2. 謎の女グラノア
夏の終わり、雑貨屋ココに一人の女が訪れた。
金属の飾りのついた鍔の広い帽子に生成りのブラウス、鋲をあしらった黒いレザーのコルセット、紫色のスカートと曲線の白いブーツが異国の匂いを漂わす。
アンティークな椅子を指差すと、彼女はレジカウンターで陶器を磨いているミユズに「座っていいか」と訊いてきた。
「どうぞ。気に入っていただけたら」
彼女はすました顔で彼を見ながらスーツケースを床に置き、椅子に座った。
肘当てに立てた手の細い指先が彼を差す。
長い脚を組む妖艶な仕草。
目を奪われ、ミユズは顔を赤らめる。
「いい感触」
「え?」
「椅子よ。お尻がいい気持ち」
「あ、ああ。それはよかったです」
「一人? ここにいるのは」
「……いえ。もう一人、ぼくの母ですが、奥の方で休んでます」
彼女の目線はしばらくレジの奥へ。
「……いいわ。あなた。お名前は?」
「……ミユズです」
「わたしはグラノア。アルムズ・タウンから来たの。よろしく」
千キロ離れた黄金の都市から、彼女はやって来たという。
緑色の前髪から覗く大きな赤い瞳に、ミユズは惹きつけられた。
狭く質素な店内の空気が怪しく澱んだ。
危険な風が囁いた。一歩、ミユズは下がってしまう。
「……力を貸して。ミユズ。わたしと行きましょう」
「……え?」
「あなた、そうしたいんでしょう?」
立ち上がって前へ、詰め寄るグラノア。
ミユズの手を握って言う。
「ここを出たくて出たくてたまらない。このシケた田舎町を出て行きたくてたまらない。ああ、誰かぼくを救い出してくれ! って。……顔にそう書いてあるわ」
「な、何だっていうんですか、気持ちの悪い」
「あら、失礼ね。こんな美女を前に」
「お客さん、いったい何しに来られたんですか。もし椅子がお気に召さないようでしたら」
「匂いにひかれてきたの」
「え?」
「あなた〝カイキゾク〟でしょ?」
両腕を掴まれ、ミユズは身動きできなかった。
首を傾げた彼女が次に口にした言葉はさらにミユズを困惑させる。
「いっしょに鬼退治に行くの」
何もかも見透かすような目でグラノアは微笑む。
ミユズは肩を震わせ大きく息を吐いて返した。
「何なんですか、あ……あなたは、いったい」
「あなたと同族。わたしは蘇る記憶をたどってここへ来た。わたしたち一族は墓場の使者。情念が変異した械奇細胞で生き還った。そう、見えない力があなたを導くよう命じている。悪鬼を倒すようにと。どうやらあなたにはその力がある」
「悪鬼?」
「この世界を滅ぼそうとした悪の権化〝ダミアン〟を倒せと」
ミユズは閉口した。
不可解なことをペラペラとまくし立てた彼女。
「あらやだミユズ。あなたまさか自分が械奇族だと気づいてないのね?」
同族だと言う謎の女グラノアは平然と立ち、窓の方に向かい、外を眺めた。
「まあとにかく、もっとお話しましょうミユズ。わたしもいろいろ思い出しながら、もっと時間を置いて頭の中を整理しないと。こんなとこじゃなくて開放感のある喫茶店かどこかで」
「……い、いや。そんな、で、できません、今は、仕事中です」
するとそこで店の奥からイゼルが姿を見せる。
「……あらあら、お客さんかい?」と、暗がりからゆっくり杖をつきながら。
グラノアは帽子をとり、頭を下げて淑やかに挨拶した。
その上品な仕草にイゼルはすぐに気を良くした。
「まああ。かわいらしいお嬢さん。お人形さんみたい」
イゼルはミユズの顔を見てうなずく。
グラノアも気を良くして声を弾ませた。
「オホホ。お母さまこそ素敵ですわ。お声に艶があって魅力的」
と、グラノアはイゼルを見つめ、だしぬけに鼻をクンクンさせた。
「え? なにかにおう?」
「違うの。……お母さまちょっと、この椅子に腰掛けて。あ、そうそう、座り心地とてもよかったわコレ。さ、ゆっくり、気をつけて」
しゃきしゃきと話を進めるグラノアに促され、イゼルは照れながら腰を下ろした。
グラノアはその左膝をまじまじと見てもう一度嗅いだ後、そっと右手をかざした。
「きっとよくなるわ。お母さま」
「え?」
グラノアは静かに唱えた。
「……この道は真っ直ぐ、天国へと繋がっている。時空を超えた門よ、開け。その血は悲しみに蝕まれている。来たれ、偉大なる我らが主よ。じっと手を合わす子を救い給え。わたしたちは今日もたらされた慈悲について話し、これまでの負の轍を悼み、贖いの時を待ち、この魂に寄り添おう……」
閃く光。
イゼルもミユズも顔を手で覆った。
――シュウゥゥゥ……!――
「……はっ、……痛みが……」
震えるイゼルの手をグラノアは握り、立たせた。
杖がなくても、立てている。そして歩くことも。
「え、どうして……?」
「変なにおいのする悪い血を、取り除いたの。械奇療術で」
そう言ってグラノアは手のひらをひと吹きし、ミユズにも振り向いて微笑んだ。
* * *
その頃ミユズの父親アモンは砂埃の西部を行く。
『ロカボロ』という名の老人を捜して。
導く亡霊は「ロカボロは国境近くを訪れ、雷の塔の男をスカウトした」と告げた。
風が澱んでいる。
粉塵に悪魔が浮かび上がる。
神を味方につけるには、信仰を貫かなければならない。
しかしそのために愛する者を殺すことはできない。
どれだけ町をうろついてもロカボロは見つからなかった。
「東の街にいる」とある者は告げる。
その途方もない旅には生き残りが懸かっている。
生き延びるためにアモンはまた列車に乗り、次を目指した。