33.触れなかった話
セルヴィは警戒を緩めず、森の中をくねくねと遠回りをして屋敷に戻った。〈白の聖僧〉の持つ力はとてつもなく大きい。ヴァスカがその力に劣るとは思わないが、万が一のことがあってはまずいと思い、なるべく屋敷の位置を特定されないようにとの配慮だった。
セルヴィはちゃんとレイナを気づかってはいたが、やはり緊張が体を支配していたのか、レイナは屋敷に入るなりほっと息をついていた。
(屋敷を隠すためとはいえ、レンには悪いことをしてしまったかな……)
一番恐ろしい存在がすぐ近くにいながら、一目散に逃げるわけにもいかずずいぶんと歩かせてしまった。精神的疲労は大きなものだったろう。玄関にくったりと座り込んでしまったレイナの背を、セルヴィはやさしくなでた。よく見ると、胸の前で握りしめた手がカタカタと震えている。
「レン、ごめんなさい……ずいぶん怖い思いをさせてしまいました」
「ううん、ちょっと、嫌な思い出がよみがえっただけだから……大丈夫よ、大丈夫……」
レイナは気丈に笑顔を見せセルヴィを見上げたが、やはりいつもの覇気がない。それはまるで自分に言い聞かせるかのような言葉だった。そこに、黒い煙が立ち上るようにヴァスカが現れた。
「何かあったのか?」
「町で、〈白の聖僧〉を見かけました。気付かれないように逃げたつもりですが……一応、結界まわりも警戒していただけますか」
ヴァスカは分かった、と請け合った。そしてレイナに目線をうつす。
「……何か、されたのではないのだな? 何をそんなにおびえる」
レイナのその怖がり方は、ヴァスカと時々本気でぶつかり合った時に見せる脅えと同等だった。
「前に……逃亡生活をしていたときに、彼らは最大の敵だったの。色々ひどいこともされて……ちょっと、その時のことを思い出しただけ。ごめんなさい、本当に大丈夫だから……」
立ち上がるレイナだったが、足元がおぼつかない。ゆらりと傾いた体を、セルヴィは慌てて支えた。ふとヴァスカを見ると、彼も一歩踏み出しこちらに手を伸ばしていた。セルヴィが支えられたのを見るとぱっと背を向けてしまったが。
(少しずつ、ヴァスカの気持ちも近づき始めたかな……)
こんなときだったが、少し嬉しく思うセルヴィだった。
そのままレイナを部屋に連れ、ソファに座らせた。セルヴィは何か飲み物を取りにキッチンへ走る。廊下を曲がるその直前、反対側の角から黒い姿がちらりと見え、セルヴィは一人笑みを浮かべた。
***
「落ち着いたか」
セルヴィと入れ違いで入ってきたヴァスカに、レイナは跳ね起きた。
「え、ええ、だいぶ……」
レイナが横たわっているソファの、テーブルをはさんで反対にヴァスカは腰を下ろした。そして前置きもなく、突然話しだした。
「〈白の聖僧〉が町に現れたんだな」
「……ええ、遠くに見えただけだけど、間違いないわ」
「……そうか」
そう一言答えると、彼はしばし黙り込んだ。そして意を決したかのように、顔を上げた。その紫の瞳はまっすぐにレイナを見ている。
「お前の過去のことを――持っている情報を、俺に教えてくれ」
初めて、真っ直ぐに、レイナをとらえる紫紺。それを見て、彼になら、この辛い過去を、胸の内をすべて明け渡してもいいと思えた。傷ついた獣が傷をなめ合うように、レイナはヴァスカに仲間意識を持ったのだ。
「何から……話せばいいの?」
「そうだな、まずは、お前がそんなにも〈白の聖僧〉に脅える理由を」
ヴァスカがそう言うと、レイナは一瞬ひるんだように顔を強張らせた。しかしヴァスカの表情は変わらない。それを見てレイナも覚悟を決めた。いつまでも過去から逃げていては前に進めない。
「私がこの国の王から追われてるってことは前に話したと思うけど……そのとき、追手役だったのが、多くは〈白の聖僧〉だったの。彼らなら、国中を移動して回っていてもさして不審に思われないから……。そうして、私を探して追いかけながら、行きつく村や町に私を反逆者として御触れを出してまわって。おかげで、道中、何度か彼らと対峙しなくてはいけなかった」
レイナは自分の腕を抱いて、ぶるりと身を震わせた。
「その争いが、私と奴らの間だけに留まれば、別によかったのよ。なのに奴らは、私を泊めてくれた、何も知らない一般人を嬲り殺したり、言いがかりをつけて拷問を受けさせたりしたの。恐ろしいことに……あぶり出すために村一つを焼き払ったこともあるわ……!」
レイナはぎゅっと目をつぶった。ハーシェル家の屋敷といい、炎によってレイナが失ったものは多い。
「……それで、お前は、森の中を逃げ回っていたのか」
そのヴァスカのつぶやきに、レイナは驚いて顔を上げた。そして理解してもらえたことの喜びで、少し涙ぐむ。
「私のせいで、多くの人の命を巻き込んでしまった……森なら、普通の人は用もなく入ることはないし、私にはいい隠れ場所だったの。だけど、それは奴らにとっても都合がよかったみたいね。……奴ら、私が森に逃げ込むようになってから、魔物を使うことが多くなった」
「……〈白の聖僧〉たちが、魔物を使うのか?」
ヴァスカは怪訝な表情で尋ねた。
「そうね、普通ならあり得ないし信じられないことだわ。〈白の聖僧〉は魔物を討伐する精鋭部隊とも言えるはずだものね……。でも、奴らはもう狂ってるのよ。国王に暗示をかけられているだけかもしれないけど、そうじゃなくても、魔族だろうと魔物だろうと強い者には従って、弱い者は使うまで。それが一番、楽に生きる方法だから……」
レイナは悔しそうに唇を噛んだ。もし正常な世の中だったら、レイナも強力な〈白き力〉で〈白の聖僧〉となって、自分の仕事と能力に自信と誇りを持ち生きていたのだろうから。彼らと同じ力を持つ者として、それを正しく使わないことに怒りを感じるのだ。
「……私ね、一度だけ、〈白の聖僧〉たちに捕まったことがあるの」
ぽつん、とこぼしたレイナの言葉に、ヴァスカは意識を目の前の彼女に戻した。ここから先が、彼女の心の中の、本当の“恐怖”の一端だと、そう感じたのだ。
「いつもなら魔物の気配はすぐに分かるのに、寝込みだったし、一瞬、混乱したのね……。大きな音がしてはっと目を覚ましたら、森の向こうから男の子が走ってくるのが見えて。彼も魔物に襲われたんだと思って、慌てて抱きこんだの、そしたら、お腹に鋭い爪が刺さってて……それは、小さな男の子の皮をかぶった、魔物だった。奴らが殺して、皮を剥いで、魔物に被せたのよ。信じられる? 教会の中枢で、人々に愛を語り命を守るために戦う彼らが、まだ小さな男の子を……。もはや人としての倫理も失っていたわ。油断していた私は奴らに捕まって、一度近くの村の教会に連れられ地下の隅に閉じ込められたわ。翌朝、教会の神父がやって来て聖僧たちを訝しがっている声が聞こえたけど、聖僧たちはずいぶんな言い訳で押し切って、しばらくの滞在を認めさせたの。きっと、私を捉えたという報告と王城へ帰還する準備をするためだったのね」
ぼんやりと空中を見つめるレイナの瞳は、暗い色に包まれていた。
「でもやっぱり教会の神父さんは不審に思ったらしくて、どうやったか分からないけど、私を見つけてくれたの。聖僧たちが教えて回っている御触れの人物だった私に、『奴らの目は狂気しか映してない、あなたはいわれのない罪を被せられているのでしょう』って言ってくれて、私を逃がしてくれたの。……後日、隣町に入ったとき噂話で、その村は山火事の犠牲になって跡形もなくなったらしい、って聞いたわ。言うまでもなく、〈白の聖僧〉たちが私を逃がした神父に怒って、腹いせに火をつけたんでしょうね……」
そこまで言って、突然、レイナははっと顔を上げた。ぼんやりと視線をやっていた、彼の膝の上の組んだ拳が、白くなるほどきつく握られていたからだ。
「ヴァスカ? ……どうか、した?」
声をかけられて、彼も驚いたようにレイナに焦点を合わせた。
「あ、いや……」
口ごもったが、ヴァスカは心底分からない、といった風で眉間にしわを寄せながら続きをつぶやいた。
「なぜだか、お前の話を聞いて、〈白の聖僧〉がますます憎くなった」
変わらず難しい顔で言うヴァスカに、レイナは思わずぷっと吹き出した。不思議と、それまでの過去に囚われた暗い気持がどこかに吹き飛んだ。
「それって、私の話に共感してくれたってことだと思うけど……ね、ヴァスカ? 違う?」
「……共感? 俺が? お前に……?」
相変わらずくすくす笑うレイナを目の前に、なんだかそれまでの怒りがすうっと消えた。
――よかった、
と思った自分は、一体、何を良かったと思ったのだろうか。ヴァスカは我ながら最近の自分の思考についていけない。
少しは緊張をほぐしてくれたらしいレイナを前に、ヴァスカは、本当に聞きたかったことを――聞きたいけど気持ちがひるんで聞けなかったことを――ついに、尋ねようと思った。
「……お前に、ずっと確かめたかったことがある」
そう切り出すと、楽しそうに笑っていたレイナも表情をきりっと改めた。その凛とした眼差しに、ヴァスカはいつも自分が小さくなったような気がしてしまう。それが苛立ちの原因であり――醜い自分にはまぶしかった。
「お前を探し回っているという王は、魔族だと言ったな」
「ええ、本来の王を殺して、周りの者に暗示をかけて今の立場に居座っている、魔族よ」
「その魔族は……どんな姿をしていた」
「容姿は端麗、髪は美しい金髪。背はかなり高いわ。歳は見た目、30代いってるかどうかくらいよ。今思えば、ジェフリー様くらいの子どもがいる親にしては若すぎるわね……魔族って、老けているように姿を偽ることもできるの?」
すらすらと答える上に質問で返され(しかもそれがただ興味本位のものなので)ヴァスカは少し戸惑いつつ、ああ、と頷いた。
「それなのに、なんでそうしなかったんだろう」
そう言うレイナを無視して、ヴァスカは、一番聞きたくてかつ聞きたくない、だが確信するのに必要な情報を訪ねた。
「そいつの目は……紫紺か?」
ヴァスカのただならぬ空気を読みとったのか、レイナはいささか訝しそうに口を開いた。
「ええ、青紫だったわ。……魔族って、みんなそうなんでしょう? あなたも、セルヴィも、同じ色だもの」
「……奴の、名は」
いよいよ冷たく不穏な空気を発し始めたヴァスカに、レイナも不安げな様子だ。
「皮肉にも、悪の象徴のような男でありながら“正義”の意味を負う、ゼデキア、よ」
「……ゼデキア」
レイナの答えを繰り返して、ヴァスカはふらりと立ち上がった。
「とりあえず、必要な情報はいただいた。邪魔したな」
「あ……」
開け放たれた扉から出ていく背中に、かつてのような閉ざされた心の拒絶を感じ、レイナは呆然とした。
自分の受け答えがまずかったのだろうか?
(最近、少しは通じ合えるようになったと思ってたのに、な……)
一人部屋でしょんぼりするレイナを振り返る余裕がないくらい、ヴァスカは興奮していた。見つけたかったような、見つけたくなかったような。そんな気持ちは、その名前を聞いた瞬間に吹き飛んだ。やはり何度聞いても、体中の血が沸き立つような怒りに魔族の性が頭をもたげる。いつもは封じようと努めている、魔族としての、自分。
――ついに、見つけた。
悲願は、そう遠くない未来に遂げられる。ヴァスカは唇を歪めて、禍々しく笑った。




