君が祭りに迷い込んだ日の話
涼しい空気を震わせる太鼓の音。その隙間を埋めるように、たおやかな笛の音が響く。
そぞろ歩きで雰囲気を味わう人、連れと遊びに興じる人に、祭りらしい食べ物に舌鼓を打つ人。山車が動き出せばいよいよ盛り上がる、祭りのハレの気と活気の奉納が心地よい。
秋の足早な陽も、沈むまではまだもう少し。逢魔が時には、重なる二つの世界が俺の目に映る。
また一人、狭間に迷い込む子供。子供は七つまでは神の子。その言葉通り、幼い子ほど世界のあわいを踏み外してこちら側へ転がり落ちてきてしまう。
「どうしたの? 友達とはぐれちゃった?」
「ぼくじゃないよ。みんなが迷子になったから探してるの」
「そっかそっか、俺も一緒に探すよ」
さりげなく、あやかしたちの視線から庇って手をつなぐ。怖がられないように、見た目の年齢は彼より少し年上に。
ほんの少し出店を巡り、彼に気づかれないような自然さであちら側へと送り返した。友達と合流できたのを見届けてから、人混みに紛れる。
やはり信仰の集まる本殿は落ち着く。一息ついていると、社の陰に誰かがいるのに気づいた。押し殺した泣き声が聞こえる。
宵闇の中に、鮮やかな赤い浴衣姿の少女がうずくまっていた。暗い闇の中は危険だ。人を狙うあやかしに、襲われてしまうかもしれないから。
「ねえ、君。ここにいちゃ危ないよ。あっちに戻ろう」
「……やだ。みんな誰かと来てて、一人でいると変って思われるもん。お祭りなんか嫌い。わたしだって、好きで一人でいるんじゃないのに……っ」
再び泣き出してしまった彼女が語るには、この町には越して来たばかりらしい。まだ友達もできていなければ、付き添うべき親も慣れない地での仕事が忙しいらしい。
「でも神様への挨拶代わりに、お祭りには行きなさいって」
彼女が伝え聞いたことは正しい。挨拶があれば縁ができ、その土地の神の加護が及ぶ。だからといって、まだ幼い子を一人で祭りに寄越すとは。
「そうだね。こうして来てくれたから、きっと神様も君のこと守るよ。約束する」
「神様じゃなくて、あなたが約束してくれるの?」
「あ、えっと……」
彼女の濡れた瞳が初めてこちらに向けられた不意打ちと失言で、思わず言葉に詰まる。迷子がするような縋るものともまた違う。期待と、それを上回る諦めの色。
「祭りに戻ろう。一人が嫌なら、俺と遊ぼう」
「一緒に、いてくれるの?」
「うん。俺と君は、今日から友達。俺は黄金、君の名前は?」
握手のように、手を差しのべる。人間と深く関わろうとするのは、ずいぶん久しぶりだ。一人ぼっちの幼い少女を、この土地の神であるからには守ってあげなくては。
「わたし、緋彩」
ぬぐった涙と、夜の空気で冷えた手が握り返してきた。縁結びは俺の権能ではないけれど、この子が一人で泣かないように、手を取ることくらいはできる。
「……黄金」
夢うつつに、君の呼ぶ声が聞こえる。
懐かしい日を夢に見ていた。さほど遠くない過去のことだと思っていたのに。あの日から君は、俺を救ってしまえるくらい大きくなっていた。
「実乃里さん。黄金がなかなか起きないんだけど、大丈夫だよね……?」
「ええ。お力を失っていた頃は、消耗しないようにと一日のほとんどを眠っておられましたから。回復した力がすぐには馴染まないのでしょうが、よくなってきてはおりますよ」
「そう……」
彼女は、いつもとても気丈だ。こちら側に迷い込んで、無意識のまま俺の花嫁になることを選んでしまっても、平気そうに笑ってみせた。元の世界に帰れないのも、贄になるのも、きっと怖かっただろうに。
なのに、今の方がよっぽど心細そうだ。強い言葉と覚悟で俺を救った時とは、比べものにならないくらい脆く崩れてしまいそうで。
「緋彩様は、我が主を特別に想ってくださるのですね」
「そうかな……。でも、うん。そうかも」
「少なくとも私から見て、貴女が心を乱すのは黄金様が不調の時だけです」
それなら早く、目を覚まさなきゃ。
「……緋彩、大丈夫だよ」
「黄金……」
「俺は大丈夫。緋彩が、ここにいてくれてるから」
確かめるように、緋彩の手が俺の頬をなぞる。彼女と再会した時は俺が消えかけていたから、未だに不安が残るのだろう。
「さっきまで、すごく心配で……。黄金って寝てると、消えちゃいそうだから」
「うん……」
「でも起きた時の黄金の瞳があんまり綺麗で、見惚れちゃった」
予想外の言葉に思考が束の間止まり、顔が熱くなる。
「秋の稲穂が太陽に照らされるみたいに、金色に輝くんだよ。ね、実乃里さん」
「私は、黄金様の瞳以上に美しいものを存じ上げません」
ふたりが慕ってくれているのは伝わっている。言葉にもしてくれる。けれど好意は格別で、信仰とはまた違った糧になる。緋彩と再会するまでは苦しいほど飢えていたのに、今はもう幸せに満たされている。
起き上がり、ふたりまとめて抱きしめた。
「いつも、ありがとね。ふたりのことは、俺が守るから」
「早く元気にならなきゃ説得力ないよ」
「急に冷たい……」
言葉とはうらはらに、緋彩の手が俺の和服をぎゅっと掴んでいることは気づいているけれど。
好意と暖かさを感じられる今が、ずっと続くように願う。