5.朝食
セルヴィに背を拭かれ、薬をしみこませた湿布を貼って包帯をまかれて。そのころには、レイナとセルヴィはすっかり打ち解けていた。まるでほんとうの姉弟かのようだった。
「まあ……じゃあ、この薬草はこのお屋敷で育ってるの?」
「うん、ぼくが育ててるんです」
誇らしげに言って、セルヴィはほほ笑んだ。
「レンも庭に来る? ほかにもたくさんお花を植えてるんです。ちょうどこれから、ぼくも行く予定だったし」
その提案に、レイナは戸惑った。
「私……外に出てもいいの?」
昨日の“あの人”の様子だと、自由はなんでも束縛されそうな感じがしたのだ。ただ、血を作る器としてだけ存在することを許す、と言われた気分だった。人間らしさは必要ない、と……。
ところがセルヴィは子リスのように首をかしげて、愛らしい笑顔で、もちろん! と答えたのだ。なんだか脱力してしまう。
そうこうしているうちにセルヴィは部屋の一角を陣取る大きなクローゼットからローブを取り出して、小さな体を目いっぱい使ってそれを広げた。
「女性の着るもの、この屋敷にはなくて……夜着のままではなんですから」
確かに、冬はすっかり去ったといっても春先はまだ冷える。お言葉に甘えることにして、レイナはその毛皮のローブを羽織った。やはり、これもまた高級な品のようだ。さらにセルヴィはベッドの下から、これはもともとレイナが履いていた短いブーツを引っ張り出して履かせてくれた。自分のものなので、なんだか落ち着く。
それじゃあ、と言って歩き出したセルヴィについて、レイナは初めて部屋を出た。昨晩のぞいた廊下は、今は日の光で明るく、不気味な感じはまったくしなかった。古い屋敷はどれほど入り組んでいるのかと構えていたのだが、レイナの部屋から予想以上に早く、簡単に、玄関ホールにたどりついた。
「薬草を摘んだら、ここで朝食にします」
そう説明されて入った部屋は広い食堂で、大きなパーティでも不自由しない立派な長テーブルに同じあつらえの椅子が並んでいた。そこからつながっている厨房を通りすぎ――底の深い鍋が火にかけられコトコトといい匂いを漂わせていた――小さな勝手口を抜ければ、そこは、緑が広がるきれいな庭だった。
「わあ……!」
思わず感嘆の声をもらした。
緩やかな、小さな丘の向こうには森が続いている。地を覆う草は心地よく、野うさぎが飛び回っていた。新芽が明るくみずみずしい。大きく深呼吸すると、ひんやりとした空気が胸を満たした。
「こんなに気持ちのいい朝なんて、久しぶり。うさぎと一緒に走り回りたいけど……まだ、無理ね」
「今走ったら、かさぶたが割れてひどいことになると思います」
ちょっと顔をしかめたセルヴィを見て、レイナはくすくす笑った。
「私も痛いのはお断り。さあ、早くセルヴィの自慢の花壇を見せて?」
その言葉に、セルヴィの笑顔が咲く。
「うん、こっちだよ!」
嬉しそうにレイナの手を取り、走りだしそうになるのを抑えながら歩くセルヴィは、レイナの気持ちを明るくしてくれた。かつての生活に戻ってきたかのように、穏やかだった。
庭の一角に赤茶のレンガで囲われた花壇があり、そこには色とりどりの花たちが植えられていた。その隣に、薬草専用の花壇もある。花々も見事なものだったが、レイナは、薬草の種類の多さにびっくりした。
「これが今使ってる、傷に効く薬草です。それと、今日はそっちの貧血にいい薬草を摘みに来たんです。そのままでも食べられるんですよ」
セルヴィは指差した丸い葉っぱを一枚とると、レイナに手渡した。それを口に含んで、レイナは顔をしかめる。
「すごく苦いのね……」
「そのへんは、僕の腕で食べやすくしてみせます。料理には自信ありです」
そう言って、腕をまくってみせるセルヴィ。レイナは楽しみにしてる、と言ったが、ふと不安になった。ご飯も食べさせてくれるようだけど、魔族がいったいどんなものを食べるのか知らなかった。人間と同じなのだろうか? 先ほど通り過ぎた厨房の鍋はいい匂いを漂わせていたけど……。
考え込んでいると、セルヴィに服をひっぱられた。薬草を摘み終わったようだ。
「さ、もうそろそろ行かないと。主が起きだす時間です」
その言葉に、嫌な予感が胸をよぎる。
まさか、一緒に食事をする、なんて、ないよね……?
レイナの不安は的中していた。食堂に入ると、不機嫌そうな青年。セルヴィがひいた椅子は彼の向かって右、九十度の席だった。しぶしぶ座ると、視界の端に入る黒い姿が意外に近い。明るいからか、昨夜ほどの恐怖はないものの、まったく感じないわけではない。
首筋にあいた小さな二つの穴の感覚を思い出してレイナの背はあわだった。そのとき、レイナの横から細い腕がすっと伸びてきて、皿にきれいに盛られた湯気立つスープが置かれた。細かくちぎって乗せてあるのは、どうやら先ほどの薬草らしい。
「長らく何も召し上がってないのでスープにしましたが、パンもお持ちしますか?」
レイナは首を振った。
「ううん、あんまり食欲はないから、十分よ」
言いつつ、右手にいる青年の前を見やる。本来なら、この家の主人である彼のもとへ、先に食事を出すべきではないのか。レイナにはセルヴィは忠実すぎるほど忠実に彼に仕えているように見えたから、この行動は不可解だ。
その視線に気付いたらしく、セルヴィは彼に声をかける。
「主はいりませんよね?」
それは尋ねるというよりも、確認であった。青年はあいかわらずのむすっとした様子で頷くだけだった。
「では、お茶だけお持ちします」
きっと、いつもこうなのだろう。そう言ってセルヴィが行ってしまうと、テーブルにはレイナと、青年と、湯気立つスープが残される。
お前は糧だと断言した人の前で、食事をとるというのは、何か意味のあることなのだろうか。レイナは逡巡して、恐る恐る視線を彼に向ける。すると、鋭い眼光に無言で促された。
仕方ない。
食前の祈りを言おうとして、すぐ隣にいる魔族の存在を思い出し、慌てて言葉を口でなく心でつぶやいた。それから銀のスプーンを手に、香りいいスープを口に運んだ。こくり、と喉が鳴る。滑り落ちるものが腹に落ち着き、じんわりと熱を持った。とても美味しかった。苦かったはずの薬草はただ不思議な香りを残すのみで、スープを上品に仕立てている。それでいて素朴、家庭の味、といったところか。
途端、なぜかとてつもなく複雑な感情があふれてきて、レイナはぐっと息をつめた。しかし間に合わなかったようだ。鼻の奥が震え、熱が今度は目にこみあげてくる。
泣くな、泣くな、涙を見せてはいけない。
そう思えば思うほど喉がひくついて、ついにレイナは両手に顔をうずめた。
「……なぜ泣く?」
低い声にびくりとする。寝起きのせいなのか、それはかすれていて、どこか人情味を帯びている気がした。
「申し訳ありません……」
レイナは一言謝り、頬に伝った涙を指でぬぐった。
「俺は理由を聞いている」
思わぬ反撃に一瞬ひるんだが、言葉はするりと出てきた。
「こんなにも温かい食事が、久しぶりで……懐かしくて」
つ、と顔を彼に向ける。
「お見苦しいところをお見せしました」
潤んだ目は仕方ないが、もう、流れる涙はなかった。不覚にもこんな無様な姿を見せたことが悔しく思われ、そんな自分に気付いたら涙もひっこんだ。そして今度は、彼の後ろでティーポットを手に驚きで固まっているセルヴィにやわらかい笑みを見せた。
「あなたの食事に泣かされてしまいましたわ。セルヴィ、本当に、自慢できる腕前よ」
その言葉に小さな魔族ははにかんで、ありがとうございます、と礼を言った。照れを隠すためか、慌ててティーポットからカップに紅茶を注いで主人の前に置き、そそくさと立ち去ろうした。その彼を、青年は止めた。
「セルヴィ、俺も、お前のスープをいただこう」
その言葉にさらに衝撃を受けたのか、セルヴィはあんぐりと口を開け動きを止めた。青年が眉をひそめるまで、セルヴィは固まっていたが、スープを持って戻ってきたセルヴィはとても嬉しそうに、レイナには見えた。
(この人が食事をとるのは、そんなに珍しいんだろうか……)
右手にいる青年にちらりと視線を送ると、彼はぼんやりとスープを口に運んでいた。その呆けた様子はなんとも人間らしく、この人って低血圧なのかな、などと当たり障りのないことを考える。
かすかな食器の音がするだけの、静寂な、奇妙な、あたたかい食事だった。
私的に、セルヴィはかわいすぎる。




