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30.真夜中の会話

「娘のところに行ってやれ、か……」

 ヴァスカは一人食堂の椅子に座り、ぼんやりと紅茶を飲んでいた。

 その言葉は、つい先ほど、食堂にいたセルヴィに言ったものだ。意味深な言葉にセルヴィは眉をひそめつつもただ事ではないと察知したらしく、風のように走って行った。その後ろ姿を見送って、ヴァスカは自分の気持ちを整理しかねていた。

 頭に響いた小さな破裂音は、結局ギルバードが侵入した音だったのだ。魔石を銀の小鳥に運ばせ、屋敷内に置いてから移動の魔石を発動する。常にない、第三の魔族の気配が結界内に突如として現れてはじめて、侵入者の存在に気付いた。ギルバードにしては随分と頭を使ったのだろう。あのような下級魔族にしてやられたことが屈辱だった。

 そして何より。

(なぜあいつは、ギルに抵抗しなかった……!)

 ヴァスカが血を吸おうとすれば持ち前の強力な〈白き力〉で抵抗するのに。近づくだけでも警戒心を露わにする、あの強気はどうしたというのだ! 素直に捕まったまま、自分以外の男にその血をやったのが許せない。その光景を思い出しただけで無性に腹が立った。そのヴァスカの怒気に呼応して手にしたカップの紅茶が一気に沸騰し、蒸発して消えた。

「……何をお考えですか?」

 突然現実に引き戻された。長いテーブルの反対端にセルヴィが立ってこちらを見ている。

 ヴァスカはその問いに答えなかった。いや、答えられなかったのだ。言葉にすれば、今の世界が壊れてしまう気がした。

 セルヴィはそんな主人を無視して、ヴァスカが紅茶のために沸かした湯を持って食堂を出ていった。その態度に珍しく彼の怒りを感じてヴァスカは戸惑った。何に対してセルヴィがヴァスカに怒っているのか分からない。

(まったく、最近は分からないことだらけだ……)

 紅茶のポットを傾けたが飲みきってしまっていた。ヴァスカは仕方なく、新たな茶を入れる湯を沸かすため、立ち上がった。



 *



 夜になった。

 レイナはセルヴィの過保護なまでの看病によって部屋でじっとしていなくてはならなかった。昼食・夕食もセルヴィが部屋まで運んできて、レイナが食べきるのを、薬を作りながら見届けると決め込んでいた。

「ご主人さまをほったらかしておいていいの?」

 レイナが聞くと、セルヴィは口をとがらせ、ふいとそっぽを向いた。

「主なんて、少しは困ればいいんですよ」

 ヴァスカ至上主義のセルヴィには珍しい態度だ。

「レンの話をちっとも聞こうとしないし、自分の気持ちとも向き合わないし。レンをほっぽり出しといて危険な目に遭わせたと思ったら、中途半端に逃げてくし……あんなの、ぼくが憧れて守りたかったヴァスカじゃない」

 ついには主人を呼び捨てにまでしてしまっている。

 セルヴィはなかなか怒りが収まらないようだったが、レイナの夕食が終わり、風呂のあとの髪の手入れを手伝うと、おやすみと言い残して部屋をあとにした。そして今、レイナはひとりベッドに寝ている。夜も更け月が天上に上り、輝く。やがてむくりと体を起こした。もうずっと眠れないまま、ぼんやりとしていた。

 なんとなく、ヴァスカに会いたかった。

(やっぱり直接話したい。今日のお礼も、したいし)

 こんな時間から部屋を訪ねるのは失礼かもしれないが、魔族の夜は遅い。まだ起きているはずだ。レイナはこっそり自室を抜け出し、ヴァスカの部屋に向かった。彼の部屋のある廊下まで来ると、案の定、扉からは明かりが漏れていた。月明かりだけが光源の暗い廊下に扉の形で光が浮かんでいる。その扉の前に立つ。

 レイナは緊張していた。心臓が痛いほどに鳴っている。しかしいつまでも立ち尽くしている訳にもいかず、意を決して右手を持ち上げ、ノックしようとした、ちょうどその時。扉がスイと音もなく開いた。

「……なんだ?」

 そこにいるのは、もちろんヴァスカだ。レイナは意外な出迎えに目をぱちくりと瞬かせた。

「遅くにごめんなさい。少し、お話しさせてもらえないかと思って……」

 ヴァスカは怪訝そうな顔で眉をしかめたが、何も言わずに扉を背で押さえ、レイナを中に入るよう促した。レイナは緊張した面持ちのまま、部屋に入った。中はすっきりと片付いていて、扉のない出入口から寝室らしい隣の部屋が見える。

 バタンと背後で扉が閉まった。急な大きな音に驚いて振り返ると、ヴァスカがこちらを見ている。

「それで、わざわざ俺の部屋に来たのは、なんのためだ?」

 ヴァスカの紫紺の目には警戒心が露わになっている。レイナはそれをなだめるように、にっこりと微笑んだ。

「さっきも言ったけど、本当に、ただお話をしたかっただけなんです。今朝は途中で終わってしまいましたから。……座っても?」

 レイナは近くのソファを示した。ヴァスカはまだ訝しげに睨んでいたが、こくりと頷いた。

(この人相手には、無駄な矜持や気づかいは関係を悪化させるだけ。思ったことをそのまま、伝えるのよ……)

 自分に言い聞かせレイナは話しだした。

「その前に、まずは今朝のお礼をちゃんとしたくて。……助けてくれて、傷を治してくれて、本当にありがとうございました」

「……言ったはずだが、お前はまだ利用価値がある。ただそれだけのためだ」

「でも、助けていただいたことには変わりありませんから。私の感謝、素直にお受けくださると嬉しいのですが?」

 ヴァスカは、レイナの瞳の強さにどきりとした。今朝までとは何かが違う。

「……ん」

 ヴァスカは苦々しく思いながらもそれ以上の言い訳は止めた。そしてレイナの正面のソファには座らず、扉に寄りかかったまま彼女と向かい合った。沈黙が落ちる。それを破ったのは、レイナだ。

「……あなたのご両親のこと、お聞きしました」

「なにっ?」

 ヴァスカは思いがけないセルヴィの裏切りに、目の前が真っ赤になった。――セルヴィ、お前は一体何を考えている!

「どうか怒らないで。私がセルヴィにせがんだの。彼は何も悪くないわ……それに、教えてくれなかったこともたくさんあった。それはきっとあなたが望まない話のはずよ、彼はあなたを裏切ってはいない」

「お前に、俺たちの何が分かる……!」

「ええ、何も分からない。――だから、知りたいの」

 はっとして顔を上げると、レイナは澄みきった瞳をヴァスカに向けている。そこには彼を戸惑わせる色が浮かんでいた。憎悪とか、怒りとか、与えられ慣れていたものではなく、もっと優しくて、温かく、それでいて悲しい……。

「くっ……!」

 ヴァスカは突然頭を抱え、その場に膝をついた。

「ヴァスカっ?」

 レイナは驚いて、彼に駆け寄る。その背にそっと手を置いた瞬間、突き飛ばされた。

「触るな!」

 レイナはソファに背を打ちつけ、咳きこんだ。でもすぐに立ち直り、頭を抱える彼の手に自分のそれを重ねた。

「触るなと、言っている!」

「つっ……」

 手首をギリッと締めあげられ、レイナはくっと唇を噛んだ。その耐える表情に、ヴァスカの頭痛はさらに強まる。

「ヴァスカ、私、あなたの苦しみを取り除いてあげたいの……あなたを、もっと知って、一緒に……生きたい」

「ハッ、馬鹿なことを言う。お前は魔族の俺を憎んでいる……! 俺を殺したい、の間違いだろう」

「確かにはじめは魔族と言うだけで見境なく憎んでいたわ。けれど、この屋敷で暮らして、間違いだって気付いたの。私は私の幸せを奪った魔族の男を憎んではいるけど、ここでひっそりと暮らすあなたや、セルヴィのことは、嫌いになれない。……だって、奴とあなたとでは、全然違うんだもの。あなたはセルヴィを愛して、お母さまを愛して、悲しさも苦しさも痛みも知っているわ!」

 ヴァスカは愕然として、レイナを見つめた。

「自分で気付いていなくても、はたから見ていれば分かることもあります。セルヴィも私も、あなたの優しさをちゃんと知っています……」

 ヴァスカはギリリと唇を噛むと、乱暴にレイナの手を解放した。レイナはそのまま床に倒れた。

「これだから、人間の女は……」

 ヴァスカは呟き、ソファに腰を下ろした。レイナはそんな彼の背中を、真意が読めず戸惑い見つめる。

「何をしている? 話があると言ったのはお前のほうだろう」

「あ……」

 一瞬きょとんとした。しかしすぐに、レイナは微笑んだ。

(ほら、やっぱり聞いてくれる)

 締めあげられた手首は彼の指の跡が残るほど痛かったが、今はもう、その痛みすら愛すべきもののように思える。

 ――これも、彼の苦しみだとしたら。

 レイナは立ち上がり、ヴァスカの正面に腰を下ろした。ヴァスカはレイナの方を見ようとはしなかったが、それでよかった。今、彼はレイナの目の前で、レイナと向き合おうとしてくれている。

(分かち合えるのなら、どんな形でもいい。もう、彼をひとりにはしない……)

 静かな決意を胸に、レイナも改めてヴァスカと向き合う。それは“魔族としてのヴァスカ”という偏見を打ち砕いた瞬間でもあった。

 夜は更けていく。星が流れ、月が歌った。



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