1. 風に答えを
不死を求めてさまよう男たち。
有刺鉄線を越え、重力貨物列車に飛び乗る。
夢と野望が薄皮一枚で地表に貼り付いている。
砂塵を縫って亡霊が行く。そこは新たな文明世界……。
* * *
クルヴ連山を望む風光明媚なアシュリの地で、ミユズは育った。
郵便配達の父親と、雑貨屋に勤める母親のもとで。
しあわせは長く続いたが、母親は今、口を開いてはミユズに言う。
「あたしは信じてるよ。なにか理由があるのさ。あの人は必ず帰ってくる」
およそ半年ほど前、父親は突然「旅に出る」と言ったその次の日から行方知れずになった。
田畑を耕し、茶葉を摘み、鶏を捌く。
千の石段を下り、町で米や塩を買ってまた千の石段を上る。
かつて王の馬が飼われたというその高原を誇りに、アシュリの人々はそこで生まれそこで死んでゆく。
貧しさに耐え、我慢して辛抱して当たり前に土に還る。
天に声も想いも届かぬまま、口は閉ざされる。
〝生〟とはなんと儚いものだろう。
いつしかミユズは風に答えを求めた。
ーー熱い思いがゆらめいてる。
ぼくは誰なのか。
何のために生まれてきたのか。
どこからがぼくでどこまでがぼくなのか。
打ち寄せる声はどこへいざなうのか。
なすべきことはこの身体が知っているのか。
絶える日に、ぼくは何を思うのだろうか。
ぼくを呼ぶのは誰だろう……。
ミユズの手のひらに渦巻く風。
風は小さな竜巻となり、意思を持つように曲がりくねって彼の頬をなだめるが、握りしめても答えはくれない。
(・・カミハテンニイマシ・・
・・キミミヨ、ソウガンノイロ。カタラザレバ・・
・・トモヨ、コタエハカゼニ・・)
言の葉は虚しく宙に舞い、やがて消えてなくなった。
それから幾日もミユズは丘の上に佇み、夕陽の赤に心を焦がした。
* * *
仕事を終え、汗にまみれた顔を拭うと青い瞳が輝く。
十八歳のミユズは父親の帰りを信じて待っていた。
水色になびく髪を掻き上げ遠くの空を見つめる。
以前緑の丘の上で父と話したことを思い出す。
「おまえに何ができるミユズ。おとなしくおれのあとを継げばいいんだ」
「……子供の頃はね。ずっと父さんみたいな郵便配達員になりたいって思ってた。でもその前にぼくも外の世界を見てみたくなった。父さんが昔、都市の工場で働いたように」
「今でも子供のくせしやがって。何が不満だ? おれも母さんも働いて働いておまえを食わせ、学校にもちゃんと行かせてるだろう」
「わかってる。二人のおかげさ。でも……ぼくもいろいろ経験してみたいんだ」
「……ああ、何の仕事でもかまわんさ。人様の役に立つならな。しかしここを出てゆくことだけは許さん」
「どうしてだよ。父さんだって若い頃は憧れがあったはずだよ」
「違う。あれは……生活のため、仕方なかった。だがおれのせいで……親父お袋を失くした。おれがそばにいたら、なんとかできたかもしれない」
「……だから行くなって言うの?」
「……そうだ」
「そんな……(おまえが出ていけばおれは死ぬぞ)とでも言うつもり? 父さんのために、ぼくはここにいなきゃいけないの?」
「それは……」
「ぼくはただ、ここで、この地で一生を終えたくない」
「……」
自分の昔を思い出し、父親は押し黙る。
正しく従いながらもいつからかずっと遠くを見つめていた息子。
しかし、止めなくてはならない。危険に晒してはいけないと、父親はミユズの良心に問いかけた。
「じゃあ、母さんに何て言う。きっと寂しがる」
訊く父親にミユズはうつむいた。
「おまえは優しすぎる。外の輩はつらくあたるぞ。欺き騙すのが世の中だ。夢見る気持ちもわかるが、この土地で育ったおまえには水も空気も何もかもあわない。体調のこともある。おまえは十五の頃大病を患った。あれから元気になって自信もついたのだろうが、やはり無理はさせられん」
* * *
千の石段を下りたところの港町の雑貨屋でミユズは働いている。
今で約三ヶ月ほど、足が悪くなった母親に添うかたちで。
売れた食器や家具を納め、古びたものを車に乗せ、回収場まで運ぶ。
小さな店で健気に働く若者は町でも評判になっていた。
店主の叔母様は気のいい不動産屋で、趣味の店としての雑貨屋をほとんど最初からミユズの母親イゼルに任せていた。
イゼルはここにしばらく住み込みで病院に通いながら店番を続けている。
先日ミユズは店の棚の食器を倒して割ってしまい、今日は配達先を間違った。
考え事悩み事を抱えているのはイゼルもわかっていて、しばらく休んではどうかとその日息子に話しかけた。
「大丈夫だよ母さん。たまたま続いただけで」
「でもなんだかさ、声にも元気がないじゃない」
「そんなことないよ。次は気をつけるから。……だから重いのはぼくが運ぶって。杖置いて、座っててよ」
「あたしも少しでも動かなきゃこのままダメになっちゃうし。ねえ、あんた……本当はここを出たいんじゃないのかい?」
じっと見つめるイゼル。ミユズは頭を掻いて苦笑い。
「え? そ、そんなことないよ。ぼくは……母さんのそばにいなきゃ。それに父さんのこともあるでしょ」
「うん。あの人はね。根っこが真面目だから、大丈夫だよ。あたしたちのことは忘れてないよ。あんた、前に父さんに話したんだろ。都会へ行ってみたいって」
「……うん」
「あんたが本当に、本心からそう思うんだったら、一度行ってみるのもいいさ。ちゃんとした目的があればね。母さんは……あんたを縛りたくはないよ。特にこの足のことでね」
イゼルは左膝をさすって微笑む。
ミユズは見つめてぼそりと言う。
「母さん……。でも生活と……治療費が」
「いずれアシュリの土地と家は売るよ。ココねえさんがこの建物を増築するからずっと住んでもいいって。遠い親戚だからね。あたしは恵まれてる。だからお金の心配はいらないよ。……父さんの帰るとこなんて気にしない気にしない。あの人はどこでも野宿できるタフな男だからね。あんたも今じゃ体力戻って、やりたいこともできたんだろう?」
「それは……。ぼくは。そう、一度父さんに話してからまた考えたけど、あれこれ思いを巡らせても、やっぱりぼくは父さんの背中しか知らない。父さんが若い頃に都市の工場で働いたって話を聞いて、そのことに憧れがあった。でも、話して落ち着いたよ。今はここにいることが一番しあわせって思う」
「……ふーん。でもそれじゃあんたもいつか突然旅に出ちゃったりしない? 父さんは多分なにか心残りがあって出ていったと思うの。悔いがあるのよきっと」
「そう……なのかな」
「うん……。とにかく、いつでもいいよ。思うんだったら行っておいで。父さん待つのもあんた待つのもいっしょ。平気さ。心配ばっかりしてても、あんたが萎縮してしまう。それはよくない。気の済むまで外の世界を知ったら、あとはこの地でずっと暮らす気になるだろう? あたしはそう思うよ」
「……母さん」
「実はね。あたしも親に縛られてこの田舎を出られなかった。だから同じようにあんたを縛りたくないのさ」
そう笑顔で肩をさする母親だったが、ミユズは何も言えなかった。
* * *
眠れぬ夜、戸口から風が囁いた。
(・・チカラヲカシテ。ミユズ・・)