4.ドライ・ライトニング
もうすぐ日が暮れる。
二人は湿っぽいあばら屋を抜け石段を登ってゆく。
ミユズは悠悠と踏み進むがグラノアはすでに息が上がって追いつけない。
「もーう! ちょっと、待ちなさいよミユズ。レディを置いて、なんて薄情なの!」
はたとミユズは立ち止まり、急いて彼女のことを忘れる自分を抑えた。
「ご、ごめんなさい。もっと速度落とします」
……と言ってくれたはもののグラノアにとってはやっぱり速かった。
三十段ほど下の方から両手を伸ばし、黒い枝葉に見え隠れするミユズのお尻に向かって声を張りあげる。
「もう歩けなぁーーい! ……だっこしてー!」
「え、ええっ?!」
「疲れた! もう五百段ぐらい登ったわ、ほんとにお家に着くの? いやよ信じらんない」
「まだ二百もいってないし。あなたはここから帰って、また母さんのとこで待っててください。父さんは……帰ってないと思うけど……とにかく戸締まり確かめて旅支度してサッと戻りますから」
辺りは蛙やフクロウの鳴き声がひしめいている。
「い、いやよ。行きは良い良いでも帰りはもっと怖いじゃない! けっこう暗いし、えーーん泣きそう」
と、座り込むグラノアにミユズは頭を掻いた。
「……まいったなぁ」
グラノアをおんぶしてスーツケースを持ち、ミユズは歩き出した。
「お姫様だっこでもよかったのに」
と言われても意味がわからないミユズ。
グラノアは頬をポッと赤らめてる。
――パパより小さい背中だけどなかなか筋肉質で……素敵……と、彼女はピタとしがみついた。
黙々と上がってゆくミユズに彼女は訊いた。
「あなた、お母さま似で優しそうってわかったけど、これ凄い力よね。やっぱ超人的。見た目のギャップも凄いけど」
「え?」
「このパワーよ。どんだけタフなのよ」
「ああ。この土地で生きてたらみんなこうなります。米や塩を町まで降りて買いに行く。父さんのお酒も夕方買いに走ったり」
「お父さまってのんべえ?」
「のん……うん。お酒大好き。暗くならないうちに買ってこーいって、走って運んで鍛えられました」
なんて親だと思っても、酒好きの父親という点は彼女も同じだった。
ミユズは言う。
「酔っぱらうとちょっとこわいけど、でも父さん、心根は優しいんです」
「……同じね。そう、あなたとわたしはどこか似てるわ。礼儀正しいとこも。なんちって」
そう言ってグラノアは強く引き寄せる。
しばらく登ってミユズは言った。
「あ。あの……」
「へ?」
「あ、あなたの……む、胸があたって……集中できないんですけど」
「……きゃ、きゃー! なによエッチ、は、恥ずかしいじゃない」
「いや、もうとにかく、下ろしますよ」
ビッタリしがみついているグラノアを引きはがし、立たせたと思うと、今度は彼女をぐるんと肩に担ぎ込んだ。
「ちょっと、何すんのよ! これじゃまるで米俵じゃないわたし」
ミユズの背中側から見下ろすと下は真っ暗い奈落の底。
「ひぇ〜〜っ!」
そうしてのけぞっては騒ぐグラノアを笑ってなだめながら、ミユズはまた歩き出した。
「〝械奇族〟は墓場の使者って。化け物ってこと?」
とミユズが訊く。
「うむ。まぁ、そういうこと」
「……その、つまり。ぼくは……一度死んだ。ってこと?」
「……そう。やっぱり、自覚なかったのね。わたしもそう。むかーし昔ヒトだったけど、一度死んだの。どうやらあなたの見た目はヒト時代と変わっていない。お母さま気づいてないみたいだもの。わたしは多分、昔の姿とは違う。グロく変貌する者や変幻自在に化けられる者もいるみたいだけど」
しゅんとなったミユズにグラノアはなんだか申し訳なくなり、咳払いをした後その背中をちょんちょんつついた。
「あなた信じてくれる? わたしのこと。わたしの話を」
「……はい。あんな不思議な力を見せられたら、信じてしまいます。母さんずっと嬉しくて泣いてた。本当にありがとうございます」
肩に担いだままミユズはペコリと頭を下げる。
「ああ、そう……人には、親切にするもんよ」
照れくさそうにグラノアは言う。
ミユズはうなずいてまた答える。
「それに、あなたの声も聞こえていた気がします。力を貸してって」
「……虫の知らせ、みたいな?」
「そう……風が教えてくれるんです。あなたは正直な女性だと」
「かぜ?」
「会って思いました。あなたに吹く風。あなたが纏う風。言葉だけじゃなくて、何かこう滲み出るものというか」
「はは。面白い表現するのね。〝感じる〟みたいなこと?」
「そ、そう。そういうこと」
「それがあなたの〝力〟なのね。じゃあ……待って、わたしも感じるわ。あなたには、うーん……静けさがあるわね」
「ぼくは……おとなしい奴。物静かで話もつまらないって、よく言われます」
「うん。でも嵐の前の静けさかしら。わたしという嵐が現れる前の」
「あ、それはたしかに」
少し笑った後、グラノアはまた語って聞かせる。
「械奇族とは報われなかった亡者。虐げられ、見放され、捨てられ、潰され、埋められた敗残者。死にきれなかった細胞の変異体。それぞれに理由は違うけど隠れて生き延びてきた我々はいつか同じ目的を果たそうとする」
「目的?」
「鬼退治のことよ。自分に逆らう者、不浄と見なした者を殺し、ヒトも我々も支配しようとした悪鬼ダミアンを捜して倒すの。あなたにはその力がある」
「力……って」
「まぁ、まだ深い眠りに入ってそうだけど。あ。このベルトをして。工作大好きなわたしが作ったのよ」
と、グラノアはしゅるりとミユズの腰に手を回した。
「な、なんですかコレ」
装着されたのはかわいい髑髏のようなバックルの、金属のベルト。
「どお? お守りよ」
「ええ?」
「潜在能力を引き出すアイテム。自分で着けてもよかったのだけれど、あなたの方がより似合うわ。そのうち役立つ時が来る」
変な趣味だと首をひねるミユズ。
少し間を置いてグラノアは訊ねた。
「ところで、ひと月ほど前に出て行かれたお父さま……お名前は何ていうの?」
「アモンです」
* * *
今から二十年ほど前、アモンは金属産業の町に住んでいた。
集団就職、出稼ぎ、生活苦のため、一攫千金を狙って、若者が目指す町……ストームアックス。
銀色にひしめく針金工場で真面目に働き、稼いだ金を親元へ送り、アモンはしたたかに暮らした。
本当の目的をひた隠しに。
「九番地のゴーストタウンへ行けば〝不死身の血〟を得られる」
霧に包まれた裏街道の情報屋はそう言った。
アモンは生まれつき身体が弱かった。
年齢を重ね、喘息の発作は起きにくくなったが、老いてゆく親を思うと丈夫で頑強な体が欲しかった。
働いて働いてこのおれが親父お袋を食わせなければと。
十歳のころ港町の闇市で聞いた話を信じ、胸に秘めたまま彼はここを訪ねてきた。
雑居ビル群のはずれ、縦横に蔦の這う石造の建物の中に入ってゆくアモン。
目を凝らし、恐る恐る暗闇の廊下を行く。
しかしそこに散らばるものが人骨だと気づいた時、何者かがアモンの足首をみしりと掴んでいた。
「ひ、ひぃっ!」
「……う、うぅ……だ、だれだ、、だれか、たすけてくれぇ……」
うつ伏せのその男は呻くように言った。
「あんたも……まさか、不死身の血を」
アモンはガタガタ震えながら「そうだ」と答えた。
「や、やめとけ。きっとおれみたいになる。ここの……死骸になるだけだ」
突如襲い来る落雷。
轟音とともに屋根から入り込んだ光が彼らを捜す。
身の危険を感じ、見捨ていいのかと胸を痛めたアモンはその腫れ上がった男の腕を肩に担ぎ、無我夢中でそこから脱出した。
川のほとりまで引きずっていった。
男はもういいと言ったがアモンは必死だった。
草むらに潜り込み、二人は体を横たえた。
高い位置の街灯がほのかに照らす、男の醜い容姿。
禿げた頭には血管が脈打ち、片目は潰れている。
だがもう片方は元のものであろう穏やかな目を残していた。
潰れた声で男は訊いた。
「……おまえ、どこから来た。この土地のもんじゃねえだろ?」
「アシュリ。南の方だ」」
「ああ、そこなら知ってる。景色のいいとこだ。おれは北から。名前は? おれはブラン」
「アモンだ」
「そうか。……おれは、どうせ死ぬんなら試してみたいって思ったんだ。不死身の血の言い伝えは本当なのかを」
「……(どうせ死ぬ)って」
「おれは腸の癌で治療は手遅れだと言われた。ならばいっそのこと、ずっと気になってたガキの頃に聞いたことを確かめにきたわけ。アホらしい話だろ。だがな、おれはこれでも必死だったんだ」
「それは……生きたいからだろ?」
「……ああ。生きたいさ。生まれつき貧乏、親にも友にも恵まれない、見てくれも悪けりゃ何の取り柄もない。医者にあとはおまえただ死ぬだけだよと言われてああそうですかとうなずいても……最後の最後にゃな、やっぱり、こんなおれでも、生きたいって思うもんさ」
そう言ったあと、ブランは血を吐きみるみる痩せ細る。
アモンの手を握ったまま、やがて彼は息絶えた。
そしてアモンの意識はそのまま遠のいてゆく――。
日の光が射し、気がつくとアモンはアシュリの駅をうろついていた。
どうやってここまで帰って来たかを思い出せないまま家路を急ぐ。胸騒ぎがした。
家に戻ると、庭の枇杷の木の下で茫然と立ち尽くしたまま母親が泣いていた。
父親が首を吊ったという。借金取りに追い詰められて。
アモンはガクリと膝をつき、頭を抱えて嗚咽した。
「アモン。父ちゃんは絶対黙ってろって言ってたけど……昔あんたの病院や薬代でかなりのお金を借りてきてね。そう。あんただけが誇りなんだよ。父ちゃんと母ちゃんの誇りさ。よく、帰ってきてくれたね」
そう話した母親が、今度はバセドウ病を患う。
アモンは街と高原を行き来し昼夜働いて三年休むことなくお金を稼いだ。
幼馴染の気立てのいいイゼルが支えてくれた。
二人は結婚し、助け合いながら衰弱する母親の最期を看取った……。
* * *
ミユズとグラノアがたどり着いた時、クルヴ岳が噴火し、地が揺れた。
さらに遠くの荒野、地平線から走るドライ・ライトニング。
眩い光と轟音が森と崖を襲う。
やがてはずれの民家に火の手が上がり、ミユズたちは立ちすくんだ。
めらめらと燃えるそれはミユズの住居。
「ああああーーっ!!」
叫んで飛び込もうとするミユズの手をグラノアが繋ぎとめる。
降灰の中をパラパラと火の粉が散った。
目を凝らすと、炎の中に紫の人影がゆらりと立ち上がる……。