7. ココとイゼル
降りしきる雨の夜、土産袋をいっぱい下げた貴婦人が雑貨屋ココの前に立った。
午後7時。閉店のシャッターを下ろそうとするイゼルは彼女に気づき、声をあげた。
「ココねえさん!」
旅行から帰ってきたオーナーのココ。
ふっくらとした頬で笑顔を見せる。
「ただいまぁイゼル。……大変だったねえ。でも電話の時より元気そうで、よかったよ」
「そうなの! 家は焼けたけどミユズが無事だとわかって! 女の子のお友だちも」
「女の子?」
「グラノアって名前の……わたしの膝を治してくれた子。これから話すから、とにかく入って。濡れて風邪ひくわ。早く」
イゼルの従姉妹ココは亡き夫の遺産で不動産を営む寡婦。
気前が良く大らかで、イゼルを本当の妹のように思い、イゼルも慕っていた。
杖無しで普通に歩けるようになっているイゼルを見てココは泣いて喜んだ。
差し出された紅茶の横に土産のお菓子を並べる。
「美味しいのよこのスフレ」
「わあ! ありがとうねえさん!」
居間のテーブル席に二人は向かい合って座り、窓の向こうの雨を眺めながら話をした。
「〝カイキ……リョウジュツ〟とかなんとか言ってたわ。なんか呪文を唱えて、手が眩しく光ったの。……あれは魔法使いではないかしら」
「へぇー。魔女っていうならホウキに乗って現れたとか?」
「いえトランクケースを持って普通に歩いて。服も帽子も、オシャレなコだったわ〜」
「それでミユちゃんを連れてどこへ行ったのさ。あたしの大事なミユちゃんをそそのかして」
「フハハ、まぁたぁ〜。ミユズ・ファンクラブ第一号」
「そりゃそうよー、小さい頃からあたしによく懐いてさ。昔はやんちゃだったけど……。あれからずいぶん落ち着いたじゃない」
「……ああ、退院してから?」
「もう三年は経つよね」
「うん。あの子は生死をさまよったから。病気に打ち勝って強くなったわ。どこか落ち着いて、優しくなった」
「あそこまで変わるとはねえ」
「……ほんとに生まれ変わったんじゃないかって……時々思うの」
胸に手を当て呟くイゼルを見つめ、ココは言う。
「大変だったけど、ミユちゃんは強いからよ。〝強者は窮地に試される〟ってね」
両手を合わせて紅茶をいただくココ。
「しかしイゼル。あんたも度胸あるわぁ。ほんとは心配でしょうに」
「うん、でもミユズはずっと出たがってたから。かわいい子には旅をさせろって言うでしょ。いい社会勉強になると思う」
「ひぇえ、たまげたねえ。あたしには親心っていまいちわからんけど、やれんわ〜。」
「悔いを残させたくないのよ。どんなことでも」
「そのグラノアって子。信じたんだね」
「直感でね。その時ミユズを任せていいって、思ったの」
紅茶で温かく癒される。スフレも美味しく疲れを忘れさせる。
二人はミユズを想い、無事を祈った。
ココは旅行先でイゼルの痛み止めやサプリメント、塗り薬を買っていたが、「もう要らないね」と彼女の左膝を撫でた。
「ココねえさん。家のこと、本当にいいの?」
「ああもちろんさ。高原の家も全焼しちまったし、こうなる運命だったのかも。ここに住めばいい。……あそこはあんたの思い出が詰まった家なのにね。悲しいけど、あきらめて受け入れるしかない」
「うん。あんなウサギ小屋みたいなボロ屋でも、あたしは大好きだった」
「アモンさんも、何も連絡ないんだろう?」
「ないよ。もし帰る家が無いって知ったらわんわん泣くだろうけど」
「いい人なんだけどね。郵便配達で毎日石段登って真面目に働いてたのに」
「幼馴染で……昔は体弱かったけど……いつのまにか強くなって、頼もしくなった」
「……やっぱり……寂しいだろう?」
「……当たり前じゃない」
抑えていた思いが溢れて泣きだすイゼルに、ココはごめんごめんと背中をさすった。
当たり前のことを訊いてごめんなさいと謝った。
イゼルがいつも思い出すのは二十年前に父親の葬式に現れたアモンの姿だ。
配達中だというのに、アモンはイゼルの父に別れの花束を捧げに来た。
寡黙でも、一緒に泣いてくれたアモン。
彼の憂いた背中をイゼルは一生忘れない。
* * *
月臣ウォールンと戦ったミユズがいなくなって、グラノアは待つしかなかった。
あれから六時間、帽子の波動レーダーには何も引っかからない。
懐柔ベルトに仕込んだGPS機能の反応もない。
次の行き先を北と定めてエンジンをかけ、彼女はてくてく進むことにした。
――もしミユズが還らなくとも一人でダミアンを倒さなければ。
かつて、わたしはダミアンの従者だった。
そう、少しずつ思い出している。わたしは〝械奇王〟ダミアンに仕えていた。
しかし彼が理性を失いヒトを殺し、従わない同族も襲う悪鬼と化した時、身を引いた――。
運転しながらグラノアは、過ぎゆく景色に過去を重ねる。
――ダミアンに叛き戦った時、最後にわたしは彼の術によって赤ん坊の姿に変えられた。そして未開の金鉱に飛ばされて……。
拾ってくれた父親には感謝してる。彼との思い出はかけがえのないものだ。
そもそも人に心を傷つけられ械奇と化したが、最後に救ってくれたのも人だった。
何故ダミアンは支配欲にかられたのか。
我々は悪魔ではないはず。報われない魂がさまよってるだけ。一時的な情念の塊。
人を見ていたい、人でありたい、人と仲良くしたい。弱さも愚かさもひっくるめての人。ヒト族。
わたしの願いはヒトと械奇族の均衡……。
アシュリの地にダミアンらしき強い械奇波動を感じたが明らかに違った。
それは新たな存在、ミユズ。風を読み、風を操る青年。
彼はあの時ピカンの電撃からわたしを助けてくれた。ウォールンからも守ってくれた。
彼の力は強大だ。彼の力を借りずに、一人でできるだろうか――。
夜が明けて朝焼けの美しさに見惚れながら北上していると突然風が囁いた。
「え?」
上空に小さな竜巻が。そのままユビィックの助手席に入り込む。
風がうねって形作る男子の姿。
ブレーキを踏んでグラノアは叫んだ。
「ミユズ!!」
目をぐるぐる回しながら彼は応えた。
「や、やあ、ただいま」
「おかえり! 嬉しい!」
グラノアは抱きつき、ミユズは照れた。
「……ウォールンとも話をした。彼のこれまでを知ったし、ぼくのこともわかってもらえた」
「右足の意匠に懐柔の証が。彼のパワーを感じるわ」
「彼は弟想いの優しい男だ。心強い」
心強くてグラノアもウキウキとハンドルを握る。
そして彼を〝抜擢〟した自分もしっかりしなければと思った。彼女は言う。
「強者は窮地に試される」
「え?」
「わたしは何故かいっつも窮地。でもそれは強いからよ。フフン」
「……それ、ココおばさんの口癖といっしょだ」
「ぇ、そうなの?」
「うん。おばさんも壁にぶち当たるたびにそれは自分が強いから、乗り越えられるからだって。神様が与えた試練だって」
「ほほぅ」
「そして勝者でなくても、強者であれって」
「おばさんかっこいーい」
「ぼくも血の病気を患って……闘った……闘ったんだ……」
ボソリと言うミユズ。
やがて助手席でウトウトし出した。
グラノアは悲しく微笑み、シートを倒して眠るよう優しく声をかけた。