“鎹” 後編―王女さまの騎士
スカーレットはこれまで、人々がレイナという女性を素晴らしく褒め称えるのを嫌というほど聞いてきた。
5歳ながらに自分が周りに愛されているのはよく分かっていたし、国王と王妃の一人娘という自分の立場もよく理解しているつもりだ。これ以上を望むべくもないことだって、ちゃんと分かっているのだ。それなのに、いや、だからこそなのか、なんだか、レイナという人のことを素直に認められなかった。
“レイナ”のことを、誰になんと聞こうと、褒め言葉しか返ってこない。侍女たちはもちろん、優秀な父の臣下たちも皆そろって彼女を崇拝している。大好きな両親もすっかり心酔しているのだから、面白くない。レイナのことを語っているときの両親は、なんだか好きじゃなかった。
「王女殿下は、なんの花がお好きですか?」
そんな気に入らない女を囲んで、家族そろってお茶をしている今って、どんな苦行だろう。スカーレットはモヤモヤしたまま口を開いた。
「わたしは、薔薇が好きです」
「まあ、素敵! 王女殿下のような華やかな女性には、薔薇がとてもお似合いですもの」
屈託のない笑顔がなんだか居心地が悪い。スカーレットはついつい、皮肉を込めた返事をしてしまう。
「レイナ様は、モスフロックスがよく似合いそうね」
言葉に詰まるかと思いきや、レイナはまたもや嬉しそうに、そして心から感心して驚いていた。
「まあ、どうしてお分かりに? 私の好きな花は、まさにモスフロックスなの。嬉しいわ、似合いそうだなんて」
モスフロックス、別名シバザクラ。サクラのように木を彩るのではなく、花の形は似ていながら、地面を覆いつくすように広がっていく花だ。可憐ではあるが、地を這う姿から俗っぽいイメージのある花だった。だからこそ、スカーレットは皮肉として言ったのだが……
(ほんと、気にくわない!)
トゲトゲして辛く当っているのに、相手は気付いているのかいないのか。まるでスカーレットが、真剣を相手の無防備の背中に振りおろしているような気持ちになってきた。彼女はそうとうな天然なのか、それとも、すべて計算された上での反応なのか……。
疑うのもばからしくなってきた。
気まずさを隠すように、カップを持ち上げて紅茶を飲んだ。次にお茶菓子に手を伸ばした時、テーブルの反対側からの視線に、バチリとぶつかった。レイナの息子ローウェルだ。ヴァスカの膝の上に静かに座って、じっと、スカーレットを見ている。目から下はテーブルに隠れてよく見えない。レイナによく似た、ミントグリーンの目がガラスのようにきれいだ。
変な対抗意識を燃やして、スカーレットもじぃっと見つめ返す。その間に大人たちは別の会話を始めてしまって、なんだか二人だけ蚊帳の外だ。
(そういえば、この子のこと忘れてたわ)
それぐらい、ローウェルは静かだった。誰かの気を引いたりしないで、ただじっと、そこにいた。
しばらく二人で睨めっこをしていたら、何やらテーブルクロスに影が落ちた。びっくりして顔を上げると、ヴァスカがそっとスカーレットのほうに身を乗り出していたのだ。他の大人たちは会話に夢中で、こちらを見てもいない。
その整いすぎた顔がなんだか怖いような、なんというか、畏怖のようなものを感じて、スカーレットはごくりと唾を飲む。
「こいつ、あんたを気に入ったみたいだ」
内緒話をするような小さな声で、ヴァスカが言った。仮にも王女であるスカーレットは“あんた”なんて言われたのは初めてで、そっちに驚いてしまう。
「大人の話はつまらないだろう。こいつを連れて、遊びに行くと良い」
膝の上のローウェルの頭をぽんぽんと叩いている。ようやくいつもの勢いを取り戻して、スカーレットも言い返した。相手につられるように自然と小声だ。
「つまり、子守りをしてこいってこと?」
するとヴァスカはニヤリと不敵な笑みを見せ、スカーレットを大いに慄かせた。
「そういうことだ。だが、ここでひねくれた言葉遊びをするより、よっぽどらしいだろう?」
その時スカーレットは悟った。この男は、自分のレイナへの漠然とした不満を見抜いているのだ。そしてそれを面白がっている。本人に言うつもりはない、という風な、共犯者の笑み。
スカーレットは慌てて椅子から滑り降り、ローウェルの小さな手を取った。軽く引っ張ると、彼は素直に父親の膝から下りる。そしてくりくりの目で、不思議そうに見つめてくるのだ。
スカーレットは逃げるように東屋を後にした。まだ歩き慣れていない小さな男の子を引っ張って。
しばらく行って、薔薇の木の茂みに隠れたところでローウェルと向き合った。
「わたし、スカーレット。あなたは?」
「ローウェル」
案外はっきりした声だ。黙ってはいるが、ただ大人しいだけの子ではないみたい。新しいおもちゃを手に入れたようで、スカーレットは気を良くした。
「わたしはこの国の王女さまよ。あなたはわたしの騎士ね。あっちで遊ぼう」
「おじょさま……? きし、」
「そうよ、私が王女。あなたは、そのわたしを守る騎士! 強いのよ、男の子はみんな憧れるんだから。ね、文句ないでしょう? ほら、こっち!」
このお茶会の日以降、たびたび、二人の遊ぶ姿がよく王城で見られるようになった。いつでもスカーレットが先導して、物静かなローウェルは彼女のそばにいた。
そんな二人がどんな成長をしていくのか……それはまた、別のお話。
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「あら、子どもたちは?」
ふと、イデラが顔を上げた。それにヴァスカが平然と答える。
「二人で遊びに行きました」
「えっ、いつの間に? 大丈夫かしら二人で……ローウェル、大人しくしているとは思うんだけど……」
「まあまあまあ! これは本当に、そういう展開かしら? ねえ、あなた!」
「こらこら、あんまりプレッシャーをかけちゃいけないよ、イデラ。私たちが決めることじゃない。そうなれば嬉しいけどね」
「えっ、お二人とも、セルヴィが言ってたことまだ本気で考えてるんですか?!」
「ま、そうなればいいなあ、とはね。だってうちのかわいいスカーレットを、どこぞの馬の骨なんかにあげられないよ!」
「ジェフリー様、一国の王ともあろうお方が……」
「ヴァスカさんもいいでしょう? あの二人、お似合いだと思うのよねえ」
「……俺は、成り行きに任せます」
ちょっとヴァスカ、もうちょっと責任あること言いなさいよー! と、レイナに叩かれながら、ヴァスカは考えていた。確信に似た予感がしていた。
(彼女はきっと、お前の母親以上に手強いぞ……せいぜいがんばれ、ローウェル)
そっと微笑むヴァスカをレイナが不思議そうに見ていたその真相は、のちに明らかなこととなる。
スカーレットは、気が強くて天邪鬼なお姫様なのです。
ローウェルとスカーレットのお話は、また別作品としてちゃんと書きたいと思っています!