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義理の姉が『聖女』と持て囃されていますが、数々の奇跡を起こした『聖女』の正体は私です。

作者: 抑止旗ベル



「イシュリン様、万歳! ウェザリス王国の聖女様、万歳!」


 お屋敷のバルコニーにお姉さまが姿を現すと、集まっていた群衆から歓声が上がりました。


 イシュリン・チュスルーーーお父様と再婚なさったお継母様の娘で、私の義姉にあたる方です。


 チュスル家の女性は代々治癒魔法に優れており、それゆえ、王国の医療を支える重要な役職である『聖女』に何度も就任していました。


 お姉さまは次期『聖女』として民衆から抜群の支持を受けているのです。


 曰く、医者も治せなかった難病をわずか半日で治してくださったと。


 曰く、全身がバラバラになるような怪我を手で触れるだけで完治させたと。


 一通り民衆に手を振り、にこやかな笑顔を見せたお姉さまはバルコニーから室内に戻ると、豪奢なドレスを翻しながら私に向かって呟かれました。


「あー、めんどくさい。聖女聖女ってうるさいのよね。ニャオル、衛兵に言って追い払わせておいて」

「はい、お姉さま」


 私の名はニャオル・チュスル。


 お父様が再婚なさるまでは、チュスル家の一人娘でした。


「ご苦労様、イシュリン。民衆に姿を見せてやるのも『聖女』の務めなのよ。我慢しなさい」


 召使を引き連れて部屋に入って来たのは、アッカ・チュスル。私のお継母様です。


「こっちは今夜のパーティに着ていくドレスを選ぶのに忙しいのに。ほんと、少し愛想よくしてあげれば喜ぶんだから、庶民って浅はかよねえ」


 窓の方を見ながら、お姉さまが仰います。


 近隣の村や町の皆様が来てくださっているのに、何がそんなにご不満なのでしょうか……。


「ニャオル、いつまでそんなところに立ってるつもり? あなたには家事が残っているでしょう?」


 お継母様が私に向かって怒鳴ります。


「ご、ごめんなさい。すぐに取り掛かりますので!」

「庶民どもを追い払うのも忘れないでね」

「は、はい!」


 お姉さまに返事をしながら、私は階段を駆け下り、屋敷の裏口から外へ出ました。


 お庭の方へ回ると、ちょうど衛兵さんたちが村人の皆様をお屋敷の外へ誘導されているところでした。


「ごくろうさまです」


 私が声を掛けると、衛兵さんは姿勢よく敬礼をされました。


「ニャオルお嬢様にお声かけいただき光栄です! いかがされましたか?」

「お姉さまが村や町のみなさんをお外へご案内するようにと……でも、衛兵さんたちがもうやってくださっていたので安心です。今日のお披露目の会も、みなさん喜んでおられましたね」

「ええ。これだけの人気であれば次期『聖女』も間違いないでしょう。以前の聖女様―――ニャオルお嬢様のお母さまが亡くなられて久しい。『聖女選任の儀』も近日中に行われるという話ですからね」

「はい、そのお噂は私も耳にしています」


 私の母は身体が弱く、『聖女』として働いているときに亡くなったのです。


 それ以来、『聖女』に相応しいとされる者が現れるまでその役職は空席のままでした。


 しかし、もうじき『聖女』がお姉さまに決まると―――そんな噂でウェザリス王国中が持ち切りなのです。


 ふと、お屋敷の門へ顔を向けたとき、しゃがんだまま泣いている女の子が目に入りました。


「あら、あの子……」

「怪我でもしたのでしょうか。話を聞いてきましょう」

「いえ、私が行きます。ひどいお怪我だと大変ですから」


 私が駆け寄ると、女の子は目にいっぱいの涙を浮かべながら顔を上げました。


「……お姉ちゃん、誰? 召使のひと?」


 うっ。


 確かに私は質素な服を着てはいますが……。


 いえ、そんなことはどうでもいいのです。


「どこか痛いの? 私に見せてくれる?」

「え? う、うん……」


 女の子はスカートを捲り、私に膝を見せました。


 その膝には擦り傷があって、血が滲んでいました。きっと転んでしまったのでしょう。


「ニャオルお嬢様!」


 そう言って、衛兵さんが私の隣に屈みます。


「……衛兵さん、周囲には誰もいませんよね」

「は? は、はい。村人たちも屋敷の外へ出たようです」

「では、人目にはつきませんね。……大丈夫よ、すぐに痛くなくなるから」


 私は女の子の膝に手を翳しました。


 頭の中で呪文を唱えながら、傷に魔力を集中させます。


 すると、淡い青色の光が集まって、女の子の傷は跡形もなく無くなりました。


「えーっ!? お姉ちゃんすごい! 聖女様でもないのに!?」

「このことは誰にも言わないでね。約束よ」

「うん、約束。ありがとうお姉ちゃん!」


 女の子は元気よく立ち上がると、屋敷の門へ駆けて行きました。


 門のすぐ傍らには母親らしい女性が立っていて、女の子を見つけるとすぐに彼女へ駆け寄り、二人仲良く門の外へと歩いて行きます。


 お母様が生きていらしたころは私もあんな風に……。


「……どうして明かされないのです。真に『聖女』の資格があるのはあなただと」


 昔を思い出してノスタルジーに浸っていた私は、衛兵さんの言葉で現実に引き戻されました。


「別に良いんです。『聖女』なんて大変なお仕事、私には務まりません。私に出来るのは、身の回りにいらっしゃるみなさんの病気やお怪我を治すくらいです。それにイシュリンお姉さまも治癒魔法は得意とされていますから」


 どのお医者も諦められたお病気を治したのは私。


 全身がバラバラになるようなお怪我を治したのも私。


 その他、お姉さまが起こしてきたとされる数々の奇跡のような治療も、本当は影で私がやっていたこと。


 でも、それはそれで構いません。


 治してあげられるから治した―――それだけですから。


 そして、仮に私が『聖女』になったとしても―――。


 痩せて弱り切った母の姿が脳裏に浮かびました。


 『聖女』と崇められ、そして病気をひた隠しにしたまま死んでいった母の姿が。


 私には、そんな利他的な精神は無いのです。


「旦那様がお亡くなりになられなければ、お嬢様も召使のような扱いを受けずに済んだでしょうに……」

「良いんです、衛兵さん。私、別に何とも思っていませんから。お継母様とお姉さまが幸せであればそれで十分です」


 お父様が亡くなったのは、お継母様と再婚されてすぐのこと。


 私が仲の良いメイドたちと一緒に街へ買い物に出ていたときのことでした。


 お父様は突然心臓発作を起こされ、私が屋敷に戻って来たときには既に亡くなられていたのです。


 いくら私が治癒魔法が得意だからと言って、死者を蘇らせることはできません。


 それからお継母様のご命令で、屋敷の中にあった私の部屋は庭の隅の物置へ移され、お継母様やお姉さまの身の回りのお世話が私の仕事になりました。


 そして特にお継母様から厳しく言いつけられたのは、私の治癒魔法を決して人目につくところで使用してはいけないことでした。


 私がお姉さまの代わりに、大変な病気や怪我をされている方の治療をするときは、お姉さまが治癒魔法を発動する演技に合わせて私も魔法を使うのです。


 いや、嘘みたいなマジの話です。リアルです、リアル。リアルマジガチです。


 かなりシュールな光景ではあると思うのですが……。


 と、そのとき。


 一頭の馬が勢いよく門を駆け抜け、屋敷の中に侵入してきました。


 その背には狩りの恰好をした男性が二人載っています。


「な、何者だ!? 皆の者、お嬢様方をお守りしろ!」


 庭へ飛び出してきた衛兵たちが暴れようとする馬を押さえつけ、ようやく馬が止まったかと思うと、一人の男性がもう一人を抱えるようにして馬から飛び降りました。


「ここは『聖女』候補であるイシュリン・チュスル様のお屋敷と聞いている! 伯爵様の治療をどうかお頼みする!」

「伯爵だと? どこの者だ!」


 衛兵さんたちが男に向かって剣を抜き、取り囲みます。


 しかし私には、抱えられたままぐったりと動かない方の命が危険な状態にあることが見て取れました。


「衛兵さんたち、彼らがどこの者かを調べるのは後でもできるはずです。今はその方を治療することが先です!」

「し、しかし、お嬢様、人目のつくところで力を使っては……!」

「私はあくまでも応急処置しかいたしません。どなたか、お姉さまをお連れしてください」

「は――はっ! かしこまりました!」


 そう言って、衛兵さんの一人が屋敷へと駆けていきます。


 私は倒れこんだ男性に歩み寄ると、右手をその直上に掲げました。


 男性の衣服は血まみれで、呼吸も弱まっています。


「どうしてこのようなことになったのですか?」

「狩りの途中、落石に巻き込まれたのです。私のような従者を庇ったせいで……」


 先程の少女にしたように、相手の傷口に魔力を集中させてみます。


 腕や足の骨は折れ、更に肋骨の破片が肺に突き刺さっており、大量出血のせいで身体機能が大幅に低下しているようです。


 さすがに膝の擦り傷を治すようにはいきません。


「……れいずあれいずざおりくざおらるさまりかーむ」


 頭の中で呪文を唱えるのをやめ、詠唱しながら全魔力を集中させます。

 男の人の周囲に集まりつつあった蒼い光が更に輝きを増し、傷が塞がっていくのを感じました。


「お……おお……っ!?」


 従者を名乗る男性が声を漏らします。


 その瞬間、先ほどまで微塵も動かなかった血だらけの男性が、ゆっくりと目を開けました。


 金髪のその男性は、開いた緋色のその瞳で辺りをきょろきょろと見渡しました。


「……セバスチャン、ここは……!?」

「はっ、次期『聖女』と名高いイシュリン・チュスル様のお屋敷でございます!」


 セバスチャンと呼ばれた従者さんが男性の隣に跪きました。


 男性は私の方を見ると、


「では、あなたがイシュリン様か……?」


 私は慌てて首を振ります。


「い、いえいえいえいえ、違います。私は『聖女』なんかじゃありません」

「しかし私の傷を治してくれたのは」


 男性の言葉を遮るように、お継母様の声が聞こえてきました。


「お待たせして申し訳ございません、伯爵様! チュスル、伯爵様に失礼なことはしなかったでしょうね!」


 私を睨みながらこちらに駆けてくるお継母様に、私は反射的に答えていました。


「もちろんです、お継母様」

「じゃあさっさと屋敷に戻って、伯爵様をお迎えする準備をしなさい!」

「伯爵様……?」


 そう訊き返すと、お継母様は顔を真っ赤にして怒鳴りました。


「あんたもこの衛兵どもも、とんだグズばかりだね! このお方はリカビリア家の伯爵様だよ! あの馬に着けられた鞍に家紋があるでしょう!」


 よく見ると、確かに馬の鞍には薔薇をあしらったような家紋が描かれていました。


 そしてカッツェという名前を聞き、思い出したことがあります。


 そういえば、お継母様がお姉さまを嫁がせようとしている家がカッツェとかいう名前だったような……。


「し、失礼しましたお継母様! 私、すぐ屋敷に戻ります!」

「喋ってる暇があったら足を動かしなさい! 申し訳ありませんねえ、カッツェ伯爵様。ウチの召使が失礼な真似を」


 伯爵は不思議そうに眉を寄せます。


「召使? 娘さんではないのですか?」

「娘と言っても血は繋がっておりません。それよりもお怪我をされているとか。我が娘で次期『聖女』と名高い、イシュリンがお手当をいたしますので」

「いえ、怪我の方はもう……」


 お継母とカッツェ伯爵の会話が聞こえる中、私は屋敷に向かって走りました。


 途中、メイドたちに囲まれながら歩く、豪華なドレスを着たお姉さまとすれ違いました。


 きっと伯爵に何らかの治療をされるのでしょう。


 命にかかわるような怪我は治しておきましたから、あとはお姉さまにお任せしても大丈夫でしょう。


 私は内心安堵のため息をつきながら、屋敷の裏手のドアを潜りました。





 ついに『聖女選任の儀』の日取りが決まった頃から、王国内にあらぬ噂が流れ始めました。


 曰く、医者も治せなかった難病をわずか半日で治したのはイシュリン・チュスルではなく別の人物だと。


 曰く、イシュリンの他に『聖女』たる才能を持った者がいるはずだと。


 ……ときには噂が真実ということもありますよね。


 いや、別に私が『聖女』になりたいというわけではありませんし、イシュリンお姉さまを次期『聖女』の座から引きずり下ろしたいなんてことは夢にも思いません。


 しかし、いくらイシュリンお姉さまも治癒魔法が得意といっても、捻挫や軽い風邪を治すのが限度。もしそれ以上に具合の悪い人々が治療を求めてやってきたら……まあ、そのときは私が治してあげればすむ話です。


 なんてことを考えている間に、『聖女選定の儀』の前日になっていました。


 私は明日の儀式へ向けて街へ買い物に出かけていました。


 食材や衣服の材料を買い終わり、お屋敷へ帰ろうとしていたとき、路地の向こうから見覚えのある男性がこちらへ近づいてきました。


「やあ、ニャオルさん。この間はどうもありがとう。おかげで文字通り命拾いしたよ」


 気さくな様子でそう言ったのは、カッツェ・リカビリア伯爵でした。


 その背後には、あの従者さんもいます。


「どうも、お久しぶりです……。ええと、私に何の御用でしょう」

「僕の命を救ってくれたお礼をきちんと言えていなかったのが心残りでね。君のことを探していたんだよ。チュスル家にいくら問い合わせても全く君に会わせてくれる気配がなかったから、困っていたんだ。こうして偶然会えて本当に良かったよ」


 チュスル家に問い合わせたというのは、きっとお継母さまにお尋ねになったということでしょう。


 お継母さまはイシュリンお姉さまをカッツェ伯爵に嫁がせたいのですから、私に会わせようとしなかったのも当然です。


「私も伯爵様とお会いできで光栄です。あれからお怪我の具合はいかがですか?」

「以前よりも快調なくらいだよ。君が手当てをしてくれたおかげだ」

「いえ、私はただ応急処置をさせていただいたにすぎません。伯爵様のお怪我を治されたのはイシュリンお姉さまの方ですから」

「……それは本当のことか?」

「え?」

「確かに次期『聖女』と名高いイシュリン様も治癒魔法を使われるが、噂ほどのレベルではないように感じたよ。僕は、僕を死の淵から救ってくれたのは君だと考えている。そして―――イシュリン様が起こしたとされる奇跡のような治療も、本当は君の行いだと」


 ヤバい。


 バレてしまいました。


 でも、証拠があるわけじゃありません。


 ここはしらばっくれておきましょう。


「……さあ、何のことかわかりません」

「とにかく僕は君にきちんとお礼がしたいんだよ。今度リカビリアの屋敷に来てくれないか? 夕食をご馳走するよ」

「すみません、私、早く戻って明日の準備をしなければならないので」


 私はカッツェ伯爵に背を向け、家路を急ぎました。


 街の外で私を待っていた馬車に乗り、大急ぎで屋敷へ帰ります。


 明日、イシュリンお姉さまが新たな『聖女』になる。私はお姉さまの影として生きていく―――それで良いのです。





「ニャオル、母様の言うことをよく聞いて、イシュリンとも仲良くするんだよ」


 生前、父は口癖のようにそう言っていました。


 それは彼が平穏な家庭を望んでいたから―――少なくとも、父が生きていた頃は、私たちは仲の良い家族でした。


 しかし、そのようにして父が平穏を望んだのは、恐らくお母様――先代の『聖女』の死が理由でしょう。


 父は、母の『聖女』という立場を利用して政治的な権力を強めていきました。


 弱りゆく母を尻目に、自分は議会での地位向上に没頭していたのです。


 父が、母の容態が取り返しのつかないものになっていると気が付いたときには、既に遅かったのです。


 父は母のためにありとあらゆる手を尽くしました。しかし、ウェザリス王国で最も優れた治癒魔法使いである『聖女』――つまり母でさえ治すことのできない病を治すことは、誰にもできませんでした。


 母の死後、抜け殻のようになった父は政治の世界から引退し、お継母様と再婚しました。


 私に母親が必要だという考えからの再婚だったようですが、父も亡くなった今、真実は分かりません。


 もしかすると、自分がおざなりにしてきた家庭というものをやりなおしたかったのかもしれません。


 父は死に、『母の言うことを聞き、姉と仲良くする』という彼の言葉だけが私の中に残りました。


 亡くなったお父様のためにも、私は―――イシュリンお姉さまを支えていかなければならないのです。それが父の教えなのですから。


 民衆の歓声に、私は我に返りました。


 城下町の大広場に設置された祭壇。


 その壇上に、イシュリンお姉さまが姿をお見せになったのです。


 大勢の民衆に囲まれた祭壇の上で、イシュリンお姉さまはにこやかな表情で、彼らに向かって手を振ります。


 『聖女』にだけ着用が許された礼服を身に纏うお姉さまの姿は、確かに『聖女』らしい美しさでした。


 私は祭壇の両脇から左右に伸びるような形で何列か設置された、関係者席の端に座っていました。


 祭壇と同じ高さに造られたその席は木組みの支柱で支えられていました。


「これより『聖女選定の儀』を執り行う」


 祭壇の上の司祭様の、厳かな声が響きます。


 そのとき不意に、隣に座っていたお継母様が私に囁きました。


「ニャオル、イシュリンにお祝いの品物を用意してあるの。裏手にある階段の下に準備してあるから、持って来てくれるかしら」


 どうしてこのタイミングで、と思わなくもなかったのですが、断る理由もありません。


「分かりました、お継母様」


 私は席を立ち、関係者席の裏手にある階段へ向かいました。


 階段の前には王国の兵士さんが立っていて、私に気付くと、


「ニャオル・チュスル様ですか?」


 と尋ねられました。


「はい、そうです。イシュリンお姉さまへのお祝いの品を取りにいくのです」

「分かりました。お通りください」


 兵士さんの脇を通り抜け、私は階段を下り始めました。


 こんなところに階段があったなんて気が付きませんでした。もっと目立つところにあれば便利だったでしょうに。


 と、次の段に足をのせた瞬間、木造りの階段が嫌な音を立てながら割れ、私の身体は宙に放り出されていました。


「え……!?」


 地面ははるか下方。


 強い浮遊感に襲われながら、私は、即死だ、と思いました。


 お父様とお母様のところに行くのか、と。


 風を切りながら、私の身体は地面に向かって落下していきます。


 そのときでした。


「ニャオルさん!」


 私を呼ぶ力強い声が聞こえたのと同時に、私の腕が何者かに掴まれました。


 落下が止まり、私は宙ぶらりんになります。


 上を見上げると、見覚えのあるお顔がありました。


「カッツェ伯爵様……!?」


 伯爵は安心したように微笑むと、私の身体を引き上げました。


 ちょうど木組みの階段の踊り場あたりに足を付けた私は、思わずその場に座り込みました。


「危ないところだったね。間に合ってよかったよ」

「どういう意味……ですか?」


 額の汗を拭う伯爵様に、私は尋ねました。


 伯爵様は一瞬だけ苦しそうな表情を浮かべ、それからハッとしたように上を見上げました。


「急いでここを離れよう。危険だ!」

「危険って、どういう―――」

「客席が崩落する!」


 伯爵様の言葉に上を見上げると、先ほど壊れた階段の一部が関係者席の支柱に落下し、支柱の結合部が割れ始めているところでした。


 気が付けば私は伯爵様に手を引かれ、階段を駆け下りていました。


 私たちが階段を下り切って、そして少し離れた場所で一息ついた瞬間、関係者席の一部が崩れ落ち、大きな支柱の破片が『聖女選定の儀』を見に来ていた人々に落下していきました。


 新たな『聖女』の誕生に沸いていた群衆たちから、恐怖の悲鳴が上がります。


 支柱の落下に巻き込まれたのか、子供たちが泣き叫ぶ声が聞こえました。


「聖女様! お助けください!」

「子供たちが怪我を! 早く治癒魔法を!」


 民衆の中から、祭壇の上のイシュリンお姉さまに助けを求める声が上がり始めました。


 しかしお姉さまは顔を青くして固まったまま動こうとしません。


 そんなお姉さまに駆け寄ったお継母様は、あろうことかお姉さまを連れて祭壇の奥へ引っ込んでしまったのです。


 民衆から怒号が上がります。


 そしてそれをかき消すように、さらに大きな悲鳴が聞こえてきました。


 このままでは広場がパニック状態になってしまいます。


 誰かが怪我を治してあげなければ―――しかし。


 私がそれをしてしまうと、お姉さまやお継母様を裏切ることになってしまう。


「……僕からも頼む、チュスルさん。彼らを助けてやってくれ」

「え?」


 隣を見上げると、私の顔を覗き込む伯爵様の青い相貌がありました。


「君の力なら彼らを救うことが出来る。頼む、この通りだ」


 そう言って伯爵様は私に深く頭を下げました。


「……分かりました」


 私は覚悟を決めました。


 全魔力を両手から放つイメージで、呪文を唱えます。


「ほいみべほいみけあるけあるが」


 私を中心に、広場全体が蒼い光で包まれていきます。


 民衆は呆気にとられたように静かになり、そして光が収まった瞬間、歓声が上がり始めました。


「子供たちの怪我が治った!」

「聖女様だ! 本当の聖女様が現れたんだ!」

「誰が治してくれたんだ!?」


 ……これで、お姉さまに歴代の『聖女』ほどの治癒能力がないことが明るみに出てしまったでしょう。そして、これまで奇跡を起こしてきたのが彼女ではないということも。


 かといって、私は……。


「僕の屋敷に来ないか?」

「え?」


 伯爵様の突然の言葉に、思わず私は訊き返していました。


「君は『聖女』にはなりたくない。『聖女』として崇められ、そして弱り亡くなった君のお母さまの姿を見て来たからだ……だろう?」

「それは―――」

「僕は君に命を救われた。その恩を返したい。君のことを、僕に守らせてくれないか?」

「それって……プロポーズ的なことですか?」


 私が聞くと、伯爵は少し顔を赤くし、言いました。


「そう取ってくれて構わない。さあ、手を」


 私は伯爵の差し出した手を握り、二人で駆けだしました。


 後ろは振り返りませんでした。





 それからしばらくの月日が流れました。


 階段崩落の犯人はお継母様でした。


 彼女は私を殺害するために、階段に細工をしていたのです。


 兵士さんが私の名前を確認したのも、私以外の人間にあの階段を通らせないためだったそうです。


 民衆に多大な被害を与えたとして、お継母様とお姉さまは国外へ永久追放となりました。


 そして再びウェザリス王国の『聖女』は不在となったのです。


 しかし、民衆の中にはこんな噂が流れています。


 曰く、大広場の事件で何人もの怪我人を一瞬で治療した者がいると。


 曰く、どんなケガや病気も治すことのできる治癒魔法使いが存在すると。


 曰く―――その者は、リカビリア伯爵の屋敷にいるのだと。


 私は『聖女』にはなれません。


 ですが、私の治癒魔法を求めお屋敷を訪れた人々には、出来る限りのことをしてあげたいと思っています。


 リカビリア伯爵の屋敷の離れで、暖かい日差しに照らされた小さな中庭を眺めながら、私はそんなことを考えていました。


 薄く積もった雪が太陽の下できらきらと輝いています。


「ニャオル、またここにいたのか」


 伯爵が中庭の向こうからこちらに歩いて来る姿が見えました。


「……気に入っているんです、ここの景色。お母さまが元気だったころ、ここによく似たお庭を一緒にお散歩していたのです」

「そうか。……この子が生まれたときの楽しみがまた増えたな」


 私のお腹に手をやりながら、伯爵が―――カッツェが言います。


「……あ、動きましたよ。お父さんだと分かっているんですね、きっと」

「賢い子だ。ほら、身体を冷やさないように」


 そう言ってカッツェは私の肩に毛布を掛けてくれました。


 次の春を迎えるころには、新しい家族が増える予定です。




読んでいただきありがとうございます!


「ハッピーエンドでよかった!」「二人ともお幸せに!」と思っていただけたら、ブックマーク、☆評価、ぜひお願いします!


次回は……とある短編の連載版を投稿予定です!!!

お楽しみに!!!!

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