近くに誰もいないのを確かめた俺の近くで、ダンカンがかすれた声で話し出した。
「確かにそうだが、紫の石で凶暴化してたんだろ?」
「だとしても、謝ってすむ問題ではありません……僕は、明日にも自主退学します」
首を振ったダンカンの言葉に、俺は驚いた。
トライスフィア魔導学園に入学したのは昨日なのに、まさか退学まで話が進むなんて。
「先生達は停学止まりでことを収めてくれると言ってくれましたが、僕はもう、ここにはいられません。きっと先生の厚意に甘えて、変わらない生き方を選んでしまいますから」
彼の言う通り、貴族の子を入学式の翌日に退学させれば、学園そのものの悪評につながりかねない。ダンカンのような悪童でも、必死に引き留めるに違いない。
それでも退学の道を選んだんだから、こいつの覚悟はよっぽどのものだろうな。
「僕は……ずっと間違いを続けてきました。いじめられないように力を振るって、その果てに貴族主義という存在に寄りかかって、自分で考えすらしなくなって……自分の道が誤っていると、認めたくない一心でした」
ぽつり、ぽつりと語るダンカンの声には、後悔とか、虚しさとかが詰まってた。
「でも、もう自分を誤魔化せない……僕は、僕自身を本当の意味で変えるために、ここを去ろうと思います。せめて最後くらいは、正しいことを……」
そんな感情は、少しずつ心の外に漏れだしてきた。
「……今まで……僕は、何をしていたんだ……!」
そしてとうとう、ダンカンが涙を流した。
鼻水も拭こうとせず、ただひたすら己の選んだ道を責めるダンカンに、俺は言った。
「ダンカン、俺はお前を知ってる。今のお前とは違うけど、そっちのダンカン・メイジャーは何も変えようとしなかった。でもさ――」
ゲームの中じゃあ、ダンカンには何の機会も与えられなかった。
いや、機会を与えられたのに、最後まで俺の腰巾着のままでいれば楽だったなんて、自分から正しい道を断ち切ったのかもしれない。
それに比べれば、ここにいるダンカンの最後の選択は、ずっと立派だ。
「――お前は勇敢に、自分を変えただろ。誰にもできることじゃないぜ」
「……っ!」
びくり、と大きくダンカンが震えた。
折れた心に支えでもできたように、彼は意を決した様子で、俺を見据えて口を開いた。
「……ゴールディング、本当に話すべき内容は別にあります」
「ん?」
「……僕に石を渡したのは、属性魔法科の2年……アラーナ・ビバリーです」
アラーナ・ビバリー。
それが、ダンカンに石を渡して邪悪に導いた張本人だ。
「ビバリー……ああ、知ってるよ」
もちろん、俺もゲームで見かけたことがある。
(といっても、『フュージョンライズ・サーガ』じゃあダンカンと同じように序盤で突っかかってきて、あっさりやられるようなザコ敵だ。そんなのが石を渡すほどの大物になってるってことは、またストーリーが歪んでる証拠だな)
ゲームに慣れていない状態でも瞬殺できる程度の弱さのキャラクターが、どうしてそんな大物になっているのかは疑問だ。
けど、悪役貴族がバッドエンドを回避しようとしているのに比べれば、おかしくもないか。
もしかすると、そいつが黒幕の可能性もある。
「彼女の父、ビバリー男爵とは交友があって、彼女とは何度か顔を合わせたこともあります」
「メイジャー家とビバリー家……メイジャーの方が位が上だな」
「いえ、恥ずかしい話ですが、彼女の方が……気が強いのです。僕は逆らえません」
そうでもないさ、俺だってテレサには頭が上がらないんだ。
「ある日、彼女は魔法でいじめっ子を倒すようになった僕のもとに来て……あの石を持ってきて、こう言いました……『学園に混沌をもたらし、いじめられっ子が支配者になる時だ』と……僕は彼女の甘言に、乗ってしまいました」
「弱みに付け込んだ、ってわけだな」
ダンカンに誤った力の使い方を教えたのも、彼女かもしれない。
いずれにせよ『紫の石』を悪意を持って渡した時点で、アラーナは十分にクロだ。
(もし、アラーナが紫の石を使って悪だくみをする黒幕なら……そいつから石を奪って倒せば、ゲームのバッドエンドは回避できる!)
とにもかくにも、次の目的は決まった。
ダンカンが何と言おうと、俺はアラーナに接近して、紫の石に関する情報をすべて吐かせたうえでぶっ飛ばす。
こいつもきっと、それを承知の上で俺に情報を渡したんだ。
それを示すように、ダンカンは何も言わず、ぺこりと頭を下げた。
「先生を待たせていますので、もう行きます……これから、会うこともないでしょう」
「もう一度会う時は、お前はきっと今よりずっと強くなってるよ」
もしも何かの縁でもう一度会うのなら、俺はきっとダンカンを信じるさ。
「……ドラ息子だなんて。周りの評判とは、あてにならないものですね」
褒めてるのかどうだかいまいちわからない台詞と共に、ダンカンは力なく笑うと、とぼとぼと校舎の陰から表に出て行って、今度こそ帰ってこなかった。
まあ、今回ばかりはポジティブに受け止めさせてもらうか。
「ネイトくーんっ!」
なんて風にひとりで納得していると、ダンカンが出て行った方角から、ソフィーとテレサが駆け寄ってきた。
カフェテラスで待ってるものかと思ってたけど、ここまで来てくれたみたいだ。
「大丈夫? 何もされてない?」
「ははは、心配しすぎだって。ダンカンとは、少し話しただけだよ」
俺はふたりの心配を軽く笑い飛ばした。
ダンカンのことについては、もう心配する要素はないだろうな――。
「……ネイト様を、守らねば……」
――不意に、テレサが何かを呟いた。
小さな声ですぐに空気に紛れて消えてしまったけど、いつものテレサとどこか違う調子の、ずしりと響くような声。
ソフィーにも、パフにも聞こえないくらいの声は、なぜか俺の耳にこびりついた。
「……テレサ、どうした?」
「いえ、何でもございません」
テレサは何も変わらない様子でぺこりと頭を下げて、俺の隣にちょこんと立った。
彼女の眉ひとつ動かない表情があまりにもいつも通りだったから、ちょっと気分が悪いのかな、程度にしか思わずに、俺はふたりと1匹と共に校舎裏を去った。
だけど、俺は気づくべきだったんだ。
第2体育館での事件が――まだ終わっていないという事実に。
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