49.舞台は整った
「ジャフ、余を斬るとは……どうしたことだ」
ゼデキアの大きな身体が、ゆらりと立ち上がった。今更感があるが、国王の仮面を張り付け、口調もそれらしいものだった。
「父上……私も状況が呑みこめません。一先ず、思いがけずおりました見知った方をお助けしたく」
ヴァスカは耳だけ二人のやりとりに傾け、レイナを見ていた。彼女は、動かない。――まさか。
「お前も知っておろう、この女は、以前余を殺そうとした犯罪者。今宵また、襲って来たのだ……余はそれを迎え撃ったまで。それともジャフ、愚かにも、お前はまだこの娘を愛していると?」
「最後の問いには、もちろん、愛していますと答えましょう」
ヴァスカははっとして、隣に立つ青年を見た。額には汗が浮かび、顔面は蒼白だ。混乱しているのだろう。しかしそれでも、彼はレイナを守った。ヴァスカが無様に硬直している間に、彼が、レイナの危機を救った。
「――しかし、私はずっと解せなかったのです。あの時、彼女がなぜ父上を殺そうとしたのか。あの日は、彼女もずっと待ち望んでいた、婚約発表の日だった……。それなのになぜ。ずっと、疑問に思い続けていました」
「犯罪者の心理など、余には分からぬよ……しかし、余が休んでいた寝室に忍び込み、恐ろしい力を放ったことは紛れもない事実!」
ジェフリーは、大きく息を吸い、絞り出すような声を出した。
「……父上、あなたは、何者なのです」
ゼデキアの顔つきが変わった。
「いつからか、あなたは変わったように思います。この城全体も、どこか、みなふわふわと夢見心地で地に足がついていないような感じがするのです。おかしなところはたくさんあった……教会との繋がりが異常に強くなり、その一方で優秀な聖職者の行方不明事件が急増した。各地の魔物の出現率も跳ね上がる。ここ数日は、あなたは仮眠室にこもりきりで……」
ジェフリーは、レイナを見やった。
「彼女の足に、枷がついている。そしてちぎれた長い鎖が、寝台の横にあります。これは、どうとらえれば?」
「クックック……」
突然、ゼデキアが笑いだした。肩を震わせ、目が血走って、どう見ても、常軌を逸している。
「なんてことだ、私はお前が一番馬鹿だと油断していたよ……恋する女に焦がれて目が見えないものとばかり。それが、なんと! 全てに気付いていたのはお前だった! 暗示にかかりきらなかったのは、お前に力があるからか? それとも、あの娘の近くにいることで浄化されたのか……。どちらにしろ、もう、いいんだ。全て終わった」
ゼデキアは大きく腕を広げ、天井を仰いだ。
「この世界はもういい! 十分な暇つぶしになったよ……私は故郷に帰ろう……お前たちを、すべて消してなあ!!」
その途端。
空気が、黒い力に満たされた。吐き気がするような、狂気の魔力だ。同列の魔力を持つはずのヴァスカにも痛みが突き刺さる。横を見ると、ジェフリーが床に吐いていた。レイナは、まだ、動かない。
「くそっ……!」
ヴァスカは転げるようにしてレイナの許に駆け寄った。そっと頭を起こし、彼女の胸に耳を当てる。しっかりと脈打っていた。
(生きてる……!)
たまらずその細い体をぎゅっと掻き抱いた。その力で彼女の意識が戻る。
「ヴァスカ……?」
「レイナ! 喋らなくていい、起きれるか? ここから離れ……なんだ?」
彼女は、また、笑った。こんな似つかわしくない状況で。
「ヴァスカ、初めて、私の名前……」
言われて、ハッとする。全くこんな時に、忌々しい!
ヴァスカはふいと顔をそむけ、レイナを立たせてやりながらジェフリーを見やる。ゼデキアが、蹲った彼に手を伸ばしているところだった。
「――チッ」
ヴァスカはとっさにレイナから離れて、そのゼデキアの腕に魔力をぶつけた。ジュゥと肉の焼ける音と匂いがする。ゼデキアはギロリとこちらを睨み、力を放った。避けきれずヴァスカが呑みこまれる。無数の剣に切り刻まれるような痛みが走った。レイナはヴァスカの行動によって、そこにジェフリーがいることに気付いた。
(ああ、なぜここに……!)
レイナはジェフリーに駆け寄り、なんとか立ち上がらせる。この狂気にあてられて、彼はぐったりしていた。しかし意識ははっきりとしているようだ。
「レイナ……良かった、生きていて……」
「ジェフリー様、話はあとで必ず……今はとにかくここから離れましょう」
生身の人間には確かに強すぎる力だろう。レイナは、自身の血がゼデキアの力を相殺し弱めることで、体への影響が弱いことが分かった。この狂気の中でまともに動けるのは、レイナとヴァスカだけだ。ヴァスカは今、ゼデキアに応戦している。
しかし、ジェフリーをレイナ一人で運ぶのは、かなりきつい。レイナの左肩は脱臼して、腕がだらりと力なくぶら下がっているだけだし、ジェフリーも必死で足を動かすが、上手く力が入らないようだ。早くここを離れなくちゃ、ジェフリーの体が持たないかもしれないのに……。
「――レン、この人は僕に任せて」
突然ジェフリーの体が軽くなった。レイナは驚愕した。
「セルヴィ……!」
そこには当たり前のような顔をしてセルヴィが立っていた。ジェフリーの体を反対から支えている。
「ずっと城の結界が強くて入れなかったんだ。でもさっき急になくなって、やっとここまで来れた。さあ、レンはヴァスカを助けてあげて」
「でも、あなた一人じゃ……」
「大丈夫。僕は使い魔だけど、魔力がないわけじゃない。レンだって僕の力を感じたことあるでしょう? それに屋敷から魔石も持ってきたんだ。僕とこの人くらいなら、なんとか出来る」
レイナは見極めるようにじっと彼を見つめ、そしてジェフリーをセルヴィに託した。
「お願い、絶対に無理はしないで。戦うんじゃなくて、自分と、この人を、守って」
セルヴィは優しく頷いた。そして、ふと真剣な表情で、レイナを見た。
「レン、ヴァスカを、どうかお願い」
その時、レイナは彼がすべてを感じて知っていることに気付いた。ゼデキアと自分たちの関係をレイナが知ったことも、その上でレイナがどうしようとしているのかも。どうやらセルヴィもレイナと同じ“願い”だったようだ。思えばセルヴィは、自分たちがゼデキアと血のつながりがあるからこそ、その復讐劇を予感し恐れていたのだ。憎しみで憎しみを潰そうという戦いが起きている今、その願いを遂げるためには、何が必要か。
彼はレイナに、ヴァスカを託そうとしている。自分でなく、レイナだからこそ出来ると、信じてくれている。
レイナも決心した。
「ありがとう、セルヴィ。私も、ジェフリー様を、あなたにお願いするわ」
そうして、ジェフリーの脇から自分の肩を引き抜いた。背の低いセルヴィは、彼を背負うとそのまま引きずるようにして彼を連れ出してくれた。部屋から二人が出ると、レイナはヴァスカを振り返った。
今やゼデキアは、まるで獣のようだった。目の前の敵しか目に入らず、本能で襲いかかる。ヴァスカは痛む体で必死に応戦している。彼にも余裕はない。二人が止まるには、どちらかの死が必要なのだ。
だけど、レイナは違う道にヴァスカを引き込まねばならない。その時を誤れば、この復讐劇は最悪の形で幕を閉じるだろう……。
レイナはじっと、待った。
一方でヴァスカはもう、ゼデキアにだけ集中していた。セルヴィがやって来たことにも気付いていたし、レイナが何か決意を持ってこの部屋に残ったのも分かった。懸念事項はなくなった、あるとすれば、レイナが巻き込まれないかということだけ。しかしゼデキアは、もはや狂気に囚われヴァスカしか見えていない。
ならば、もうこの憎しみを解き放ってもいいだろう。
すべての復讐を。死を。この男に突き立てよう――。