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45.手掛かり

 遠い記憶を思い出していた。

 母のこと、兄弟のこと、魔界で過ごした短い期間、父と名乗る怪しげな男のこと。当時の気持ちを全てはっきり覚えている訳ではないが、ぼんやりと思い出せるのは、いつも不安や悲しみ、寂しさといった負の思いと一緒だった漠然とした感覚。しかしその中にも楽しい記憶がある。双子の弟と屋敷の庭を駆けずり回って遊んだことや、母の弾くハープシコードの曲について二人で物語を考えたこと、魔界の森で見つけた不思議な植物たち、魔界の住人たちの期待するような輝く視線。自分でも一番意外に思うのが、自分たちの父だと言う胡散臭い男の大きな手が、自分の頭をクシャリと撫でたことに、驚きと喜びを感じたことだ。やはり、子ども心に母からの拒絶はそれなりにこたえていたらしい。その分、大人の彼にそうされたことに自分の存在を感じることが出来たのかもしれない。

 そんなことを思い出しながら、子どもっぽい自分の思い出に少し恥ずかしくなる。

(だめだ、この場所・・・・は、なぜか昔を思い出す……)

 黙々と作業しながら、ヴァスカは自分の思考を断った。下手をしたら尻尾を掴まれる。ここで油断は出来ないのだから。

「おい新入り、集中しろ。ここをどこだと思ってやがる」

 強面の爺さんがヴァスカを見て注意する。彼は自分の仕事に誇りを持っているから、手を抜く者を許さない。

 ヴァスカは無言で頭を下げ、手にした小さなクワを土に深く突き刺した。

「いくら目立たない仕事でもな、ここは立派な城なんだ。それに相応しい姿に整えるのがおれたち庭師の仕事なんだからな、……」

 何度目か分からない爺さんの決まり文句を聞きながら、ヴァスカは大きな白壁の建物を見上げた。

 ――このどこかに、奴と娘がいる。

 庭師として王城にもぐりこんだヴァスカは、焦る気持ちを抑えながら情報を集め機会をうかがっていた。

 そろそろ動きださねば、限界だ。自分の気持ちも、娘の状態も、恐らく。

 庭師の爺さんのお小言を聞きながら、ヴァスカは思考をめぐらせた。

 あの忌々しいゼデキアは、どうして城の者たちから非情に慕われていた。もともと、奴が殺して入れ替わったであろう王は優秀であったが、その元の信頼に上乗せして、奴の為政はなかなかだった。国民から尊敬され支持される王は理想の形と言えるだろう。そんな彼を狙い、危害を加えようとしている自分こそが、皆の目には悪者に映るのかもしれなかった。

(――それでも、)

 ヴァスカは空を見上げ、目をつぶった。瞼の裏に娘の笑顔が咲く。

 やっと見つけた、大切にしたいと思える存在。自分たちの呪われた枷を壊してくれた、稀有な娘。たとえ自分が傷つき非難されても、救いだして幸せになってほしいと願う。彼女を助けるためなら、自分は何だってするだろう。事実、今もこうして敵の懐に入り込み潜んで、その隙をうかがっている。

 ヴァスカはちらりと横目で師を盗み見ながら作業を続ける。この爺さんのこともだまし、やっと後継者ができたと喜んでいる彼を、自分はすぐにでも裏切ることになろう。ここで働く気はないし、そもそも庭いじりは苦手だ。昔セルヴィの花を枯らし怒られたこともある。人の好い彼を悲しませるのは嫌だが、背に腹は変えられない。今のヴァスカには娘が最優先なのだ。

(さて、どうしたものか……)

 ここまで潜り込んだはいいが、ヴァスカは行き詰っていた。庭は城と城壁の間をぐるりと、きれいに囲んでいるが、王ともあろう者がそう簡単に姿を見せるはずもなかった。同じ雑用として潜り込むなら、やはり城内の仕事の方がよかったか……。

 そう後悔しはじめたときだった。微かな、空気の密度の違いを感じた。隠しきれない魔の気配だ。ヴァスカはそばにいる爺さんに気付かれないよう、さりげなくあたりを見回した。遠くに、ぽつりと、立派な男の姿が見える。頭が沸騰しそうに血が騒ぎはじめた。

(見つけた……!)

 紛れもなく、その男はゼデキアだった。普通の人間なら気付けないだろう微細な魔の気配だが、特に敏感なヴァスカには感じ取れた。自分の魔の気配も相手に漏れ伝わることを心配したが、ゼデキアは油断しきっているのか、あまり魔の気配に敏感でないのか、全く気付いていない。

 はやる気持ちと湧きたつ血を必死に抑え、ヴァスカは全神経をゼデキアに向けたまま、悟られないよう仕事を続けた。

 ゼデキアはゆったりと石の通路を歩いて、ぼんやりと空を見上げている。

 ちらりと爺さんを確認してみるが、師は一区画の花壇の世話を終え、少し奥の花壇に移っている。ヴァスカは自分も隣の花壇に移るように自然に移動しながら、少し、ゼデキアに近づいた。奴に気付かれてしまうから下手に魔力は使えない。しかしこのチャンスを絶対に捕まえないと、恐らくもう二度と娘の姿を見ることはできないだろう。そう確信したヴァスカはすばやく行動に出た。自分の髪の毛を一本抜くと、親指を鋭い犬歯で噛んで一粒血を出した。そして抜いた髪の毛にその血を塗って掌に乗せる。ゼデキアの方を向いてふっと息を吹きかけた。微弱な魔力が混じるが、賭けてみるしかない。ヴァスカの髪は風と混じった息に乗って、ゼデキアの王のローブにくっついた。すると、何か感じたのが、ゼデキアがふと立ち止まる。ヴァスカは慌てて手元の土に目線を落とし、黙々と土を掘り返した。ゼデキアの視線を肌に感じる。心臓がバクバクと鳴る。

 やがて、ふっと、緊張が解けた。ゼデキアが踵を返して庭を後にする。柄にもなく、はあぁ、と重い息を吐き出した。ゼデキアはきっと娘のもとへ行くだろう。自分の血のついた髪の微弱な気配は、ある程度正確に感じることができるので、これでかなり場所を絞り込める。

 ヴァスカはギュウっと拳を握りしめた。

 ――今宵。

 ついにすべての呪いを解く時が来る。

 どんな戦いになるのか、想像も出来ないしその結果も考えたくはない。だが必ずどちらかが負け、勝った者の方に娘は取りこまれる。彼女の幸せは、ゼデキアの傍にいる事では絶対にない。だからと言ってヴァスカの手中にあったとしても彼女は苦しむだけなのだろう……。

 例え彼女が不幸になるのだとしても、ヴァスカは彼女を自分の手で救い出したかった。自分勝手な願望なのは百も承知だが、こんなに何かを強く望むのは本当に久しぶりなのだ。そんな自分の欲望に忠実になってみたいのだ……。そして出来るなら、彼女を不幸にするのでなく、幸せにしてやりたい。自分の傍で、笑っていてほしい。

 こんな感情を思い出させてくれた彼女を悪の手から引き離し、自分が与えられるものを与えたい。

 ――今宵、すべての思惑と背後にある影が重なる。

 その時、そこにあるものは、なんだろう……? ヴァスカは目をつぶり、広がる闇をただ見詰めた。

 すべては今宵。これまでの各人の道が一点に交わり、それぞれの想いに決着が着く。その果てに待ちかまえているのは、いったいどんな未来なのか。

 すべてが終わった時、そこには、誰にも言い当てることのできない結末がある。

(どうか、一人でも多くの者が救われているように……)

 誰ともなく小さな祈りを捧げ、ヴァスカは庭を立ち去った。準備をせねばなるまい。

 決戦の時は、その賽は、すでに投げられたのだ。





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