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46.決戦の時

 その日の夜遅く。

 ゼデキアはふと、目覚めた。寝転がったまま身じろぐが、その時ベッドに一人で眠っていることに気付いた。抱いていたはずの娘の体は、腕の中にない。むくりと上体を起こし、鎖の先に目をやってゼデキアはハッと息を飲んだ。

 窓辺に佇む娘は、月明かりに照らされ、恐ろしいくらいに美しかった。たじろぐ自分をなんとか押さえつけ、ゼデキアはいつも通り傲慢な態度で口を開いた。

「何をしている? 逃げる算段でも立てていたか」

 その声に驚く様子もなく、レイナはゆっくりとゼデキアを振り返った。その虚ろで諦めの混じるような眼差しは、しかし、ゼデキアを蔑視しているようにも見え、超然とした態度が彼女の余裕であるようにも感じ、妙にイライラした。

「……空想を、していました」

 ぽつりとつぶやいて、レイナは再び窓の外に顔を向けてしまった。それがまた、自分をないがしろにされているようで癪に障るゼデキア。しかしお構いなしにレイナは続ける。

「もし私が、お城でジェフリー様に会っていなかったら。ジェフリー様と心を通じ合わせることなどなかったら。家を焼かれなかったら。家族がみんな生きていたら。逃亡生活の途中で、捕まっていたら。……いろいろ考えたんだけど、どれも違うなって」

「……どういうことだ。何が言いたい?」

 レイナの月明かりに浮かぶ白いこめかみを見つめ、ゼデキアは結論を言えと話の先を急ぐ。たっぷり間を空けてから、レイナはまたゆっくりとゼデキアに顔を向けた。

 ――ゼデキアは目を見開いた。彼女は笑っていたのだ。一筋の涙で頬を濡らしながら、それでも、幸せを噛みしめるように、微笑んでいた。

「どれかその“もしも”が叶っていたら、きっと私とヴァスカが出会うことはなかった。あの屋敷に連れられて、セルヴィと会うこともなかったし、彼らを愛しいと想うこともなかった。――そう考えたら、なんだか、すべてを許せるのよ、私は。だから……そう、あなたでさえ、心の底からの悪人だと思えないの」

「はっ、とんだ綺麗事だな。俺はお前の父親を殺し、弟を殺し、使用人たちを殺して、しまいにはお前の家を焼いた! 逃げ出したお前を追い詰めることは俺の暇つぶしで、お前の行く先々を消して回って楽しんでた。そして今、お前を捕らえ、お前の大切な男の首をちらつかせていいなりにし、お前がそこまで入れ込んでるヴァスカを殺そうとしている! それでも、お前は許すと言うか、この俺を?!」

 レイナはゆっくりと首を振る。

「もちろん、すべてを許しているわけでもないし、あなたを家族のように愛おしめと言われても、今すぐには無理だわ。だけど、なんだか……あなたは、苦しんでいるようにしか見えないの」

「――苦しんでいる? 俺が?!」

 ゼデキアはカッと頭に血が上り、ベッドから立ち上がった。

「俺は好きなように生きている! あの忌々しい双子への復讐を楽しんで、人間界(ここ)での生活を楽しんで、どこに苦しむべきところがある?」

「……そうやって腹が立つのは、図星を指されたからではないの?」

「くそ、同情はやめろ、偽善者め。お前のそういう態度が、俺は嫌いだ。抵抗する者の膝を屈させるのは俺の娯楽だが、お前は、まるで自分が偉く正しいかのように、悟った態度が気にくわん」

「そうやって腹を立てて、傷付いている自分を押し込めているじゃない!」

 レイナは急に声を高めた。

「あなたが心の底に何を抱えているのか知らないけど、分かるわ。あなたは苦しんで、傷付いて、本当は誰かに認めてほしくて仕方がないのよ! 大丈夫だ、よく頑張ったって言ってほしくて、行き過ぎた怒りをぶつけることを許してほしくて、誰かにすがりつきたくて、でもそれが出来なくて! 人を傷付け騙し、そうやって自分のことに気付いて欲しいと見えないサインを出している」

「――黙れっ!」

 バチンッ、と渇いた音が部屋に響いた。頬を平手打ちされ、レイナは床に倒れこんだ。

「物知り顔でお偉いことだ! 聖杯は聖杯らしく、黙って生きて血を作っていればいい……“餌”に思考は不必要さ! そうすればお前は、俺の手元で安全に生きていられるんだ。これのどこが不服だ? お前が黙って俺のところにいるだけで、お前の大切な者たちは変わらない生を全うできるんだぞ」

 口の中を切ったらしく、レイナは手の甲で口元の血を拭った。ままならない怒りやもどかしさが、身の内を焦がすようだ。自分に何が出来るのか分からないし、自分のこの選択のせいで誰かが死ぬのは嫌だった。――でも、このまま、この憐れな男を放っておくのも、その男のもとで人形のように生かされる自分も、もっと嫌でたまらない。

 誰かがこの負のサイクルを打破しなくては、何も変わらず同じことを繰り返すだけ……。

 レイナは呟いた。

「可哀そうなひと……」

 その微かな声に気付き、ゼデキアのこめかみにピクリと青筋が浮き上がった。

「――なんだと?」

 明らかに部屋の空気が冷たくなっている。ゼデキアからは剣呑な気が発され、怒りが針のようにレイナの肌を突き刺すのが分かった。それでも、レイナは止まらなかった。止められなかった。

 ――気持ちの、限界だ。

「あなたは可哀そうだわ! 何をそんなに脅えているの? 一歩を踏み出す勇気がなくて、殻に閉じこもって、周りを傷つけるしか方法が分からない。まるで母親に捨てられた可哀そうな子猫――!」

 言い切ると同時に、レイナは壁に叩きつけられた。鎖が蛇のように床を打つ。

「つ、ぅ……!」

 投げ出されたレイナの肘を容赦なく踏みつぶすゼデキア。関節がミシミシと悲鳴をあげている。明らかな殺気にうなじの毛が逆立った。心臓を握り込まれたように体が冷えてしびれる。死が、目前で笑っていた。

「どうやら俺は、お前を甘やかしすぎたらしいな……殺す気はないし、その血を手放すのは惜しい。が、もういい。目障りだ……」

 肘を踏みつけていた足が離れ、レイナの喉元に靴先が触れる。

「お前の血は、実に美味かった。おかげで力がさらに高まったよ。それだけは感謝する」

 何度か遊ぶようにレイナの喉をつついていた足が、はっきりとした動きで持ち上げられた。

「お別れだ、お姫様――!」

 踏みつぶされる――そう覚悟して、レイナは目をつぶった。



 その時、ふわりと空気が動いた。



 ドシンッ、と鈍い音がした。そして聞き慣れた鎖の音も。

 草花と土と、かすかな懐かしいにおいに包まれる。うっすらと目を開けると、庭師がよく着る作業着が目に入った。優しくベッドに下ろされる。そうしてすっと屈んだ青年を見て、レイナの目には涙が盛り上がった。

「ヴァスカ……」

 ぽろぽろと涙を流すレイナを見て、ヴァスカは無表情のまま彼女の首にそっと触れた。指先が冷たかったのか、ぴくりとレイナの肩が跳ねる。

 彼女の首は見るも悲惨な状態だった。

 吸血による赤紫の鬱血の痕と、鋭い犬歯による噛み痕。おそらく、吸血のためだけでなく“口寂しいから”といった感じで、そこかしこを甘噛みされたのだろう。本来の透き通るような白い肌が残されていない。

 腹の底から頭まで、怒りが駆け抜けた。

 ヴァスカは彼女の自由を奪う鎖を握りしめ、激情のまま力を放ち破壊した。足枷は華奢なレイナの足首に残っているが、ひとまずはこれで自由だ。彼女の身体をこうして繋ぎとめても、彼女の孤高の心までは、ゼデキアは束縛できなかったらしい。よく戦ってくれた、と彼女を今すぐ抱きしめたいのを我慢して立ち上がると、ヴァスカは憎き男を振り返った。

 奴は不気味な薄ら笑いを浮かべて、二人の様子を眺めていた。

「来たな、ヴァスカ。その愉快な格好はなんだ? はあ、それにしてもまったく、なんのために聖僧どもに結界を張らせたんだか……敵はすでに足元に潜んでいたわけだ」

 クックックと喉で笑いながら、ゼデキアは楽しそうだ。

「なるほどなあ。さっき庭で感じた微かな気配は、お前、なんかしたんだな。うーん、それにしても、意外だなあ。ここに来る時、お前は“恋に囚われた男”でなく、“憎悪に駆り立てられた魔族”であると踏んでいたんだが……」

 口を開かず、じっと睨みつけてくるヴァスカを、ゼデキアもじっと見つめ返す。そして、ニヤリと不気味な笑みを作った。

「こいつはどうしようもない“血”だな。ここまでくれば、この血の因縁は、否定はできまい……親父に始まり、おれもお前も、人間にイカれた男どもだ」

 それを聞いたヴァスカが、少したじろいだ。同時にレイナも違和を感じる。

(血の、因縁……? 親父、おれ、お前……)

 まさか、とある答えに辿り着きそうになったその瞬間。凄まじい爆風とともに、二人の影が交錯した。

 ゼデキアとヴァスカが魔力をぶつけあう。

 ――すべての結末が、始まった。




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