8. 闇卿ブラジ
北部ネクロス・シティの大富豪ルー・ブラジは三つの顔を持つ。
表向きの鉱物貿易商、裏での麻薬密売業者。
そしてもうひとつは闇の掃除人、すなわち殺し屋の顔。
つけ加えると、彼の正体は械奇族だ。
殺しは請け負い稼業ではなく、彼個人の復讐によるもの。
かつて屋敷に押し入った強盗に家族を殺され、乳児だった彼自身も殺された。
執事と父親は玄関で撃たれ、母親は彼を抱いたまま、寝室で息絶えた。
家族で墓地に埋葬された吹雪の夜、赤ん坊のルー・ブラジは棺桶から這い出た。
脈打つ械奇の鼓動は血のにおいを求め、乳のにおいを求め、彼を押し上げた。
屋敷まで這い、小屋に残された馬を食らって生きのびた。
惨事を知る者の記憶は後に械奇術で抹消した。
成長して父の事業を継ぐブラジ。
白く清潔な肌に美しい目、長身からの爽やかな笑顔、思いやる口調のブラジ青年は女性たちを虜にした。
その耳元で愛を囁きながら裏で網を張り巡らせる。
女たちからの情報は新鮮で膨大で確かだった。
やがてその手がかりを得る。
例の強盗団はディモンズと名のるふざけた輩たちだった。
そして頭目の名は〝ダミアン〟だと。
黒い外套に隠した鉤爪とテクタイトの牙でディモンズのメンバーを次々と地獄へ送り、ついにダミアンの居場所を突きとめた。
彼が四十歳の時。そこは金属産業の街ストームアックスのとある廃墟ビル。
ビル群の奥深く、ブラジは半壊した石造建物内に入ってゆく。
暗がりでも彼には昼のように明るく見える。
散らばる人骨を払いのけ、謎の扉を開けるとロッキングチェアに一人、男が座っていた。
全身包帯を巻き、目と口だけ覗かせるニヤついた男。
怪しい薬物を臭わせるうつろな目でブラジを見て訊いてきた。
「おまえも〝不死身の血〟を求めて来たのか? ……イッヒッヒッヒ!」
「そんなもの知るか。キサマがダミアンか?」
「はあ?」
「ダミアンなのだろう? 違うのか? ディモンズのリーダー……わたしの家族を……ブラジ家に押し入り、殺した……二十年以上前の話だ」
「ブラジ家……はて。ああ! まさかネクロス・シティの?」
「そうだ。やはりキサマが」
「おれは記憶力いいんだ。ああ、あれは少しミスったな。仲間の執事まで殺しちまった。アッハッハ」
その時あれこれ指示を出した様子をヘラヘラ笑いながら話す包帯男。
ブラジは目を炎のように赤く染め、男の両腕を掴み、へし折った。
「ウギャーーーーッ!!」
「苦しめ! 苦しみながら死ね!!」
「……い、痛てぇーーよぉーーっ! ……だ、だがな、ブラジの息子よ、おれはダミアンじゃねえ、それをふざけて名のったこともある。そん時の流行りだったんだよ。そうディモンズの何人も、ふざけて名のってた。誰かのせいにする暗示みてぇなもんだ。おれの名はピエル。〝ダミアン〟なんて幻想だ」
「……くそっ、どうでもいい。おまえが仕切ってやったに変わりはないだろう」
ブラジはのたうち回るピエルの両足も切り刻む。
渦巻く狂気が個室を支配した。
ブラジの黒く光るおぞましい顔と鉤爪と牙を見てピエルが泣き叫ぶ。
「殺せッ! さっさと殺せーーッ! バケモノォーーッ!!」
「ははっ、ピエルよ。おまえがわたしの家族を殺し、わたしを生んだようなものだ。おまえがわたしというバケモノを産んだんだ」
「ひ、ひ、ヒィーーッヒャッヒャッ!」
「……ひとつ訊く。おまえが言った不死身の血とは何のことだ?」
「……ほんとに知らんのか? ……ぅ、裏街道に伝わる、知る人ぞ知る伝説よ……おれと同じ馬鹿どもがその血で不死身の王になれると信じてここに来る……選ばれない者はほら、みんな食われて骸骨さ、フッハッハッハ」
動きが止まったブラジに、血だるまのピエルは転がりながらまだ続ける。
「……不死身の械奇王、ダミアンになれると信じてな……だが、それは幻想だ。それは恐怖でしかない。地獄でしかない」
「……カイキ……オウ?」
「……おれには……耐え……られ……な」
突然ピエルを覆う包帯がほどけ、蛇のようにうねった。
絶命したピエルから離れたそれは次の瞬間ブラジに襲いかかった。
生きているかのような包帯。
続いて脳に直接聴こえてくる械奇文。
感じたこともない異様な殺気がのしかかる。
ブラジはわけがわからず竦んで逃げ出した。
声も出ないまま逃げられる場所まで懸命に走った。
建物から外へ出て、草むらを抜けて川へ飛び込んだ。
泳げずに溺れてやがて川のほとりで喘いでいるところをブラジは助けられた。ひとりの老婆に。
午前二時半。ハーバーライトが辺りをほのかに照らす。
老婆の膝の上に頭を置き、その太腿に甘えてしがみついている自分に気づく。
目覚めて申し訳なく、恥じてしまう。
「……す、すまない。あ、あんた、まさかこのわたしを?」
身を起こしてブラジは礼を言う。
「ふふふ。助かってよかったよあんた。そう、あたしが助けたの。そりゃあほっとけないさ」
襟巻きに厚手のジャケット。
頬に深いしわを寄せ微笑む。
灰色の編んだ髪が両肩へと垂れていて、薄汚れていても気品があった。
ブラジの記憶が駆け巡る。写真にも残っている。
何より彼女は、母親に似ていた。
老けてはいても遠くで重なる、母親とよく似た温かい眼差しと声、においも。
「こんな寒い夜にずぶ濡れで凍死しちまうよ。汚い毛布でごめんよ。でもいっしょに包まるとあったかいだろ?」
ブラジはまっすぐ体を向けた。
「ありがとう。ありがとうございます。……わたしはブラジ。ルー・ブラジといいます。あなたは……お名前は?」
「カシュナ」
「カシュナさん。あなたは……この辺りの……住まいは?」
彼女は橋のたもとを指差した。
「あのダンボール小屋さ」
「え? まさか」
もう一度見るとホームレスの男二人がうろついていて、こちらに手を振って声をかけた。
「お〜い、カシュナ〜。朝方はもっと冷えるぞぉ〜、薄い毛布だがお裾分けだ。置いとくよー」
カシュナもありがとうと手を振り、軽く吹雪いてきて男たちはまた去って行った。
少しだけ身の上話をした後、ブラジはまたあらためて礼に来ると言ってカシュナと別れた。
街に帰ってもブラジはずっとカシュナのことが気がかりで、仕事もまったく手につかなかった。
二日後あの橋のたもとへ戻っても彼女はいなかった。
港にも公園にもストームアックスの裏街にも駅にも、カシュナの姿はなかった。
情報を集めた。国中を捜し回った。配給の列や果樹園も見て回った。
十日後、北東部の古びた駅にカシュナはいた。プラットホームのベンチに、二人の男の子と並んで座って。
「やっと見つけた」
吐く息が白く熱い。
ブラジはゆっくり歩み寄り、乱れたオールバックを手で整え、これまでずっと考えていた言葉を勇気を振り絞って言い切った。
「カ、カシュナさん。……きょ、今日からダンボール小屋はやめないか」
「……へ?」
「だ、だから、わ、わた……」
目を丸くして立ち上がるカシュナ。
「あ、ああ! あの時の、溺れてた旦那さんかい? いやまあ〜あ、今日は見違えて! あらぁ〜、そうしてビシッとスーツでキメるとなかなかイイオトコじゃないの!」
ブラジは照れて赤面してしまう。
「カシュナさん、そんな、じゃなくて、わた……」
「わた? ……綿埃でもついてるかい?」
カシュナはジャケットを手で払って微笑む。
優しい眼差しにいっそう赤くなるブラジを、男の子二人が疑り深く見上げてる。
「……この子たちは? お孫さんですか?」
「じゃないんだけどね。線路づたいに歩いてたんで切符を買ってあげたのさ。お友だちさ」
と顔を見合わせて笑う三人。
ブラジはひとつ咳払いして腹をくくって言った。
「わたしと住まないか。カシュナさん」
「……は? 何か……からかってんのかい?」
「違います。わたしの本意です」
「え……」
ブラジはあらためて自身の仕事や家柄、財産の話を始めたが、そのうちカシュナが首を横に振った。
「……そりゃあ、嬉しいけどね、ブラジさん。わたしにも、こうなってからの家族がいるんだよ。ずっと連れ添ってる流浪の仲間がね。この子たちも、家族なんだよ」
「……そんな」
寂しそうに見えても、家族を語るカシュナの目は満たされていた。
懇願しても子どもたちの揺れる瞳を見てしまっては押しきれなかった。
仕方なく引き下がるがブラジは言い残す。
「とにかくちゃんとお礼がしたい。欲しいものとか、ないですか? 困ったことがあったら何でもいつでも言ってください」
カシュナは考えた。
頬に指をあて空を見上げ雲を見つめると答えた。
「じゃぁとりあえず煙草一本くださいな」
ブラジは後日約束の場所で煙草を渡し、それからも折を見ては駅を訪れ、カシュナに会った。
「……あたしみたいなお婆さんに。どうしてだい?」
ブラジは打ち明ける。
「……母に……似てるんです」
「そう。うん、なんだか誇らしいわ」
「え?」
「もしもあなたみたいな立派な息子がいたらと思うと……いえ、あたしは子どもを授からなくてね。だから、不思議な感覚さ」
カシュナはブラジの手を握り、彼も強く握り返した。
「母も温かかった……」
「うん。……いつもありがとうね、ブラジさん。あたしと、あたしの家族まで、助けてもらって」
「い、いえ。これぐらい、些細なことです」
「……でもあなた……もったいないよ。早くいい女性見つけなきゃ、ね?」
カシュナの愛を欲しがっても、どうすることもできなかった。
やがてそれは我儘だと悟る。
少し落ち着いた頃、ブラジの屋敷にロカボロと名のる謎の老人が訪ねてきた。
〝械奇兵団〟のスカウトに来たと言う……。
* * *
ミユズの運転する車は山間のハイウェイを北上していた。
あれから半日、ファストフード店へ寄ったりしてぼちぼち車で走ってる。
助手席のグラノアはフライドポテトを食べながら時々一本ミユズにも「あーん」してあげる。
ちょっとだけデート気分ねと、彼女は笑ったりした。
グラノアは蘇った記憶の話をミユズに打ち明けた。
捜している悪鬼ダミアンはかつての王、彼女はその従者だったという話を。
「彼は我々械奇族を愛していたはずなのに。何故……」
いにしえの王の存在にベルトの中のピカンもウォールンも困惑した。
「しかしおれたちは真実を知りたい」
バックルに手を当て、ミユズも同じくうなづいた。
そしてまた夜が来た。
「……ブラジ……ブラジ……まさかねぇ」
グラノアは本を閉じる仕草でそう呟いて、腕組みをして回想する。ミユズが訊く。
「まさかって、何が?」
「次に会う殿方よ。〝闇卿ブラジ〟。その名前に聞き覚えがあって」
「ふーん。あのー、質問がありまーす。ウォールンさんから聞いたけど〝悪鬼討伐団長ロカボロ〟って何者なんでしょうか。ただのヒトとは思えない」
グラノアは宙で指を滑らせ、記憶のページの『ロ』行を検索する。
「ロ……イヤルミルクティー、ロウソク、濾過……、路肩、ロカ、ビリー……」
しばらくかかって……結局わからず、
「味方か、敵か。わたしたちの存在を研究してるってとこが、なーんかいやらしいわね」
とグラノアは答えた。
ミユズは鼻から息を吐いて仕方なく笑った。
* * *
黒い木々に囲まれた真っ黒い大きな屋敷が見えてきた。
門まで五十メートルほど。
ヘッドライトが照らすアスファルトに落ち葉、枯れ枝、松ぼっくり、そして座って手招きしている一匹の、猫が。
「猫? ひゃっ! ミユズ、止めて!!」
急停車してよく見ると白い毛の……ではなく白い包帯ぐるぐる巻きの猫がいる。
ちょんと耳を立てこちらにトコトコと寄ってきてボンネットに飛び乗ると、目を赤く光らせ、声を発した。
「あんたら、ブラジに用かい?」
ぐにゅんとのけぞる二人。
「ひえ〜〜っ! しゃべったあ!!」
目の前に座る包帯猫は手を横に振る。
「ああん、あんたらも化けもんやろが? そんなびびんなって。あんた……特ににいちゃんよ、なんかスンゲー波動を感じるが、ブラジは友だちか? それともぶっ潰しにか?」
変な訛りで流暢に訊いてくる包帯猫にミユズは顔を突き出した。
「へ? き、きみこそ……そんな姿をしてても械奇族なんだね? ぼくはミユズ。ブラジさんに頼み事で来たんだ。きみは?」
「わしはピスタ。白甲ピスタ。『きみ』とか言うなや。おまえよりずっと年上ぞ。そう、もちろんブラジを潰しにきたんや。やっとここまでたどり着いてな。もうちょっとだが、だりぃから乗せてってくれや」
「……」
包帯猫ピスタの返答にグラノアは口に手を当て、思わず吹き出した。
「ぷぷっ! おっかしい、『わし』だって」
「な、なんやあ? 笑うてからに。ねえちゃん失礼なやつやな!」
グラノアはたまらず車から降りてってピスタを抱っこする。ピスタは暴れて喚いた。
「お、何するんやあ!」
「かっわいいー! わし言う猫ちゃん♪ 思い出したわ!」
ぎゅうぅっと抱きしめられ、ピスタはまんざらでもなくなった。
「……でも、や、やめろ、痛い痛い、わしは、ブラジを潰しに来たんやあ! 奴はわしに斬りかかった! 奴が仕掛けたケンカやあ!」
「だから思い出したって」
「なにがや!」
「わたしはグラノア。あんたダミアン王の飼い猫だったでしょ? ピスタちゃん♪」