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42.取り戻したもの

「……ヴァスカ?」

 兄弟の気配をたどって庭にやってきたセルヴィは、芝にうずくまるヴァスカを見つけ、慌ててその場に駆け寄った。その時、ムワッと、嫌な空気が頬をなでる。

「――この、感じ……」

 大気を嗅ぐように顔を上げ、まさか、とつぶやいたセルヴィに答え、ヴァスカが呻き声のような声を絞り出した。

「ゼデキアが、いた」

「っ!」

 忌々しき男、セルヴィとヴァスカの悪魔の血を証明するかのような存在。そのゼデキアが、ここに来たというのか。

(ついに、この時が来てしまった……)

 セルヴィが恐れていたことが起こったのだ。レイナとヴァスカと三人で、穏やかに暮らせればと思っていた。それを壊すのは、ヴァスカを魔の道に駆り立てるゼデキアという存在だ。

「レンは、無事ですか? あいつはレンを狙っていたはず……」

 そう言った瞬間、ヴァスカの背がびくりと強張った。

「ヴァスカ? ……まさか」

「その、まさかだ。レイナが……連れて行かれた」

 セルヴィが蒼白の顔で言うと、ヴァスカはうずくまったまま答える。セルヴィは呆然として、ヴァスカの隣に膝をついた。

「俺と深く関わった者には、等しく、不幸が降りかかるのか……」

「っ、ヴァスカ! そんなこと言わないで、……違うんだよ、そういうことじゃないんだ」

 セルヴィも手で顔を覆った。

「誰かが悪いとか、誰かのせいとか、そういうことじゃないんだ……ぼくらはゼデキアに苦しめられているけど、奴だって苦しめられたんだよ。それも一番敬愛していた人に、愛する人を奪われるっていう、残酷なやり方で……」

「ああ、分かってる。だからと言ってお前が奴を赦せと言いたいわけでもないこともな。ただ、俺はときどき、お前の大きな心に救われながらも、綺麗すぎてまぶしくて、妬いていたのかもしれない」

 するとパチン、と音が弾けた。

 驚きでセルヴィを見つめるヴァスカのその頬が、ジンジンと熱を持っていた。

「ばかヴァスカ! ぼくはそんな綺麗なやつじゃない。ぼくはただ、ヴァスカとレンと三人で穏やかに暮らしたいっていう我がままのために、ヴァスカに誰にも憎んでほしくないんだよ! じゃないとお前は、憎悪のままどこかにいっちゃうじゃないか……」

「セルヴィ……」

 ヴァスカは目を丸くして兄弟を見つめた。初めて、彼の心の内を聞いた気がしたのだ。いや、こうして聞くことを拒み、忘れてきたのだろう。自分のせいで姿かたちを縛りつけてしまった、その時から。

「すまない、俺は……」

 ヴァスカが話しだそうとしたがそれを遮るように、セルヴィはずいっと小さな小箱を彼の鼻先に突き出した。

「これは……?」

「いいから、中を見て」

 繊細な細工の小箱は、ヴァスカの大きな手にはなんだかちぐはぐに見えて、ヴァスカは戸惑いながらもそっとふたを開けた。中には小さな革ひもの輪が二つ、並んで入っている。

「これが、どうしたんだ?」

 ヴァスカが困惑しきった顔でセルヴィを見る。

 なんだか、そんなヴァスカがおかしくて、どうしようもなく愛しくて、セルヴィは涙で濡れた頬で薄く微笑んだ。

「それは、母さまが死の直前に編んでたもの」

「っ!」

 セルヴィの言葉に、ヴァスカは箱を落としそうになる。その手を、セルヴィが小さな手で覆い包み込んだ。

「聞いて。この輪がどうして二つあるか分かる? 二つともに、ぼくらの目と同じ色の石を編みこんであるんだ。その意味が分かる?」

 ヴァスカは、小さく震えていた。何も言わない。言えないのかもしれない。

「母さまはずっと苦しんでいた……ヴァスカを愛していたからこそ。強大な魔力を持つお前が、ふとした瞬間に父さんと重なって、怖くて憎くて、でも愛していて、どうすればいいのか分かんなかったんだ。母さま、亡くなる前しばらくからお前と会わないようにしてただろ? ヴァスカを見ると手を上げてしまう自分が怖くて、お前を傷つけないようにって、距離を置いたんだ。死期の近いことを悟って、母の記憶が“叩かれた”ってだけにならないようにって。かわりに、自分が存在したってことをお前に覚えておいてほしくて、こんな小さなものを、大事そうに作ってたんだ……」

 ぎゅっと、ヴァスカの手に力が戻った。

「ヴァスカ、自分は〈憎悪の子〉だなんて思わないで。お前が母さま想うように、ぼくやレンのことを想うように、母さまも、ぼくも、レンだって――みんな、ちゃんとヴァスカのことを想ってるから」

 ぽろりと、ヴァスカの目から一粒の涙がこぼれた。たった一粒、それが、全てだった。

「母さまは、俺を愛していたんだな……」

 小箱を胸に抱き、ヴァスカは瞑目した。

「俺が想えば、全ての命が枯れて死ぬのだと思っていた。そうじゃなかったと、それは間違いだったと、思っていいんだよな」

 セルヴィは力強く頷いて、ヴァスカの頬にキスをした。親愛の、友情の、大きな想いをこめて。

「ヴァスカ、レンを迎えに行って。レンもそれを待ち望んでる」

 ヴァスカは照れ隠しか、少しむっとした顔でセルヴィを睨むと、小箱を返して立ち上がった。

「行ってくる。それは、まだ、お前が持っていてくれ」

 セルヴィの返事を待つのも惜しいと言うように、ヴァスカはセルヴィが頷くのを確かめるとその場から煙のように消え去った。ゼデキアの後を追ったのだろう。

 セルヴィもヴァスカと同じように小箱を胸にギュッと抱き、母に感謝を伝えた。

 やっと心おきなく、ヴァスカは想いを――レイナを追えるのだ。その心たるや、いかに軽く、いかに力強いか、想像に難くない。過去に縛られ、憎しみに囚われたその足枷が外れれば、ヴァスカは風のように想いを追いかけられる。錘のなくなった彼の強い意志は魔の壁を打ち破るだろう。

 セルヴィは長い葛藤を戦い抜いた彼に、そして向かう最後の決着に、必ずや明るい未来があることを祈った。



 ***



 ――母さま、それはなあに?

『これはね、お守りよ』

 ――おまもり?

『そう。あなたたちふたりを、守ってくれますようにってお願いしながら作ってるの』

 ――だれにお願いしてるの?

『うーん、私が信じる神さまに、だけど、あなたたちには縁遠いかもしれないわね……』

 ――母さま、どこか痛いの? 

『え? どうして?』

 ――だって、泣いてるんだもの。痛いの痛いの、とんでけーって、する?

『ううん、ありがとう……でもね、私にはそれをしてもらう資格はないかな。この痛みを甘んじて受けるのが私のせめてもの償いだから……』

 ――甘いの? つぐないってなあに?

『ん、ごめんね、今のは独りごと。……ねえセルヴィ、私からお願いがあるの』

 ――お願い?

『あなたはどうか、ずっと出来る限りあの子のそばにいてあげて。何も出来なくても、助けてあげられなくても、傍にいて見守ってあげるでけでいいから……一緒に、隣で笑っていてね』

 ――うん、ぼく、ヴァスカのそばにいる。ぼく、ヴァスカが大好きだよ。

『ありがとう。いつか、あなたが必要だと思ったとき、このお守りをこの箱に入れておくから、その時はこれをあの子に渡してあげて』

 ――母さまが、ヴァスカに渡すんじゃないの?

『本当はね、そうしたかったのよ。けど、出来なくなっちゃったの。――ねえセルヴィ、信じてくれなくてもいいから、これだけ、言わせて。私、あの子を――ヴァスカを、愛していたわ。いつか……私たちに時間が残されていたなら、ちゃんと分かりあって、あの子を抱きしめてあげたいと思っていたの。でも、私にはできなさそうね……だからセルヴィ、あなたが――それか、いつかあの子の前に現れる大切な人がいたら、その人が――あの子をしっかりつかまえて離さないであげてちょうだいね。そうなるよう祈るのが、何も出来なかった私が、唯一許された出来ること。

 愛する子どもたちに、どうか幸多き未来を……』




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