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終章――月夜に誓うは


 ――半年後。


 季節は春、森の奥の広大な敷地の庭には豊かな緑が広がり、野花があちこちで咲き、そこを野ウサギの親子が駆けまわっていた。

 やさしい風に吹かれながら、緑の丘を一対の男女がゆったりと歩いている。二人の手はしっかりとつながれていた。時折強く吹く風に、そっと二人の距離が近づく。

「寒くないのか、レイナ」

「ヴァスカったら、ほんとうに心配性ね。このストールがあれば十分よ。こんなに気持ちのいい日なんだから」

 確かに日差しはあたたかいが、レイナの涼しげな首元を見るたびにヴァスカは寒くないのか、とか、日に焼けて赤くなってしまうんじゃ、とか無性に心配になるのだ。そんな雑念があるせいかヴァスカの歩は少し遅く、レイナにちょっと引っ張られるように、ゆっくりと歩いている。

 途中、大きな石が転がっているのにふと気付くと、ヴァスカはレイナの手を取ったまま先に立ち、レイナは片手でスカートをつまむと、ぴょんと小さく石を飛び越え、ヴァスカの腕に飛び込んだ。ヴァスカは彼女をしっかりと抱きとめて、二人は楽しそうに声をあげて笑った。

 そうしてぶらぶらと散歩を続ける、穏やかな午後。ちらちらと庭の先を見やるレイナが、やがて、ぱっと顔を輝かせた。

「やっと来たわ」

 レイナが指差したのは、屋敷をぐるりと囲む森に新しく作られ、先日整備が完成した小道だ。今、そこを一人の青年が屋敷に向かって歩いてきていた。背には大きな荷物を背負っている。

 レイナは小走りで丘を下り、森の始まりに出来た門まで彼を迎えに行く。ヴァスカはその後ろをゆったりとついていった。

 すると青年もすぐに二人に気付き、笑顔でぱたぱたと走ってくる。

「レンっ!」

 青年は、まるで小さな子どものようにレイナに飛びついた。そんな彼をレイナはぎゅうっと強く抱きしめる。

「お帰りなさい」

 レイナが両頬にキスをすると青年はくすぐったそうに笑って、再びレイナにぎゅーっと抱きついた。それから自分も、彼女の額と頬と、順番にキスを返す。

 その時。

 ヴァスカが無言で二人をベリッと引き離した。そしてレイナをその背に隠すようにして、青年を睨みつける。青年はひょいと肩をすくめてため息をついた。

「こっわいなあ、まったく余裕がないんだから……。それじゃあレンを疑ってるみたいじゃないか! 僕は姉さん(・・・)を襲ったりなんかしないよ、ヴァスカ」

 ギロリとさらに強まった眼光に、青年はあっかんべーと舌を出した。そんなやり取りにレイナはため息を漏らす。それでもバチバチと火花を散らす二人。

「セルヴィ」

 見かねて声をかけると、青年――もといセルヴィはぱっと笑顔に戻る。金茶の髪、紫紺の瞳、子犬のような素直な性格も変わっていない。ただ、ヴァスカと同じ青年の体に戻ったことで背はぐっと高くなり、すっかり大人である。そんなセルヴィがレイナに懐いていることが心配なのか、この双子の兄弟はよくレイナを間に火花を散らすようになったのだ。

 レイナは次にヴァスカの腕を取り、優しく叩きながらいさめた。

「ヴァスカもよ。久しぶりに会ったんだから、喧嘩しないで」

「喧嘩はしてない。牽制はしているが」

 随分子どもっぽいことを言う。レイナは笑って、セルヴィに向き直った。背中を向けられ、ヴァスカはムッとする。

「毎回ありがとう、セルヴィ。歩いてきたの?」

「うん、せっかく出来た道を歩いてみたくってね」

「そう! 綺麗な石畳よね。さあ疲れたでしょう、お茶を出すから中に――きゃっ!」

 痺れを切らしたヴァスカが、彼女をひょいと抱き上げていた。

「ちょっと、ヴァスカ! 下ろしてっ」

 レイナは顔を真っ赤にしてヴァスカの胸を叩く。しかし彼はそんなものどこ吹く風で、得意げな一瞥をセルヴィによこすと、ずんずん屋敷に向かって歩いていく。そんな双子の兄の背中を眺めながら、セルヴィは苦笑をもらした。

「妬いてるの、ばればれだよ」

 レイナの抗議の声が風に乗ってくる。セルヴィはふっと笑顔をこぼして、二人を追いかけ丘を駆けあがった。




 半年前、秋。

 あの後、ゼデキアは王としてすべての問題解決のため采配を振るった。

 レイナの指名手配に関しては誤報だったとし、本当に王を狙っていたのは“人間界を乗っ取ろうと画策する魔族”だったとした。彼女は襲撃者ではなく、王を守るべく真犯人を倒そうとしていたのだが、それを王を狙ったと間違われたのだ、と。それによって、レイナは「罪を被ってまで王を助けようとした、〈誇り高き女神〉」などと言われるようになり、名誉は薄情にも一気に回復した。一度は貴族から名を抹消されたハーシェル侯爵家は、レイナとヴァスカが婚姻の契約を交わすことによって、その領地をヴァスカたちの屋敷がある場所に移し、王が責任を持って再興に力を貸すことになった。つまり、レイナとヴァスカはハーシェル家当主夫妻、侯爵と侯爵夫人という肩書きで安定した地位を得たのだ。

 ゼデキアが人間界に来て魔者を引き込んでいた空間の歪みは直され、僻地の村人たちも安心して外を出歩けるようになった。村々の再興の一つとして新しい地図を作るために測量隊を派遣させた先で、行方不明になっていたギルバードの遺体が発見された。気が狂い、崖から落ちたらしい。呆気ない死だった。彼を心配し探していた商人仲間たちが、彼の死を悼んで墓を立てた。

 ジェフリーは、今はまだ王子の立場だ。ゼデキアのやるべきことはまだ終わっていない。しかし、国民から絶大な人気を誇り、強さも優しさも持つ彼は、しかるべき時期が来た時には良い国王になるだろうと、誰もが信じている。

 セルヴィは、事件の直後、ゼデキアによって双子の魔界での“居場所”の封印を解いてもらい、ヴァスカと結んでいた使い魔と召喚主の主従契約をいったん解除して、一月ほど魔界で暮らした。精気を養って人間界に戻って来た時、彼はすっかり本来の姿になって、ヴァスカとの対面を果たしのだった。なるほど、二人は確かに双子で、髪の色以外はそっくりである。そんな彼は、帰還後しばらくして「新婚さんのいちゃつきぶりを目にするのは非常に疲れる」などと言って、それまでのように屋敷には住まず、ジェフリーの口添えもあって王城に出向き、住みこみで働いていた。仮にも侯爵家の者であるし、周囲は一時期どうなることかと心配に思ったが、本人はすっかりその人懐こさと美貌で城の女たちを虜にし、噂の貴公子などと呼ばれているようだ。ちなみに仕事は、庭師の爺さんの手伝い。爺さんは、以前潜入していたヴァスカとセルヴィが入れ替わったことにも気付かずに、後継者育てに燃えているのだ。ヴァスカと違って庭いじりが得意なセルヴィは、随分師匠を喜ばせているらしい。『急に腕を上げたなあ、おれの引退ももうすぐか』というのが口癖だとか。

 一度ジェフリーに招かれ、レイナとヴァスカ、セルヴィで晩餐を共にしたことがあった。ゼデキアも呼ばれたが、来なかった。

「仲良くやっているようだね」

 ジェフリーは穏やかに、二人並ぶレイナとヴァスカを見て言った。

「多くの寛大なお計らい、心より感謝したく……」

「おいおいレイナ、やめてくれ。そんな堅苦しいことを言わせたいがために呼んだんじゃない。私はただ、君たちの幸せが自分の力になるというだけで、結局自分のやりたいようにやっているんだから」

 そう言うジェフリーは、完全に吹っ切れた様子で笑った。

「実は、婚約が決まったんだ。安心してくれ、君たちへのあて付けではない、本当に、心から私を思って支えてくれる、素晴らしい女性に出会ったんだ」

 はにかむ笑顔は、幸せそうで。レイナもほっと安心したのだ。その直後に。

「セルヴィをこっちに呼び出してしまったし、あの大きな屋敷に二人きりは寂しいだろう。家族の増える予定は、まだ?」

 レイナは真っ赤になって、うつむいた。かわりにヴァスカが淡々と答える。

「ご心配なく。近々、元気な産声をいくらでも、お聞かせできることでしょう」

「ほらー、殿下、こんな感じなんですよ~! 全く惚気倒しなんで、僕が屋敷にいたくないっていう気持ちも分かるでしょう?」

「ああ、そうだな。仲が良くて、本当に、何よりだ」

 その後は、ジェフリーたちの子どもとレイナたちの子どもが結婚できたらいいな、なんていうセルヴィの空想話が半ば本気で進められそうになり、焦りに焦ったレイナであった。

 レイナは、長かった髪を切ってしまった。少年のように、それは短く。ヴァスカが必死で止めるのを、レイナは微笑んで説得したのだ。

『これは、ジェフリー様のために伸ばしたの。でも、私はもうあなたのものでしょう。だから、一度リセットしたいの。リセットして、今度は、あなたのためだけに、この髪を伸ばしたいの――』

 そんなことを言われて、どうして止められよう?

 緩やかに広がる琥珀色の髪がなくなってさらに一回り小さくなったように見えるレイナを、ヴァスカは強く抱きしめて、短くても柔らかい彼女の髪をずっと撫でつづけた。





 慌ただしくも、穏やかに日々が過ぎていく。

 ――こんなにも幸せで、自分はいいんだろうか。

 ヴァスカは夜空に浮かぶ月を眺め、ぼんやりとした不安にときどき駆られる。この幸せが、もし夢だったら。ガラガラと足元から崩れてしまうんじゃ。すべてが謀られていたら。

 そんなときは、いつもレイナが隣で言う。――私はここにいるよ、と。

「……ヴァスカ?」

 ――ほら、今も。こうして。

 ヴァスカの待つ寝室に、レイナがやって来た。手にはあたたかいミルクが二つ。

 バルコニーにやってくると、レイナはふるりと肩を震わせた。半年かけて伸ばした髪は、まだ、彼女の耳を少し隠すくらいだ。無防備なうなじが寒そうで、またどうしても扇情的で。湯気の立つカップを一つ受け取ると、ヴァスカはそっとレイナの肩を抱いた。

「セルヴィは?」

「とっくに寝ちゃった。あなたがあんまり面白がって、お酒を飲ませるからよ。明日がきっと辛そう」

 くすくすと笑って、ミルクを一口飲む。そしてふと、顔を上げると、真剣な目でヴァスカを見つめる。

「また、不安になっていた?」

「……ああ」

 素直に頷くと、レイナは慈愛に満ちた笑みを見せ、そっとヴァスカに頭を寄せた。

「何があっても、離れないから。私の居場所は、ここだけよ」

 きらきらと光る目を見たら、そこはかとない不安なんて飛んで行った。なんてあたたかく、なんて大きく、なんて愛しい――

 ヴァスカはレイナからカップを取り上げるとそばのテーブルに置き、横抱きにして部屋に入った。

 壊れ物を扱うようにベッドに横たえて、その上に自分も乗り上げる。そっと夜着の合わせ目をゆるめると、月明かりに彼女の白い胸元が淡く光って見えた。いつまでたっても、彼女は神々しい。純粋で、穢れを知らなくて。

 ヴァスカはたまらず、彼女に口づけた。あまく、とろけるような時間。

 自然と出てくるのは、詩のようなことば。それに答えるのも、また歌のようで……。


「レイナ、愛している」

「私も――愛してる、ヴァスカ。誰よりも……」



 出会いは光のない夜の森。

 今ふたりは、やさしい月の光の中で、愛に満たされる。いつもでも、いつまでも――。




                        ――月夜に誓うは血の契り 完


これにて完結!

長らくお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。


気付けば3年と2カ月にも渡り連載していました。

自分の作品で、これまでこんなに反応があったものは初めてで、とても思い出深い物語となりそうです。まだまだ推敲できるところはたくさんあるし、自分の未熟さを痛感しています。

しかし、ひとまず、ここにピリオドを打ちます。

いつか改稿してさらに良い作品へと昇華させていこうと思います。また、本編はここで終わりですが、気が向いたら番外編なども載せていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

活動報告にも、つらつらと気持ちを綴るつもりでおります。


最後になりましたが、これまで感想・評価、拍手、メッセージ、お気に入りなどなど、この作品を読んでくださった皆様に、心からの感謝を!

本当に、ありがとうございました!


2013.01.10 ――滝神 梢

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