3. 記憶のページ
男たちは金塊を掘り当てるために黄金の都市アルムズ・タウンを目指す。
寝る間も惜しんで坑道で働き削岩機を操っている。
鉱山の監督は、自分の後継には彼の娘グラノアをと望んでいたが、彼女にはなんの興味もない。
彼女が欲しいのはある日覚醒した〝血〟の導きだった。
ある夜、十八歳のグラノアは女友達に呼ばれて行った裏街の酒場で男たちに囲まれた。
警護が堅い監督の目を盗み、汗と股間を臭わせた男たち三人は彼女をテーブルに押さえつけた。
泣き叫ぶグラノアの口から突如、眩い光が放たれる。
焼けつく天井、壁、酒樽。
さらに鋭く伸びた手の爪が弧を描き、三人は刻まれ、首が床に転がった。
血飛沫を浴びて微笑むグラノアを見て、辺りは恐怖に慄いた。
それから幾日も、グラノアは部屋に篭った。
幾日経ってもその夜のことは鮮明で、胸を熱く締めつける。
――自分は周りとは違う。
血塗られた記憶が押し寄せてくる。
嵐の夜にすがりついた思いも。
密かに外に出て、また帰ってきたグラノア。
――わたしは何者か。
鏡に向かって口をあんぐり。どれだけ顔をしかめても、歯を食いしばったりアカンベーしたりしても、爪を立てて猫真似してみても……答えは出ません。
グラノアはつまんなくなった。
そして取り憑かれたように装飾品製作に没頭する。トンテンカン。
あの現場は男たちの乱痴気騒ぎ、光線銃の暴発による事故だと処理された。
父親が裏で殺し屋を雇い、グラノアを騙した女友達と秘密を知った者を永遠に黙らせた。
「おまえはおれの大事なかわいいひとり娘だ。おれが一生守ってやる」
「役所に行って謄本調べたんだけど。パパ」
「……え? な、なんでだ?」
「わたし。どうやら拾われたのね」
「グラノア!」
「……いいの。優しくしてくれたもの。傷つけまいと。でしょ? ありがと」
「……い、いつか、このことは話せる日が来るかと……せめておまえが二十歳になった時にでも」
「大丈夫。そんなに泣いたりしないで。ほら、わたしは泣いてないでしょう? そんな厳ついパパに涙は似合わないし、みっともないわ。こんなに清く美しく、生意気にお喋りできるようにわたしを育ててくれたパパに、ほんとに感謝してるんだから」
「グラノア……。おまえは、何か特別だとわかっていたが……おまえはおれのすべてだ」
「……わたしも。今まで大きくなれたのも、パパのおかげよ」
ママはおまえを産んで病気で亡くなったと聞かされていたが、それも嘘だった。
監督は一人、グラノアを育てた。
風と稲光で荒れる夜、未開の金鉱で光に包まれた赤ん坊が泣いていた。
抱き上げると腹を空かした赤ん坊の彼女が彼の指をしゃぶった。硬くささくれた彼の指を。
かつて罪を犯し、生涯孤独を決め込んだ彼を頼るものがいる。
――おれがいないと今死んでしまう、この子は……。そう受けとめた。
嘘でもいい、誰か、おれに話しかけてくれ、囁いてくれ、そう心で叫んでいたこれまでが一変した瞬間。
『わたしの名前はグラノア。誰か助けて』
そう夢の中で呼ぶこの子のために生きようと、しっかり生きようと若き監督は前へ踏み出した。
「……平気よパパ。わたしは悲しんでなんかない。悲劇のヒロインなんてごめんよ」
「そ……そうか……じゃ、じゃあ、食事に行こう。なにか、うん、なんでもいい、おまえの好きなものをたくさん、食べに連れて行くよ」
「だ、大丈夫。いつもごちそうだから。それよりわたし。旅に出たいの」
「え? 旅?」
「そう。記憶をたどる旅に」
* * *
そして新しい服を着たグラノアが駅のプラットホームに立つ。
乾いた風を頬に、切符とスーツケースを手にして列車に乗り込んだ。
乗客がひしめく中、顔をしかめて空いた席を探していると端の方でニット帽を被った老婆が手招きした。
バッグを除けこちらへどうぞと彼女の隣りのシートを撫でている。
薄汚れた指ぬきの手袋、襟巻きに厚手のジャケット。
頬に深いしわを寄せ黄色い歯を見せてニッコリ笑う。
それでもどこか気品を漂わせるのはピンと張った背筋と両腿を揃えた座り方。
灰色の編んだ髪が両肩へと申し訳なさげに垂れていて、グラノアはその老婆をかわいいと思った。
帽子を脱いでお礼を言って座ると「育ちがいいのね」と老婆は言った。
向かいの席にはフードを被った男女が手を繋いで座っている。
体格のいい男と口をマスクで覆った女――目鼻立ちから異国の女性らしい。
二人はグラノアに軽く会釈し、また少し顔を伏せた。
隣りの老婆が話しかける。
「あたしの名前はカシュナ。仕事探しの旅をしてるの」
「グラノアです。わたしはアシュリの土地へ」
「綺麗なとこよね? ……もしかして恋人に会いに? もしそうなら、いいわねぇ〜」
「いえいえ。……仕事です。遊びではなくて」
「そうなの」
カシュナはニコリと、それ以上は詮索しない。
うんうんとひとりうなずきながら窓の外に目をやり、発車を待った。
走り出してしばらく経ってからカシュナは煙草に火を点けた。
窓からの風に流す煙は父のものより高級で、いい香りだとグラノアは思った。
景色を見ながらカシュナは呟く。
「……でもあたしゃあ今じゃ、旅のために仕事をしてるのかもね」
グラノアは訊ねる。
「え? 旅をするため?」
「そうそう。こうやってガタゴト揺られながら定住しないで自由に行きたいとこへ行って。何にも縛られずに」
「自由に……かぁ」
「家はね。あったんだよ。帰るところはね。戦争に狩り出された旦那を待つ家があった。でも還ってこなかったんだよあの人は。あたし一人じゃ土地代も払えなくてね。あの時は頼る人もいなかった……」
ふうっと深く息を吐く。
「でも人には親切にするもんさ。二年前だったか、ある日あたしゃ川のほとりで倒れてる男を介抱してやった。あたしもひもじかったが息も絶え絶えそういうもんを見捨てることはできないだろう? 男は川を泳いで溺れかけて力尽きていた。どこからか逃げてきた様子でね。 ……それからその人はよくなって、しばらくしてお礼に来た。『やっと見つけた。今日からダンボール小屋はやめないか』と。男はどこぞの富豪だった」
客室の扉が開いて車掌が検札に来るのに目を細めるカシュナ。煙草をもみ消し話を続ける。
「彼は『わたしと住まないか』とまで言ってきた。憐れみではないと言ったけど……。うん、でもとにかくあたしにも仲間がいたんでね。こうなってからずっと連れ添った流浪の仲間たちが。だから丁重にことわったよ。それでも彼は『とにかくお礼がしたい。欲しいものはないですか? 困ったことがあったら何でもいつでも言ってください』って。あたしゃ、じゃぁとりあえず煙草一本くださいなと頼んだんだ」
カマキリのような怪しい目つきの車掌が徐々に彼女らの席に近づいてくる。
車掌はグラノアを見てカシュナを確かめ、次に向かいのフードの男女の顔を、腰を屈めて覗き込んだ。カシュナは言った。
「車掌さん。あたしの家族さ。そんなふうに見ないでおくれよ」
「あんたどんだけ家族がおるんや。とりあえずみんな切符見せてみぃ」
四人の確認をとると車掌はまたフードの男女を見て言った。
「入国許可証も見せてほしいもんだな」
カシュナが返す。
「あんたにそんな権限ないだろう。ま、まぁそれよかさ、いつものお裾分けさ。さあどうぞ」
と、彼女はバッグから小さな紙袋を取り出した。
それを受け取った車掌は中を確かめるとにんまり笑い、うなずいた。
「わかったよ。ありがとなレディ・カシュナ。……で、お隣りのお嬢さんは? なかなかの別嬪さんやなあ」
カシュナは車掌を睨みつけた。その目は鋭く彼をえぐる。
「この子はあたしの親友。ブラジ家のご息女だよ」
すると車掌は苦笑いを浮かべ、ずれた帽子を被り直した。
そして紙袋をポケットに押し込み、次へ立ち去った。
グラノアは小声でカシュナに訊いた。
「なんのこと? ブラジ家って」
「だから富豪の旦那さんさ。あたしが助けた人」
「……あの紙袋の中身は?」
「ちょいと強めの煙草。ブラジさんからもらったもの。あれをやる代わりにウチらの事を見逃してもらってる……」
ブラジ家に背けばいいことはない、というカシュナの説明だった。
困ったことがあったらと言われ、頼んだのは煙草と彼女の仲間たちの手助け。
家を失くした者、職にありつけない乞食、頼る友も知り合いもいない寂しき浮浪者、食いものを探しうろつく貧しき者、線路づたいに歩く無銭放浪者、密入国者……。
ほんのひと握りでも救えたらと、彼女は訥々と語り窓の向こうを見つめた。
果樹園で桃を摘んだり、砂糖大根を掘ったりして働いて稼ぐのだという。
根無し草の仲間たちと家畜のように納屋に寝泊まりすることもあると。
生きるすべはあたしが教えてあげるよと言うカシュナがたくましく、どこか羨ましかった。
「ただね……そんなあたしの大事な仲間を襲う輩がいるのさ」
グラノアは訊く。
「襲うって?」
「ただ殺すために殺す奴らがいる。汚いから臭いからと面白がってね。あたしゃいつか、この旅の最後に、そいつらを突きとめるんだ」
長い時間カシュナと過ごして、「気をつけて」と握手をして、やがて別れた。
……そういったここに来るまでの話を、グラノアはミユズに語った。
雑貨屋の裏庭のテラスで。
イゼルが紅茶をのせたトレイを運んでくる。
涙目のイゼルはそれをこぼしそうになった。
ミユズは初めグラノアに脅威さえ感じたが、それは身構えた極度の緊張ゆえだろう、彼女には優しい風が吹いている。そう思った。
華やかで慰めに満ちたグラノアの風。
「グラノアさん、ほんとにありがとう。治療費を……」
イゼルがバッグから財布を。
しかしグラノアはぐぃっと引っ込めさせる。
「だめよお母さまお金なんて。……そう。ちょっとだけお仕事をミユズくんに手伝ってもらえたら、それだけで」
と言ってグラノアはにっこり笑ってミユズの手を引き寄せた。
……ミユズは母イゼルをそっと抱きしめた。
その手にキスをし、「行ってくる」と言って立ち上がった。