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50.魔として人として

拙い文ですが、戦闘シーンがあります。

苦手な方はご注意の上、自己責任でお読みください。

 ゆらゆらとゼデキアの体が左右に揺れる。奴は完全に正気じゃなくなっている。

 自らの勝利をずっと信じて疑わなかったのだろう。それが、ただ一人、レイナという娘一人によって邪魔された。彼女は恐ろしいくらいに人の気持ちに聡い人だ。彼女が何を考えて、ゼデキアを煽るようなあの言葉を連ねたのかは分からない。しかし、それによって、奴は我を忘れ彼女に襲いかかり、飛び込んできた王子――悔しいが、ヴァスカではなくあの青年がレイナの危機を救った――の気配にも気付かず、斬られ、精神を乱れさせ、今こうしてヴァスカと対峙している。

 力は、ほぼ互角だ。はじめのまま余裕を保つゼデキア相手だったら、ヴァスカの力が及んだか正直分からない。しかし奴は今、レイナによって心を乱れさせ、計画の破綻を知り、狂気に取り込まれた。それはそれで厄介な相手であることに変わりはないが、ヴァスカは逆に自分の精神がどんどん研ぎ澄まされていくのを感じていた。魔族としての血なのか。迷いを捨て、邪念を払い、殺意を持って敵に向かったとき、体が驚くほど軽く気分も昂ぶり、戦いを求めている。

 ――これが、俺。

 所詮魔族は魔族。人間の半分の血に頼って、人として生きて行こうと思っていた自分が馬鹿らしくさえ思えてくる。自分は、彼女には相応しくない。彼女には、そう、あのジェフリーとかいう王子のような、勇敢で優しい人間の男のほうがよっぽどお似合いだ。

(俺としたことが、らしくないことを。人として、彼女とともに生きようと、思っていたのか……)

 ヴァスカは不敵な笑みを浮かべた。自分は、この男を――半分とは言え血を分けた兄を殺し、進まねばならない。それが自分の生まれながらにして持つ運命で最大の使命である。

 ゼデキアは、まだゆらゆらと揺れていた。目はつぶっている。狂気に囚われた彼が、どんな手段に出るのか分からずお互いに膠着状態だ。

「ゼデキア……」

 ヴァスカが呟くと、ゆっくりと、ゼデキアが目を開けた。紫紺の視線がぶつかる。意外にもはっきりとした目だった。そこには殺意が浮かんでいる。ヴァスカは笑った。

 魔族は、こうでなくては。

「セルヴィの封じられた時間を、返してもらおう――!」

 床を蹴り距離を一気に詰めた。ゼデキアの懐に飛び込む。遠心力をたっぷり乗せた蹴りを入れた。奴はぐらりと体勢を崩す。ヴァスカは魔力を纏った拳を突き上げた。奴の顎にぶち込む。続けて二発目。ゼデキアに腕を弾かれ今度はヴァスカがよろめく。ゼデキアがヴァスカの足を払った。ヴァスカはくるりと転がって起き上がった。しかし目の前に奴の姿がない。次の瞬間背に衝撃が走った。ゼデキアは背後に回っていた。魔力を叩きこまれた。燃えるように熱い。飛び跳ねて距離を取ると、ゼデキアは笑ってこちらを見ていた。またゆらゆらと揺れている。

 苛ついてはだめだ。感情の揺れが大きいほど、攻撃は単調になる。魔族としての戦いは、奴の方が一枚上手だと認めるしかない。あの揺れも表情も気に喰わないが、それに煽られてはヴァスカの勝機は逃げていく。

 今度はゼデキアが動いた。パッと姿が消えたかと思うと、天井を蹴って猛スピードで突っ込んできた。間一髪で避ける。しかしゼデキアはバネのように床を蹴って伸びあがった。重い頭突き。憎らしいことにその前に切れた傷を狙われた。止まっていた血が再び溢れだす。右目に血が入った。しかしヴァスカもやられるだけではない。頭突きをされた時、奴を引き剥がすと同時に肩に魔力を叩きこんだ。ゼデキアも肩の裂傷からポタポタと血を流している。ハァハァと荒い息使いが二つ。

 ヴァスカは目をつぶった。どうせ使い物にならない視覚なら捨ててしまえばいい。代わりに感覚と聴覚を研ぎ澄ませる。空気の動きが気持ち悪いくらいはっきりと分かった。ゼデキアはまたゆらゆらと揺れている。部屋の隅ではレイナが固唾を飲んで見守っている。

(――レイナ)

 なぜ、ここに留まった。


 一瞬の隙を読まれたか、ゼデキアが再び襲いかかった。応戦するヴァスカ。お互いの拳がぶつかり、膝が腹に入る。口の中は鉄の味がする。肋骨も何本かイっている。相手の骨を折り筋肉を潰す音がする。ただ全身が燃えるように熱い。熱さは血を沸かし、痛みを感じない。感覚だけがクリアだった。


 ドッ、と、鈍い音がした。

 ヴァスカは相手の腹に叩きこんだ拳に、ずっしりと、体重がかかるのを感じた。ゼデキアの体がヴァスカに凭れかかる。そしてそのままずるずると、床にくずおれた。

 うっすら片目を開けると、ゼデキアが仰向けになって倒れていた。口の端に血の混じった泡があふれる。気を失ったか。ヴァスカは足元に落ちていた剣を拾った。ジェフリーが使っていた剣だ。

 強靭な肉体を持ち半永久的に生きる魔族とは言え、心ノ蔵を一突きされれば、死に至る。ふらふらと剣を持ち上げ、ゼデキアの上で構えた――その時。

 空気が緩やかに動いた。

「ヴァスカ……」

 剣を握る手に、あたたかい手が重なった。

「レイナ……」

 片方しか開かない目で、彼女を見やると、レイナはじっとヴァスカを見つめ返した。

「何をしている、離れろ」

「だめ……ヴァスカ、これ以上は、もう、」

 キュッと、重ねられた手に力がこもる。

「もういい……と?」

「お願い、ヴァスカ。この人を殺しては、だめ……戻れなくなっちゃう」

 そのあまりに穢れのない瞳に、ヴァスカは怒った。

「黙れ! こいつを殺さずに、どうして復讐が終わろう!」

 レイナは突き飛ばされ、散乱していたテーブルの残骸に体を打ちつけた。再び剣を構えるヴァスカ。レイナは飛び上がって、横から全身でぶつかってヴァスカを突き飛ばした。

 カランカラン……

 間抜けな軽い音を響かせ、剣が床に転がった。ヴァスカは舌打ちをする。レイナはまだ腰元にまとわりついていた。

「ヴァスカ、どんなに憎んでいても、この人を殺してはだめ……絶対に、兄弟を殺してはだめ!」

 その言葉にヴァスカの怒りが振り切れた。レイナの頭を掴んで持ち上げる。痛みに歪んだ彼女の表情にすら腹が立つ。

「兄弟だと! この男を兄だと言って生かすのか? ふざけるな! こいつが兄ならば、俺たちをなぜこんなにも苦しめる!」

「違うんだよ、ヴァスカ……兄弟だから、苦しいの……例え憎んでいても、この人をその手にかけたら、ヴァスカは戻れなくなる。人として生きたいんでしょう! セルヴィの想いを考えて!」

 ギリリ、とヴァスカが食いしばって呻いた。

「お前に、俺たちの何が分かる……!」

 ガツン、と頭を殴られたような衝撃が走る。その言葉のショックでレイナは一瞬怯んだ。心に隙が出来て、そこに一気に迷いと混乱が押し寄せた。そうだ。自分は赤の他人ではないか。セルヴィの約束を果たすためと銘打って、だけどそこに自分の想いが入っていないと言えるだろうか? ――否、それは自分の我儘だ。ヴァスカとセルヴィと、三人穏やかに暮らしたい。愛する人と家族として、一緒に笑いながら年老いてゆきたい。そんな幻想を、自分は彼に押し付けているだけじゃないか。自分の言葉なら聞いてくれるんじゃないかと思い上がっていなかったか。彼の本当の幸せはこの男を殺すことなんじゃないか。第一、自分の本来の目的もこの男に仇成すことだったではないか――。

 レイナは、思わず涙をこぼした。そして同時に、すぐ泣く自分に嫌気がさした。嫌だ、こんなふうに女々しく泣いて情で訴えかけるようなこと。いいじゃないか、私の我儘だってなんだって。ヴァスカのためだなんて、偽善でしかないのかもしれない、でも、私にはそれが一番に思えるんだから。覚悟を決めなきゃ。自分も、ヴァスカも。

 そう思ったら、一瞬の混乱が静かに引いていった。

「ヴァスカ、確かに全くの他人であなたと境遇が一切違う私だけど、これだけは言える。あなたは、“魔”として生きるべきじゃない! お願い、茨の道でも人として生き――」

 そのとき、ふわりとレイナの体が浮いた。ヴァスカは彼女の後方をハッと鋭く睨み、舌打ちした。

「まったく、こそばゆいやり取りだことで。獲物を仕留めきらないで、もう勝ったつもりか?」

 クックックと喉で笑うゼデキア。レイナは奴の腕の中で、首を掴まれていた。

「ヴァスカ、お前が魔として生きるのなら、その踏み台となってやろうぞ」

 ヴァスカの眉が、ぴくりと動く。

「俺を殺せばいい――この娘ごと、な」

 ケラケラと小馬鹿にした笑い声が響く。魔に堕ちるのならゼデキアを殺せばいい、そこにレイナが加わったことで揺れる心ならば魔には成りきれない。人として生きたいのならば、レイナをゼデキアの腕から救わねばならない。しかしそのためには彼女の命が危険にさらされる――。

 ヴァスカは、自分の中途半端な思いのせいで彼女の命を賭けなければならなくなった。

 魔として生きるか、人として生きるか……。

「人として生きるのは辛く険しい道となろう。対して、心を殺し、魔として生きるのは、なんと簡単なことだろうなあ」

 嘲笑うように言うゼデキアだったが、レイナは気付いてしまった。彼にはもはや、ヴァスカに対抗する力などないのだ。レイナの首をつかむ手は、嘗て無く弱々しい。それでもきっと、レイナの細い首を捻り潰すくらいは造作ないのか。そうやってゼデキアは楽しんでいる。最後までヴァスカを苦しめることで、自分の存在価値を確かめようとして――。

 レイナは、そっと、自分を掴むゼデキアの腕に手を添えた。ゼデキアが訝しげにレイナを見下ろす。

 その瞳が揺れているのを見て、レイナは悟った。ヴァスカと、セルヴィと同じ瞳。紫紺の目は、彼は、迷っている。狂気にとりつかれた男を演じて、悲しみを隠しているのだ……。


 レイナは急に、切なくなった。



 どこから始まって、こんなにも、この人たちの――いや、自分を含めた、すべての糸が絡まってしまったんだろう。

 ゼデキアは愛する人を父に奪われ。ヴァスカとセルヴィは訳も分からないまま居場所を失くし。三人の父は本当の愛を得られず。ヴァスカに手を上げた母は運命に翻弄され。

 誰が悪い? 誰が原因だ? 誰が誰を傷つけ、どうして憎まれるのか――

 そこに誰かを責めることの出来る者はいないはずだ。誰にだって、傷があり人を傷つける。



「ゼデキア、もう、休もう……」

 レイナは初めて、憎しみ以外の思いを持って彼の名前を呼んだ。

「誰もあなたを責められないし、あなただって、誰を責めることも出来ない。私たちはみんな、一緒なのよ。あなたはよく頑張った――苦しんでもがいて辿り着いたのがここなら、私たちは、ここから、新しく始めよう。ね?」

 ゼデキアを見上げるレイナの首は、ゼデキアによる鬱血のあとで赤紫色に染まっている。その色が、やけに鮮明に目に焼きついた。

「ゼデキア……言い名前ね。あなたのお父上は、“正義”をあなたに託したのね。あなたはきっと愛されていたんじゃない? 期待もされていた。血縁だけじゃなく、実力で後継者になってほしかった。だからお父上は、あなたを厳しく育て上げたんじゃないのかな。その成果は、この国を治めきったことにしっかりと表れている。普通なら突然やってきた国の政治を上手く回せるかしら? 簡単なことじゃないわ……いくらか卑怯で強引な手を使ったとしても、事実あなたは成り代わった国王の名を、さらに名誉あるものに高めたのよ」

 ゼデキアは、ぶるりと震え、レイナを抱えたままその場に座りこんだ。表情は何かに耐えるように強張っている。ヴァスカも、レイナの穏やかな声に魅せられ動けない。

「この国の民を見ても、臣下たちを見ても、あなたは尊敬されて求められて、愛されている。その政治手腕に、この国の平和と豊かさに、お父上のあなたへの愛が、はっきりと見える。――認めてしまえば、なんてあたたかいのかしら。辛かったでしょう、愛した人を尊敬する父に奪われ、愛した人とその子どもたちを憎まなければならなかった。ねえ、ゼデキア……」

 そっと、レイナの指がゼデキアの顎に触れた。

 途端、ゆるりと、紫紺のふちが滲んだ。ゼデキアの腕がゆるみ、レイナは解放される。すかさずヴァスカが彼女の体を掻っ攫った。後ろから強く抱きしめられて、左肩が痛んだが、されるがままになった。小さく耳元で、「すまない……」と繰り返し謝るので、レイナも彼の腕にしがみついた。

 急に、失ったかもしれないこの存在の重さが身に沁みた――。





中途半端ですが、次に持ち越し。

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