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32.町に下りて

 レイナは食事を終え、この屋敷に来てから飲むようになったカフワという飲料を飲んでいた。紅茶よりも香りが強く、味も濃い。芳ばしくて苦く、砂糖をたっぷりと入れるととてもおいしいのだ。レイナがまだ貴族として暮らしていたころは、その強烈な香りと漆黒の液体がどこか気味が悪く飲まずに避けていた。しかし食後にヴァスカがよく飲むので、セルヴィに勧められて飲むようになったのだ。かなり貴重で高価なはずだが、この屋敷にはいつでもカフワがあるらしい。本当に、彼らはどれほどの財産を抱えているのか分からない。

 今日もヴァスカは朝食をとらず、レイナが食事をしている間は紅茶だけをゆっくりと飲んでいた。レイナが食後にカフワを飲み始めると、彼も紅茶からそちらに切り替え、食堂は豊かな香りでいっぱいだ。そんな二人と一緒に食卓につき、給仕を終えたセルヴィが一足遅れて食事をする。この光景は、レイナが屋敷に来てから日々繰り返されるようになっている。

 セルヴィの食事が終わるころ、ヴァスカは無言で席を立ち食堂をあとにした。それを待ってましたと言わんばかりにセルヴィはレイナに詰め寄る。

「レン、いったいどういうことなの?!」

 テーブルの向こう側からキラキラした瞳を向けられて、レイナは苦笑した。

「昨夜、ヴァスカを訪ねたの。昼間のお礼もしたかったし、ちゃんと、向き合いたかったから」

 セルヴィはフォーク片手にうんうんと先を促す。

「それで、ひと悶着のあとに話を聞いてもらえたんだけど私ったら途中で寝ちゃったみたいで……起きたらベッドに寝かされていて、ヴァスカはソファに寝ていたの。それでまた、まあひと悶着あって……その時あなたが飛び込んできたんだけど」

「そうなんです、ごめんなさい。朝、レンの様子を見に部屋に行ったらもぬけの殻で、レンが屋敷を出て行っちゃったのかと思ったんです……それで慌てて、主に報告を、と」

「そうしたら私がいたわけね」

 レイナはふふっと笑う。

「ああ、それから。この屋敷にいさせてって頼んだら、ヴァスカも許してくれたわ。そのとき、なんて言われたと思う?」

 セルヴィが、えっ! と驚いた声をあげ、それから必死にその答えを考え始めた。

「主のことだから、偉そうにふんぞり返って……いいだろう、とか?」

「ふふ、意外にも大胆な言葉をいただいたわ。俺もお前のことを知りたくなった……って」

 レイナとセルヴィはキャーッと黄色い声を上げ、大はしゃぎで明るく笑った。

「主がそんなことを! レン、やりますねえ」

 セルヴィが本当に楽しそうに言って食事を再開するのを見て、レイナもにこにこしながらカフワを飲んだ。

 やがてセルヴィは食事を終え、厨房で仕事に取り掛かってしまう。すると途端に、レイナはすることがなくなるのだ。書庫に行くのもいいが、こうも天気がいいのに一日中部屋にこもりきりなのも罰あたりな気がする。庭の散歩もたかがしれているし、どうしたものかと食堂に座ったままでいると、厨房から出ていたセルヴィが食堂に戻ってきた。見ると上着を羽織って、外出の準備をしている。

「あら、薬草が足りなかったの?」

 今朝、セルヴィはひとりで薬草摘みを終えていたはずだ。

「いえ、薬草ではなくて。ギルがあんな事件で使えなくなったので、必要なものを自分で調達しなくちゃならないんですよ」

「自分で調達って……どうするの?」

 この屋敷にはセルヴィが手入れをしている立派な畑はあるが、肉類はどう考えても自足しきれないだろう。もしかして、という期待が膨らむ。レイナの疑問に、セルヴィは気乗りしない様子だったが、しぶしぶ口を開いた。

「ふもとの町に、買い出しに……」

「私も行く!」

 すかさず立ちあがったレイナに、やっぱり、とセルヴィは肩を落とした。

「お願いですから、レン、あなたはここで大人しくしていてください。ぼくだけでもかなり危ない橋なのに、追われているレンがわざわざ危険に飛び込むようなことをするなんて……」

「ね、お願い。そうだ! 私、変装するわ。男の格好で、あなたの兄貴分の使用人って設定で行きましょう。たくさん買うなら、一人より二人の方がいいだろうし。ね?」

 目を輝かせながら、必死にお願いするレイナ。セルヴィには、そんな彼女に反対など出来そうになかった。

(……仕方ない、主に相談しよう)

 セルヴィにとって、レイナはすっかり弱点になってしまったようだった。

 セルヴィとレイナはヴァスカの部屋に向かった。

「ということで、主の服を貸していただけませんか」

「だめだ」

 ヴァスカは一刀両断。

「ですよね……」

 セルヴィは予想していたので、苦笑してレイナを振り返る。

「レン、どうします?」

 レイナはというと、非常に悲しそうな顔で眉を下げている。見るからにしょんぼりと小さくなってしまっていた。横目で主を見ると、彼も無表情ながら困ったように腕を組んだままだ。

 しばらく無言の戦いが続いたのち、ヴァスカが折れた。

「……分かった、俺の服を貸そう。しかし、忘れるなよ。お前は俺に、まだ何の情報もくれてない。今ここで逃げるようなことがあったら俺はお前を許さない」

 言外に、そうなったらどこまでも追いかけて殺してやる、と言われているような圧力があった。レイナは負けじと胸を張り、微笑みで返した。

「ええ、ありがとう、ヴァスカ。お借りした服は必ず返しに来るから。逃げたりしないわ」

 ヴァスカはため息をつくと、クローゼットからズボンとシャツを引っ張り出して、レイナに渡した。彼女は嬉しそうにそれを受け取って、セルヴィと一緒に部屋を後にした。

「セルヴィだけでも守るのは大変だというのに……」

 そんなつぶやきは、二人には聞こえるはずもなかった。



 ***



「どうしよう、セルヴィ……」

 男の格好をしたレイナは、隣に立つセルヴィに小声で囁いた。

「ど、どうかしたんですか?」

 驚いて聞くと、レイナはぶるっと体を震わせ、それから体の両脇で拳をぎゅっと握りしめた。

「嬉しくて、わくわくして、走りだしちゃいそう……!」

 見上げると、彼女は見るからに幸せそうに微笑んで、空を見上げていた。セルヴィは慌てて彼女のシャツの裾を掴む。そうしないと、本当に飛んでどこかに行ってしまいそうな気がしたのだ。

「私、逃げる途中でいろんな町を通ってきたけど、こうしてゆっくり歩くのって初めてなの。すごく嬉しい! それにこんな格好できるのも、今だからかなって思って」

 無邪気に笑うレイナに、セルヴィもすっかり毒気を抜かれてしまった。

「ぼくも頻繁に来る訳じゃないので、町の事情に詳しくありません。お願いですから、ぼくのそばから絶対に離れないでくださいね?」

「ええ、そうね……ヴァスカとの約束もあるし、はしゃぎすぎないようにがんばるわ」

 そう言う彼女だったが、やはり今にも走りだしてしまいそうにうずうずしているのがはた目によく分かる。苦笑しつつも、セルヴィは出来る限り彼女の望みを叶えてあげたい、と思うのだった。

(だけど、この格好……見る人が見れば、ばれるよなあ)

 レイナはヴァスカのズボンとシャツを着てはいるのだが、どうにも大きく、セルヴィがなんとからしく見えるように工夫して着せたのだがやはり少し無理がある。そして髪は、使用人らしくうなじのあたりで緩くひとくくりにしている。ちょっと男にしては長すぎだが、これくらいまで伸ばしている人もいない訳ではないので、なんとかなるだろうか。しかし何より問題なのは、レイナのその雰囲気だった。こんな田舎の町に買い出しに来るような使用人にしては、物腰が柔らかく上品で、いくら男のように振舞っても端々ににじみ出るそれは紛れもない貴族の風格だった。男の格好のうえに町の中にいるとそれが余計目立つ気がしてならない。

(そう言えば、レンはハーシェル家のお姫様なんだっけ。ハーシェル家と言えば、由緒正しい大貴族のはず……こんなところでこんな格好をしているほうが、おかしいんだよね)

 ふとそんなことに思い至り、セルヴィはほうとため息をついた。

(レンも、たくさんの苦難を乗り越えて、今、ここにいるんだ)

「セルヴィ、早く行こう。まずはどこに行くの? 粉屋さん? 八百屋さん?」

「……そうですね、まずは粉屋さんですかね」

 二人は連れ立って、楽しく町を回った。粉屋、八百屋、肉屋と回り、他にも花屋・服屋など用のない店までのぞいてまわった。歩き続け、すっかり満足した二人は少し休憩することにした。町には古い井戸と新しく設置したらしい手押しポンプが並んでいる水場があった。そこで冷たい水を飲み、傍の大木の下に腰かけた。時々女性が洗濯桶や壺を持ってやって来るだけで、人通りは少なく静かだった。

「はー、楽しかった。こんなに小さな町なのに、色んなお店があるのね」

「そうですね……もとはお店と言うより、町全体で助け合いながら生きていくために仕事の役割分担をした結果、なんですよ。町の人たちは必要な物を自分が担当するものと交換して手に入れるんです」

「なるほど……だから普通に生活するためのものはすべてそろっている、ってことなのね」

「はい。城下の街や市もいいですが、こうして辺鄙で閉ざされている町や村の方が、本当に必要なものが必ず手に入ります」

 レイナは興味深そうに頷き、ほうと息をついた。

「世の中には、私の知らないことがたくさんあるんだなあ……」

 彼女がそうぽつりとつぶやいたきり、二人の間には沈黙が下りた。ぽかぽかとした陽気が眠気を誘う、そんな午前の遅く。

 レイナはぼんやりと見ていた水場の先に、ふわりと風にふくらむ白い布を見た。途端、レイナのあたたかな気分が一瞬にして凍りついた。顔がみるみる色を失い、冷や汗が額に浮かぶ。隣の彼女の緊張を感じ、セルヴィは驚いて彼女を見上げた。そしてその異変に気付く。

「レン? どうしたのっ?」

 異常なまでに震え、全力疾走の後かのように息が上がっている。一点を凝視する視線を追うと、その対象はどうやらゆっくりとした足取りで近づいてくる白い服の男のようだった。

 そして、セルヴィは気付いた。あの白い服はただの服じゃない。教会の者が着る祭服だ――しかも、穢れなき純白のそれは、限られた者しか着用を許されない神聖なもの。

(〈白の聖僧〉か……!)

 レイナが以前、悲しげに語った身の上。彼女は教会を敵だと言った。ということは、国王でもある首長の直属で教会の中枢の〈白の聖僧〉は、レイナには会いたくない存在でしかないはずだ。

 幸い向こうはこちらに気付いていないようだ。すれ違った女性ににこやかに声をかけ、少し話している。

「レン、今のうちに行きましょう……なるべく目立たないように、落ち着いて」

 二人は静かにその場を後にして、森の中に逃げ込んだ。



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